Archive for 08 November 2006

08 November

#157.常寂光寺 −紅葉の嵯峨野?−

二尊院から常寂光寺へ向かう道は、嵯峨野のメインストリートだろう。平日であったが、人通りは半端ではない。天竜寺から大覚寺まで、嵯峨野は瀟洒なスポットが連続していて飽きないこともあるが、それぞれの個性もまた見事である。

常寂光寺は山腹に上へ広がったお寺である。だから見るものがないと非常に疲れる。今回は紅葉という見るべきものがあるので、上へ上へニンジンを追いかける馬車馬のように登ることになった。

お寺自体はとりたてて取り上げるものは少ない。静かな佇まいというのが唯一の売りだろう。そして紅葉だが、京都五選に数えられるスポットという評判を裏切ることはなかった。仁王門から始まって、少し登ったところにある本堂の周囲、更に山道を登り詰めた多宝塔と、どこも形の良い紅葉に囲まれていた。


門のあたりから紅葉がきれいだ。



本堂界隈の紅葉。常寂光寺の紅葉は色もさることながら、一枚一枚の形がきれいだ。
 


重要文化財の多宝塔から紅葉越しに京都の街を眺める。遥か彼方には東山が見える。




門を出ようと思ったとき、妙な石碑に気づいた。彫りこんであった文字は『塵劫記(じんごうき)』で、江戸初期の和算の名著だ。著者は吉田光由で、遠縁であった角倉家の支えで出版できたそうだ。内容は実用に向けた教科書というべきもので、九九から始まり、度量衡、利息の計算、検地などの実際に加え、まま子立てや鼠算などの数学遊戯も丁寧に解説されている。図が多く、朱緑黒の三色刷りまで採用されていて親しみやすさは大いに注目されるものである。
何でこんなものが常寂光寺にと思ったとき、この常寂光寺自体が角倉家の所縁の寺で、さまざまな寄進がされているとのことである。また、角倉了以は、家業の医者を弟に譲り、海外貿易や土木工事で活躍したのは良く知られたところだが、博識で数学地理に長じ、子の素庵とともに文化学芸のパトロンとして重要な役割も果した。


『塵劫記(じんごうき)』の石碑。数学好きには、常寂光寺にまた来る必要が生じた。





二尊院から常寂光寺へのメインストリートに、俳人向井去来の墓がある。去来らしく人食ったような墓だが、化野念仏寺に置いたら8000体のひとつにしか見てくれないだろう。

ただの石と言ってもおかしくない去来の墓。去来が晩年過ごした草庵の落柿舎だが、狭いので表で待つことになる。
 



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