Archive for July 2006

10 July

#104.ウィーン?

ウィーンの最後の晩は、旅の最後の晩にもなった。この晩は、シェーンブルン宮殿のオランジュリー館でコンサートがある。オランジュリー館というのは、元は温室でオレンジでも栽培していたのだろうか。パリには、同じオランジュリーを冠した美術館があって、モネの睡蓮の大部屋が有名だ。憧れのオレンジを自家栽培した温室の再利用が、ウィーンではコンサートホールになり、パリでは美術館になった。お国柄というか、各々のアイデンティティーが出ていておもしろい。

暮れなずむシェーブルン宮殿に向かうのは、ちょっとした良い気分になった。見学用の通用門とは違う雰囲気の入口から中に入った。やはりコンサート、盛装の方も散見された。5ユーロのプログラムを買ってみると、第1部がW.A.モーツアルトで、第2部がシュトラウス一家となっていて、それぞれ8〜10曲の構成だった。いずれも短く編曲して変化のある構成してあり、とても聴きやすかった。

編成は16名だが、第1ヴァイオリン4、第2ヴァイオリン2、ビオラ1、チェロ1、コントラバス1、フルート1、オーボエ1、クラリネット1、トランペット1、ホルン1、パーカション1、となっていて、コンダクターはヨハン・シュトラウスよろしくヴァイオリンを弾きながらの指揮だ。
金管の低音はホルンが全てを引き受けていて、トロンボーンやチューバの音まで賄っていたようだ。サッカーでいえば、ボランチの選手がボランチは勿論、センターバックとサイドバックまで一人でこなしたようなものだ。
また、パーカションも忙しかった。ティンパニー、バスドラムは言うに及ばす、ヨハン・シュトラウスのポルカは妙な擬音が入るので本当に大忙しだった。挙句の果てというか、アンコールの定番『ラデツキー行進曲』では、さっとスネアドラムを引き出して、真っ先にスティックを打ち始めたのには、忙しいのは慣れっこという感じだった。
普段は主役になれないホルンとパーカションのガンバリには特別な拍手をおくりたかった。

途中、『フィガロの結婚』の曲ではシンガー、ヨハン・シュトラウスのワルツにはダンサーが加わり、飽きのこない演出をしていた。ちょっと歌が入る、少しだけバレーが入るというとき、日本との層の厚さの差を感じてしまう。チョイの出演でも、「こんなにやるのか」という印象だった。

オランジュリー館。正門の左手に広がっている。


入口は普通の建物に入る感じだ。小さ目のコンサートホールは聴きやすそう。


休憩時に外へ出てみた。午前中歩いた庭はすっかり暗闇で、そこから見たオランジュリー館だ。


コンサートが終わったので写真を撮った。演奏の最中でも立ち上がってフラッシュを焚いて写真を撮っていた中国人と思わしき人物がいたので、民度の高さを示すべく日本人として自粛した。



06:00:00 | datesui | 4 comments |

03 July

#98.ウィーン?

ウィーンの中心街ケルントナー通りを歩く。さすがに、オシャレな感じがいっぱいに漂ってくる。道行く人も垢抜けた人が多く、若い女性もかわいい感じの人が見かけられる。ホーエンツォレルン家の無骨なドイツとは違う、腐っても鯛、ハプスブルクのオーストリアだ。


ケルントナー通りの賑わい。左下の女の子、この旅一番の被写体に巡り会う。この写真で、この旅もどうにかサマになった。
 


そのまま歩いて、シュテファン寺院の前に出た。モーツアルトの葬式が執り行われた教会だ。この界隈も人出で賑わっていた。でも、実に素朴なもので楽しんでいるようだ。楽しみの消費にかけては、日本は最先端で、次から次へと新しい楽しみが現われ、まさに楽しみの消費大国だ。


シュテファン寺院。ドイツゴジックの傑作。ドイツ、オーストリア、チェコなどのドイツ語圏のゴジックは単塔式が多いとのこと。
 

この界隈も人出がく、洗練された人たちも多い。大道芸のような余興があるのだが、何が楽しいのだろうと訝ってしまう。
 



トラム、路面電車ことだが、早速利用してブルク劇場へ出かけた。観たい演目があったのではない。ただ、どうしてもブルク劇場そのものを見ておきたかっただけだ。『魔笛』の初演など、語り継がれる逸話にほ事欠かない劇場だ。どんな内容だが知らないが、『ブルク劇場』という名画とされている映画まであるそうだ。

トラムは自分でドアを開けて乗り、自分でドアを開けて降りるそうだ。乗るときは、うまい具合に他に乗る人がいて、自分でドアを開けないで乗れてしまった。ブルク劇場への停留所というか駅の名前も侭ならぬ状態だったのでキョロキョロしどうしで乗っていたが、近づいてくるうちにドアの開け方が気になった。ちょうど降りる人がいたので、眼を皿のようにして開け方を確かめた。よし、わかったとばかり、ブルク劇場のそばに来たので勇んでドアを開けて降りた。うまくいった、満足だ。と、思った瞬間、大変なことを忘れていた。ドアの開け閉めのことで頭が一杯で、料金を払うのを忘れてしまったのだ。

ブルク劇場。冥土の土産になるか。振り向くと市庁舎だ。
 


また、トラムで国立オペラ座まで戻った。今度は、料金もちゃんと1.5ユーロ払った。乗る前に買っておくと、1ユーロになるのだが、ここで1ユーロで乗ったらお天道様になんと言われるか。次のお目当ては、ホテル・ザッハーのカフェ・ルームだ。元祖ザッハートルテをいただくためだ。
ホテル・ザッハーでは混んでいたらどうしよう、などと思っていたが、全くの杞憂で、雰囲気のある席に案内してくれた。念願のザッハートルテとアインシュペンナーが目の前に現われた。このときを何年待ったのだろうか。長生きはするものだ。
ホテル・ザッハーから出ると、壁にアントニオ・ヴィヴァルディの表示があった。晩年の消息がよく知られていないヴィヴァルディだが、確かウィーンで没したと聞いたことがある。表示を見ると、ドイツ語なので不安があるが、亡くなるときまでこの界隈に住んでいたらしい。


ザッハートルテとアインシュペンナー。ただ、美味。アントニオ・ヴィヴァルディがホテル・ザッハーに居たそうだ。享年まで居たらしい。
 




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