Archive for March 2007

29 March

#226.お酒と朝型生活

泣かし屋の達人、浅田次郎は小説家としても一流だが、他のことでも浅田次郎独特の一家言はとても素晴らしい。駆け出しの作家のころ、家計を支えたブティック稼業も素晴らしいが、勝たなければならなかった競馬もお見事だ。もうひとつ、浅田のお酒の一言が面白い。あの顔をして、お酒は全くの下戸とのことだ。ブティックを営んでいたころ、彼は夕食が終ったあと普通の作家なら、ここで一杯となるらしいのだが、彼は飲めないこともあって、自室に篭り執筆活動をしていたそうだ。二足の草鞋とお酒を飲めないことが、こんなライフスタイルにさせたのだろう。浅田は、お酒を飲むとお酒を飲む時間がもったいないのは当然として、そのあとの時間も無駄になるのが惜しいという。全くの下戸なので酔っ払っては商売にならないのだろうが、起きてはいるものの働かない体が惜しかったことだろう。普通の酒飲みなら、酔っ払った気分を楽しむものなので、飲んだあとはむしろ至福の時であり、このために酒を飲むわけだ。

会社の先輩に朝早く来る人がいた。良く朝早く来られますね、と声を掛けたら、飲んで帰るとそのまま寝ちゃうので、朝早く目が醒めちゃうんだ、との弁。なるほど、少しでも飲んでしまうと何もできない、それなら寝るのが一番だ。家へ持ち帰りの仕事があるとき誘われ、良い加減で切り上げて帰ったが、結局お酒が抜けるまで仕事にならなかったことがある。そんなとき朝型生活を知っていたら、さっと寝ることができたはずだ。でも、慣れない早寝をしても、起きられなかったらどうなったのだろうか。もし実行していたら、恐ろしいものがある。宵っ張りの朝寝坊は60歳になっても健在だ。



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26 March

#224.早来の一周忌

明日の27日は私、早来の一周忌だったそうだ。恥ずかしながら自分の命日も知らぬまま亡くなっていたようだ。というのも、『伊達や酔狂です』の著者、競馬文化人早来新市の名前の由来である北海道の早来町が、町村合併で去年の3月27日に消滅していたのだ。早来町がなくなっていたのも知らずに別の話題で調べたら、安平町に変っていたことがわかった。
元々は1906年に安平(あびら)村で出発したものだが、1952年に追分村が分村したため1954年に安平村が早来村となった。1957年に町制を施行し、北海道勇払(ゆうふつ)郡早来(はやきた)町となったものだが、それを2006年元の縁りを戻すように追分町と合併し、名称も昔の名前に戻って安平町になったそうだ。そうのような事情があるので、仕方なくひとりで自分の一周忌を悼んでみることにした。

では、新市はどうだろうか。新市は競馬の聖地、英国のニューマーケットに由来している。英国の市町村合併や名称の変更の情報まで到底つかみきれないが、伝統の国、英国のことだ変更ナシと思っている。海外の地名の大々的な変更は、今から40年ほど前、ソ連でスターリン批判があり、スターリンの名のつく地名が悉く抹殺された。300にも上る地名の変更をしたソ連当局はこれでスターリンの地名や駅名は全て消えたと豪語したが、さすがフランス、早速揶揄を入れた。パリの市内にスターリングラードという地名があるのだ。当時の新聞には、「どっこい、ここまでは変えさせないぞ」という記事が載っていた。メトロの駅もあり、30年ほど前に行ってみたが、降りずに通過した。なにせ東駅の北側、いかにも場末、場末していて、とても怖くて脚が動かなかった。
スターリンはともかく、自分で自分を悼んでみるのは案外おもしろいかもしれない。


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22 March

#222.情報に囲まれて

新聞を読んだり、テレビを見たり、本を読んだり、ネットを検索したり、さまざまな情報がさまざまな形で得られることは実に楽しい。情報にはたくさんの種類と形があるわけだが、その違いは鮮度だろう。活字文化の中核を占める、新聞、週刊誌、書籍を比較すると、情報の鮮度に差があることがわかる。生鮮食品のような新聞、対して書籍は缶詰のようなものだろう。その中間にある週刊誌は、食べ物でいえば干物のようなものになるのだろう。食生活では生もの、干物、缶詰などを配合良く食べることが必要だろうが、情報の世界でも、生鮮的情報、干物的情報、缶詰的情報をバランス良く摂取することが大切になるはずだ。情報は鮮度が命などといわれ、とにかく速いことが評価されそうだが、干物的情報や缶詰的情報の価値とはどんなことであろうか。つまり、鮮度に対抗する評価価値である。

速くて不都合なことは、時間の経過が必要なことだ。これには、時間が経たないと真相わからないことや、評価が定まらないことがある。つまり、干物的情報や缶詰的情報には真の姿や定説などの確度の高い情報に変換されていることになる。といことは、生鮮情報だけで済まそうとすると効率が悪い。情報量が増えてしまうこともあるが、数日立てばわかりやすくなる情報や不用になる情報もあるからだ。また、書籍のような情報は多くののフィルターを潜った選り抜き精選された情報であることや集約凝縮された密度の濃い情報であることが多い。だから、鮮度の高い情報だけではなく、さまざまな形の情報の摂取が必要なのだろう。

