Archive for April 2006

24 April

#49.ディンケルスビュール

ドイツの旅はハイデルベルクからローテンブルクを経て、ミュンヘンに向かった。その途中、ロマンチック街道の宝石と言われているディンケルスビュールへ立ち寄る。宝石に相応しく、街は小さくて美しい。バイエルン州ヴュルニッツ渓谷のディンケルスビュールは中世のころから腕の良いマイスターのよる手工業で栄え、神聖ローマ帝国の直轄都市の時代もあった。
小さな城門をくぐると、絵本から抜け出たような街並みが現われる。色とりどりの家々の向うに塔がいくつも見える。狭いながら塔はこの街に16もあるそうだ。しばらくキョロキョロしながら歩くと、街の中心部のマルケト広場に出る。ひときわ手の込んだ建物が目に入る。黒くて高いその建物はドウチュハウスで、ディンケルスビュールの象徴のような存在だ。表の看板にあるホテル・ドイチュハウスの名のとおり、ホテルなので1階はレストランになっていた。旅の思い出にと思い、中に入ってみた。食事時の時間ではなかったので、客もなく静かだったが、雰囲気も落ち着いていた。出てきたコーヒーは品が良く、とても美味しかった。ドイツは知る人ぞ知るコーヒー大国で、コーヒーの輸入量はアメリカに次いで世界第2位であり、日本の倍に近い量を誇っている。
ドイチュハウスを出て、聖ゲオルグ教会の前のルターの像を仰いで、空を見ると塔が眼に入ってくる。確かに塔の多さは街中ならどこでもすぐ実感できた。

ディンケルスビュールの普通の街並み。この街はどこでも中世ドイツ風の建物と塔が見える。


この界隈が一番の見どころかもしれない。右手の3軒目にドイチュハウスの黒く荘厳な姿が見える。


ドイチュハウスの正面。木組みの細かさが素晴らしい。窓際の花も控えめだが見事だ。


ドイチュハウスの内部。落ち着いた雰囲気が美味しいコーヒーを余計引き立たせた。


また外にでる。とにかくこの街は塔が多い。しかも、ひとつひとつみんな個性派揃いだ。


聖ゲオルグ教会のルター像。当然、この像には物語があるのだろうが、まったくわからない。



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18 April

#45.ローテンブルク?

ローテンブルグ・オプ・デア・タウバーという名が正式らしいローテンブルクの市庁舎から更に街の奥に入ると聖ヤコブ教会があります。落ち着いた初期ゴシック造りの聖堂の中に入ってみますと、内陣はこんな小さな街にというほど立派です。
ここの教会のイチオシは、リーメンシュナイダー作の木彫りの『最後の晩餐』です。この彫刻も良く見ましたが、結局中央にいて一番立派なイエスとお金の袋を持ったユダしかわかりません。このことは、どの『最後の晩餐』を見ても、残念ながら同じことです。

聖ヤコブ教会。初期ゴシックの重厚だが簡素な造りは、驕りを棄て気持ちを安らかにさせてくれる。

内陣も華美なところはなく、明るく心地よい空間だ。

数多い『最後の晩餐』でも珍しい木彫の『最後の晩餐』


聖ヤコブ教会から街中に進む途中、クリスマス用品を扱うケーテ・ウォルファルト本店の中に、ドイツ・クリスマス・ミュージアムがあります。7月でしたが中は年中クリスマスで一杯だそうです。

右側の緑色の建物がクリスマス・ミュージアムのあるケーテ・ウォルファルト本店です。

店内はクリスマスのまっ只中。


この道は三叉路になっていて、ローテンブルグ一番の名所だそうで、ツアーのパンフレットの写真になるところだそうです。ところがこの日は工事中で土ぼこりモウモウで、旅の風情もあったものではありません。ベンツはベンツでもダンプカーのベンツでは、所詮ダンプカーです。

このときは冴えない正面の建物もロテンブルグの象徴的なひとつで、クリスマス・ミュージアムで、手のひらに乗る大きさの焼き物のお土産がありました。



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10 April

#39.ローテンブルグ?

ドイツの旅はハイデルベルクからローテンブルグへ向かった。ドイツは道が良いので、バスの旅は快適だ。おまけにバスもベンツだ。車窓からのドイツの野山が美しい。思わずドイツのメロディーが浮かぶ。ドレミー、ミソファー、ファラソーソファミー・・・。
ローテンブルグは、ロマンチック街道にあって小さいながら中心都市だ。ヴュルツブルグからフュッセンまで26都市を結ぶロマンチック街道(Romantische Strasse;ロマンティシェ・シュトラセとでも読むのだろうか)の北から6番目に位置している。ロマンチック街道には、ヴュルツブルグやアウグスブルグのような中世の大きな都市もあるが、ローテンブルグ、ディンケルスビュール、ネルトリンゲンのように中世の面影を色濃く残す小さい都市の方に人気があるようだ。中世の宝石と呼ばれるローテンブルグは、小規模な中世の都市の典型だ。街は分厚い城壁に囲まれていて、塔のある門から出入りする。地図を見てもわかるが、城壁から眺めても街の規模がわかる。とても小さい。出発前に調べた地図帳には小さい丸で載っていたが、この規模を目の当たりにすると、よく載せたものだと思いたい。
街中は中世ドイツ式の窓枠を縁取った建物や木組みの建築物の連続で、どこでシャッターを切っても絵になる。という訳で、今度はバッテリーの充電も毎日行なって、あたり構わず写真を撮ってみたところ、それなりの写真もあったが、悪くはないが同じような写真だらけになった。

