Archive for May 2006

29 May

#73.ザルツカンマーグート?

オーストリアの湖水地帯がザルツカンマーグートだ。ザルツブルクからウィーンは向かう途中、ややザルツブルク寄りのところにある。古来、王侯貴族の保養地として愛された景勝地だ。今回のザルツカンマーグート巡りは、モントレー、ザンクトギルゲン、ザンクトヴォルフガングの3か所だ。ザルツブルクからのバスは、まずモントレーに入った。

モントレーは山の中の湖にある観光地という雰囲気で、まず空気、次いで山水の景色、そしておとぎ話のような街並みがきれいだった。純然たる景色だけの観光地で、政治的、宗教的、産業的、そして文化的な話題に乏しい街らしく、説明好きで良く説明してくれていたガイドさんも苦戦していた。というのも、話題はただひとつ、サウンドオブミュージックのマリアとヨラップ大佐が結婚式を挙げた教会が唯一のトピックなのだ。だから、何回も説明してしまうことになり、ガイドさんご自身で恐縮していた。だがこれも、本来はザルツブルクの大聖教で撮影したかったのだが、許可が得られずやむなくモントレーの教会になったそうだ。
早速、その教会を目指す。中は小さいが清楚で安心感の漂う空間だった。仲間の一行に、教会に入ると必ずお祈りをしている人がいるので、外に出たところで聞いてみたら、奥様に誘われて入信したとのことだった。ヨーロッパを旅するとき、お祈りをしている信者の方を見ると少しだが羨ましくなることがある。なんと言っても、この文化は全てキリスト教がもたらしたものと言っても過言ではないからだ。
湖岸に来た。雨で少し煙り気味なのが残念だが、シスレーの絵に出てきそうな風景だ。日が差していればそれこそ見事な印象派だ。

ザルツブルクの雨がここまで降っていた。煙った景色も、さながら西施の如く、雨でもまた一興というところか。象潟や雨に西施がねぶの花。


モントレーの街は典型的な観光地、色とりどりのメルヘンチックな建物が並ぶ。


モントレーの教会。サウンドオブミュージックで、マリアとヨラップ大佐が結婚式を挙げたが、実は第二志望だった。



また、バスに乗り込んでザンクトギルゲンに向かう。ここも、モントレーと同じような街だ。モントレーはサウンドオブミュージックだったが、こちらモーツアルトだ。ザルツブルクの二大観光資産をここでも分け合っているようだ。モーツアルトのお母様の出身地で生家があるという。結局、それしかないのだが、ここは船着場でザンクトヴォルフガングへの船はここから乗ることになる。船着場の前にはお土産屋があって、出発を待つ間、かなりの売上があったはずだ。手持ち無沙汰のこともあり、ザスツブルク名物のお塩を買うことになった。

ザンクトギルゲンの街も、建物は少なかったが眼を楽しませてくれた。


モーツアルトのお母さまとお姉さまが住んでいた家だそうだ。だから、どうなんだろうと考えても、仕方がない。


ザンクトヴォルフガング行きの船着場。乗船待ちの間、お土産屋は大繁盛だった。



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22 May

#68.ザルツブルク?

御一行様の市内観光は解散になり、自由行動になった。この日のザルツブルクは雨で、傘を持つのがめんどうだった。ガイドブックを見るとき、写真を撮るとき、なにかと邪魔になった。だが、ザルツブルクの旧市街の街並みは、雨の不便はあっても、濡れてなお一層輝きを増していた。その中心がゲトライデ小路で、中ほどにモーツアルトの生家がある。通りは昔のながらのお店がある一方で、現在の生活を支える店も同居している。建物から張り出た伝統的な意匠の看板が店の職種を示していた。日本の杉の葉を束ねたものが酒屋を表すような趣向である。ザルツブルクはこじんまりとしているので、通りはやがて終りになる。引き返すのが少しも億劫にはならないほど、歩いて飽きない通りだ。また、来た道を逆に歩く。

2日に一度は雨がふるザルツブルクだそうだ。今、モーツアルトと同じ雨に打たれたいる。右側の写真の左の奥、黄色い建物がモーツアルトの生家。オーストリアの国旗模様の長い垂れ幕が降りている。


ゲトライデ小路のお店の看板は時代に鍛えられた美しさがある。マックでさえこの通り。



その、ゲトライデ小路から瀟洒な通りに入ると、ジグムント・ハフナー通りだ。通りの名前を聞いてドキドキした。モーツアルトのパトロンで、ザルツブルクの市長まで務めた名士ジグムント・ハフナーだ。早速、聞いたことのあるメロディーが浮かんできた。35番ではなく、ハフナーセレナーデの第7楽章のメヌエットが耳の奥に響いてきた。いつかどこかで合奏したことがあるような錯覚に陥るメロディーだ。ちょうど良いぐあいのヘタクソ同士で合奏しても楽しくなれる曲だ。良い気持に浸りながら歩くと、この通りは高級ブティックが軒を連ねている。フェラガモの入っている店がザルツブルク名物のレインコートの有名店だそうだ。名物の話を日本で出発する前に聞いていれば、購入計画やフトコロの用立てもしてきたのにと悔やまれる。しかも、雨はまだ降り続いている。

ジグムント・ハフナー通り。とても瀟洒だ。オトナのハプスブルグを感じる。



ザルツブルクは小さな街なので、少し歩くと同じところに何度も出る。レジデンスの横を抜け、しばらく歩くとサンクトペーター教会へ着いた。ここに、サウンド・オブ・ミュージックに出てきたきれいな墓地がある。西洋の墓地は見ても楽しいので、パリなどでも墓地へは結構足を運ぶ。どうやら、このお墓が一番かななどと思いつつ墓地を後にした。

