Archive for 14 September 2006

14 September

#148.一手の重み

日曜日のNHK教育テレビでは将棋と囲碁の番組がある。将棋が午前中で、囲碁は午後だが、ともに2時間なのだ。昔、将棋と囲碁をしてまたが、碁は将棋の倍近くの時間が掛かったような気がする。それなのにテレビでは同じ時間なのだが、プロともなるとこれで済ますことができるのだろうか。
将棋が一局終るまでに双方が指す手数は、5〜60手ぐらいだ。だから全部で100〜120手が相場だろう。これが囲碁になると、その倍にはなるので、時間も倍掛かるのではないかというのが素人の考えである。将棋に比べて囲碁は密度の低い対局をしていることになるのではなかろうかという心配である。でも、これは100mの競走もあればマラソンもあるのと同じだそうで、将棋と囲碁では距離の違うレースをしていると思えばいいらしい。

そこで、いろりおあるゲームの手数を考えてみると、やはり囲碁は競技人口の多いゲームの中で長手数のチャンピオンだ。次いで、将棋になるが、チェスは将棋の半分程度だ。麻雀は手数変動が大きいが、ひとり10〜14手ぐらいだろう。バカッ花になるとひとり8手の3人で24手になる。
もっと少なくなると、オイチョカブは張るときと引くときの2手になり、究極の丁半バクチはたったの一手である。ここまで少なくなると、わかりやすくなるのだが、手数の少ないゲームは単純に確率の問題になってしまって、手順や定石やらの作戦的な読みなどはほとんど介入しなくなる。一方、手数の多いゲームはサイコロを振るときのような要素はなくなり、その気になれば必勝手順も存在するのだ。それを、手数を多くして人智の届かない規模にして成立させているわけだ。
紙の上に2本の線を井桁状に引いて9つの升目をつくり、そこへ○と×を交互に書き入れて、3つ並んだら勝となるTick-tak-toeという子供のゲームがあるが、これは将棋や囲碁のようなゲームの中では最小の規模のものだろう。だから慣れてくれば、ゲームはほとんど引き分けになる。一方、確率型の長手数のゲームは、ゲームとしては存在が確かめられないが、論理的には宝くじが相当するのではなかろうか。
その中で僅か60手の論理型のチェスは、必勝法が見つかってしまうのだはないかという心配がある。人智の挑戦はわかるが、やはり見つかってしまったらおもしろくない。


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