Archive for 27 April 2006

27 April

#52.ご都合でできた歴史

このところのテレビの首都圏ニュースを見ていると、群馬県の富岡製糸所の話題が立て続けに出てきた。富岡製糸所といえば明治の殖産興業の代名詞的な存在で、明治政府が威信をかけて明治5年に操業を開始した。その建物を残したり、製糸の設備を保存したりしようとする話だ。

製糸は日本に根付いた養蚕業を基にしたものであり、また当時の国内産業では珍しく海外での競争力もあり、殖産興業化は日本として当然の選択と思えるものだ。この製糸所を建設したのは、ポール・ブリュ-ナーを始めとするフランスの技術者なのだが、実は彼らは横須賀に造船所を建設する目的で来日していた。これが急に造船所から製糸所に変わってしまったのだが、理由を日本政府の熱い想いや強い要請が功を奏したものと考えたくなるのが人情かもしれない。ところが変更はフランス政府の都合だったのだ。

フランスは中部のリヨンを中心として絹織物が盛んだった。ヨーロッパの社交界も新興資本家などの台頭で活発になり、絹の需要が好調だった。だが、これだけではいくらなんでも極東の端から絹を持って来ようなんて考えることにはならない。その頃フランスへ絹の供給をしていたのはイタリアだった。そのイタリアで深刻な事件が起きたのだ。蚕の伝染病である。これによってイタリアの蚕は大打撃を受け、フランスへの絹の供給が止まってしまった。しかも復旧の見通しが立たなかったので、困ったフランス政府は先に横須賀造船所をつくるために派遣した技術者を、窮余の一策として製糸所建設に鞍替えさせたのだ。こんな無茶な話は、本来なら日本の政府も受け入れられる話ではないが、養蚕業と外貨獲得のことを考えれば受け入れは容易だったと考えられる。こうして富岡製糸所は、明治5年という極めて早い時期に近代工業として出発したことになる。

日本史の教科書にはこのような逸話は載っていないが、イタリアで蚕の大量死がなければ近代化の象徴富岡製糸所はできなかった可能性さえあったのだ。


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