大聖堂の脇を通って、全然似ていないモーツアルト像のあるモーツアルト広場から引き返して、レジデンツ広場の隅にあるお菓子の名店「フュルスト」に入る。元祖モーツアルト・クーゲルは、1890年来の格式を保っているそうだが、もうひとつの名物のトルテをいただく。ついでに飲み物は、ウィーンまでとっておこうと思っていたが、ウィンナーコーヒー、アインシュペンナーを所望した。飲んでいると家内が誰かに挨拶をしている。ツアーの仲間だ、彼らも一服入れに来たようだ。しばらくすると、もう一組仲間が現われた。入口近くの席に座っていたものだから、外から私どもを見つけて、入ってきたらしい。○○さんも2階にいますよ、なんて言っていたら、さらにもう一組が加わった。今日は再集合がないが、するとしたら最適のお店だったようだ。

広場の一角で縁台将棋ならぬ、街頭チェス。こちらの建設現場もモーツアルト生誕250年かと思ったら、7月下旬のザルツブルグ音楽祭の野外開場の設営だそうだ。


サウンド・オブ・ミュージックでマリアたちが逃げ込んだ墓地。狭くてすぐ見つかりそうだ。そこで見たイチオシのお墓。


さしずめ一行の連絡所になったフュルスト。雨でなかったら白い椅子で外で、それこそ一行のインフォメーション・センターになっただろう。



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17 May

#65.ザルツブルク?

ミュンヘンからバスでオーストリアに入ったが、パスポートの提示も求められなかった。EUの中は便利で、国境とか入国とかを全く意識しないで済む。オーストリアへ入るとザルツブルクはすぐで、国境に近いところに位置しているらしい。
御一行様の観光はミラベル宮殿からだ。映画サウンド・オブ・ミュージックに出てくる宮殿で、庭の花がとても美しい。宮殿の向うを望むと、小高い山の上にザルツブルク城が聳えている。庭園だけの観光だが、見飽きることがないほど、花も花壇も庭もきれいだった。ふと、みたことのある階段があった。そうだ、サウンド・オブ・ミュージックでのドレミの歌の階段だ。

サウンド・オブ・ミュージックの舞台になったミラバル宮殿。中には入らなかったが、とにかくお庭がきれいだった。


ドレミの歌の階段。右の遠方に聳えるのはザルツブルク城。どこもかしこも絵になる景観だ。


次はお目当ての旧市街へ向かった。その途中、モーツアルトの家があった。生家ではなく、17歳から25歳のころ住んでいた家だそうだ。すると、ここで湯水のように名曲が作られていたわけだ。ザルツァッハ川を渡り歩いていると、今度はカラヤンの家だ。ご丁寧に裏庭には銅像まであるが、なるほどカラヤンだった。
さて、史蹟のかたまり旧市街に入った。まずは、モーツアルトの生家だ。中に入ると階段を登って4階まで上がれる。家族のことなどから、天才が育っていく家庭だか過程だかが分かる。ショップがあったがめぼしいものはなく、ピアノの形をしたクリップをお土産に所望した。
そのあとザルツブルク大司教の館であるレジデンツの周りを歩いて、立派なザルツブルクは狭い市街に不釣合いな大きさで、正面から写真は撮れなかった。ヨーロッパ最古と言われているレストランを見て、ザルツブルク音楽祭などの会場になる祝祭劇場の前に行ったが工事中だった。来年はモーツアルト生誕250年なので、ザルツブルクはどこもかも工事中だ。その中で、御一行様の見物は解散となった。

ザルツァッハ川。この川を越えると旧市街に入る。右はカラヤンの家だが、裏に回るとご丁寧にカラヤンの銅像がある。かえって安っぽくなっている。


モーツアルトが17〜25歳のころ住んでいた家。右は生家。モーツアルト・ミュージアムだ。


モーツアルト生誕250年に合わせて突貫工事か。ここ祝祭劇場も例外ではない。


レジデンツの脇の広場。右はそこにあったヨーロッパ最古のレストラン。あのチャールズ大帝も訪れたそうだが、1000年以上昔のことを誰がウソだと言えるだろうか。



夜は、サウンド・オブ・ミュージックのデナーショウを観た。サウンド・オブ・ミュージックもモーツアルトに並ぶザルツブルクの観光資産で、あちこちでサウンド・オブ・ミュージックなのだ。
電子オルガンとオシャベリだけの前座のミニ・ショウがあったが、多くの国から来ているお客に対して、国名を聞いてはその国の音楽を即興演奏して上手に盛り上げていた。となりのテーブルのヨルダンからきた4人家族、旦那、奥様、2人の息子、揃って極めて上質な美男・美女だった。奥様なんか容姿といい年頃といい、趣味の範囲なのだが、上の息子、13歳ぐらいだろうか、これぞ美少年。タイプは違うだろうが、映画『ベニスに死す』に出てきたビヨルン・アンドルッセンに匹敵するほどだった。ミニ・ショウは終りにラデツキー行進曲なんかをやって拍手をさせ、会場を盛り上げ前座の役目を果たしていた。
真打ちのサウンド・オブ・ミュージックのショウはミュージカルの軽い仕立てで観やすかった。だけど、どこがサウンド・オブ・ミュージックなのかわからなかった。こっちがオリジナルとのことだが、妙なストーリーだった。最後の方で観客が参加するシーンがあって、それまでノリの良い拍手をしてあげていたせいか、一番前に座っていたこともあり舞台へ引っ張り上げられた。でも、上がったからには日本代表、もうひとりのツアー仲間と一生懸命ショウに参加した。脚が痛くなったが、そこは得意の痩せガマンで乗り切った。


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