塔のある城壁に登ってみた。街は、この高さの堅牢な城壁に囲まれている。


宿泊したホテルです。城壁のそばあり、木組みの美しい建物はいかにもロマンチック街道の雰囲気が漂います。でも、トイレなどの内部の設備は最新式なので、アメニティーやセキュリティはまず安心。


ローテンブルグの街並みですが、ごくフツーの風景です。似たような写真をたくさん撮ってしまいました。


どこでも絵になるローテンブルグでも、歩いているうちにイチオシのスポットかと思うところに出ました。


さらに奥の塔を中心にアングルを組替えました。


小さい街にしては立派な市庁舎です。ヨーロッパの都市は教会と並んで市庁舎が街のシンボルになっています。それにしても丁寧に良くできて建物です。

正面のピンクの建物は市庁舎の右隣りにあります。この建物の窓からからくり人形が見られます。午後9時になると時計の文字盤の左右にある窓から出てくる人形は、スウェーデンの将軍と市の代表で、酒飲み競争をします。この酒飲み競争に市の代表が勝ったので、スウェーデンの将軍を追い払うことができたそうです。深刻な話ですが、人形がとても素朴な造りなので、余計アハハと笑い飛ばすことができます。



今から400年ほど前、ドイツは宗教対立から三十年戦争という深刻な内戦に突入した。その上、ヨーロッパ中の国がこの内戦に介入したため大戦争に拡大してしまった。北方の大国スウェーデンもバルト海を渡って大軍で攻めて来た。ローテンブルグもスウェーデン軍に制圧されたが、街の代表者が酒飲み競争という一計を案じ、占領は回避された。



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04 April

#35.ハイデルベルク?

ハイデルベルクで知っていることと言ったら、アルト・ハイデルベルクが登場するミュージカル『学生王子』と55万年前に生存したハイデルベルク原人ぐらいだが、びっくりしたことに『学生王子』の話を知っている人は全くいないとのことだった。考えてみれば、ブロードウェイ・ミュージカルなのでもっともかも知れない。
さて、ハイデルベルクの街の奥、ネッカー川の左岸の高台にハイデルベルク城がある。今日の現地人ガイドは、ドイツ人と結婚されてドイツに永いことお住まいの日本女性の方だ。お話がお上手で楽しかったが、中でもハイデルベルク城に纏わるお話は絶品だった。17世紀の終わりごろ、ハイデルベルグを都とするプファルツの王女リゼロッテは、フランス国王の弟と政略結婚させられる。その後、ハイデルベルク城主の兄が亡くなると、フランスは結婚時の約束を破り、プファルツの相続権を主張してくる。プファルツが拒絶をすると、フランスは攻撃を仕掛け、プファルツ継承戦争が始まることになる。強大なフランス軍の前にプファルツはなすすべなく、ハイデルベルクは徹底的に破壊されたそうだ。このときの相手のフランス国王が、あのルイ14世で、ブルボン朝の最盛期、運の悪いときに継承権が途絶えてしまったものだ。というお話はとても興味深く聴くことができ、今でも思い出せるほどだ。その話と世界史で教わったことと重ねると、お金が山ほどあって、ヒマをもてあましていたルイ14世にとっては戦争が最大の仕事らしく、スペイン領ネーデルランド侵略、オランダ侵略、プファルツ侵略、スペイン継承戦争と侵略戦争を次々に起こしたが、期待した成果は上がらなかった。そんな戦争のひとつにされて、国を破壊されたのでたまったものではなかったろう。

廃墟と化したハイデルベルク城は、まさに「国敗れて山河あり・」という趣。ロマン派の詩人や芸術家の恰好のモチーフとなった。

ここは弾薬庫だったところで、フランス軍の攻撃で大破した。


昔のファサードが維持されている建物もあった。

ビールの醸造所から外を眺めてみる。

城からネッカー川と城下の街並みを見下ろすと、なかなかの景観。


三木清が溢れるほど書籍を購入した本屋。ガイドさんの説明によると、当時のドイツは超インフレだったので、留学生への日本からの仕送りは信じられない額に膨れ上がった。

ハイデルベルク大学の旧大学校舎の大講堂。デジカメだからと安心していたら、電池が切れてしまい、フラッシュが焚かれなかった。

入口に大学関係者の名標があった。カール・ヤスパースの名が目についた。このガイドさんのインテリジェンスは猛烈で、戦後のドイツ人の意識について話してくれた。日本人が近隣諸国に対して持つべき意識として非常に参考になった。勿論、基礎となるのはヤスパースの考え方で、期待以上の素晴らしい話を聴いて少し興奮した。

そのあと、有名なZumRitter、騎士の家で昼食となったが、残念なことにデジカメは電池切れで写真は撮れなかった。だが、運良く午後はバスでローテンブルグへの移動だったので、デジカメの出番の必要はなくなった。


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