鮮度と確度、これが情報を評価する価値となる訳だ。そこで、活字文化以外の最大の情報であるテレビは生鮮的情報に違いない。ネットの情報はどうだろうか。これも生鮮的情報であることは変わりないが、少し様子が違う。テレビが扱う生鮮は産地表示やブランドの確かなトレサビリティーも可能である品質保証された情報である。ところが、ネットの情報は、品質管理の行き届いたお店では見られないような珍しいものや商業ルートに乗らないものまで手にすることができる。そこでは、賞味期限などの品質管理はおろか、有毒なチョウセンアサガオをオクラと間違えて売っているようなこともあるのだ。だから当然のことだが、情報の発信者の責任よりも受けての責任が問われることになる。また、鮮度と確度が情報の評価軸であったが、ネットの社会では希少性も評価軸になっている。活字文化では見られない耳より情報とか井戸端会議的な情報など、不思議な情報群がネットには存在する。発信者の責任があまり問われない社会だからできることではあるが、便利ではあるが危険も孕んでいる。いろいろな経験を積んで、いずれ落ち着くところへ落ち着くのだろうが、早く収束して欲しいものである。


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08 March

#214.桜の開花予想

桜の開花予想が気象庁から発表された。東京の開花は3月18日で、例年の3月28日より10日も早いそうだ。例年というのは、1971年から2000年までの30年間の平均で、気象データの平年というのは全て1971年からの30年のデータで、10年毎に更新されるようだ。地球全体がジワジワ暖かくなっているようで、桜の開花も年々早くなっているとは容易に想像着くが、遡るとどうだろうか。NHKテレビの気象予報の時間では80年代の10年間の平均は3月30日、90年代は3月26日、そして2000年代は3月24日と報じていた。やはり早くなっているようだが、最も早い開花は、2002年の3月16日ということらしい。

気象庁では、桜だけではなくこの他にも何がいつ起きたかということを調べているそうだ。生物季節観測といって、ウメの開花、タンポポの開花、などの植物に加え、ウグイスの初鳴き日など動物の動きも観察している。ちょっとヒマそうな話に聞こえそうだが、温暖化による危機を訴えかけるには恰好のデータだと思える。冬眠しあぐねたカエルなど、不気味な感じがする。そこで、季節感覚を呼び戻すために、その生物季節観測とやらのデータを覗いてみよう。理科年表には全国76か所の30年間の平均データが載っているが、東京の分を見てみる。

 ● ウメの開花日       1月29日
 ● タンポポの開花日     観測データなし
 ● ソメイヨシノの開花日   3月28日
 ● ソメイヨシノの満開日   4月5日
 ● ヤマツツジの開花日    観測データなし
 ● ニダフジの開花日     4月23日
 ● サルスベリの開花日    7月16日
 ● ススキの開花日      9月5日
 ● イチョウの黄葉日     11月19日
 ● イロハカエデの紅葉日   11月28日
 ● ウグイスの初鳴日     3月5日
 ● ツバメの初見日      4月3日
 ● モンシロチョウの初見日  観測データなし
 ● ホタルの初見日      観測データなし
 ● アブラゼミの初鳴日    7月27日
 ● モズの初鳴日       9月24日

暖冬では春の風物詩の到来が早くなるが、冬や晩秋の生物季節の動向が遅くなるのは秋が暖かいせいだろう。去年の暮れのブログで、東大のイチョウが黄葉のまっ盛りにあった写真をご覧いただいたが、あれは12月の8日だったと思う。あのイチョウもやはり暖秋の影響で黄葉になるのが遅れたものと考えられる。春のものが早くなり、冬のものが遅くなるのは単なる暖冬、暖秋ではなく、地球規模の温暖化であることは疑いのないところだろう。
一方、生物季節のデータを見ると、東京ではタンポポやモンシロチョウは見られないらしい。子供のころの1950年代は見ることができたので、懐かしさが込み上げてきて残念だが、そんな50年も前の話は平年データからも外されているので、論外なのだろうか。


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05 March

#212.会話から文脈が消えた時代

「ていうか」という言葉が氾濫して何年経つだろうか。この言葉が最初に耳にしたとき、何となく嫌な気がしたのだが、実害がなかったので目くじらを立てるようなことはしなかった。ところが、この言葉を相手に実際の場面で使われてみると、かなり不快な言葉である。なぜかは、そのときは答を見出せなかったのだが、斉藤孝の『質問力』という本を立ち読みしていたら、コミュニケーションについての記述に解を発見した。
今までの会話の文脈や相手が話した文脈を一方的に切断して、自分の文脈に切り替える言葉であることだそうだ。いやはや、鋭い指摘で、その通りである。でも、どうしてこんな会話が成り立ってしまうのだろうか。それは、初めから相手の眼を見て、返事を期待するような会話を目論んでいないからだ。会話というものを、ゲームのキャラクターとの情報交換と同じレベルのバーチャルな世界での会話と決め込んでいるからだろう。

4日の日曜日、近所のララポート・豊洲へ日課の散歩に出かけた。オープンして半年が経って、客足も落ち着いてきたところだ。こちらは、日常の生活とは縁遠い店ばかりなので散歩の対象でしかないのだが、それでもK書店などは恰好の立ち寄りスポットだ。書店に入り棚を見ていたら、お気に入りを見つけ購入することした。
カウンターに行くと、複数の窓口を一列に並んで処理するタイプで、また空いている窓口の女性は手を挙げてお客を呼ぶなど、待たせないような配慮は窺えた。早速、促がされる侭、空いている女性のところへ本を持って行った。
「カバー致しますか?」「結構です」、K書店のカバーは好みではないので断った。それに何となく早く済ませたかったこともあった。「ポイントカードはございますか?」「ありません」「失礼しました」という会話の後、「駐車券は必要でしょうか」「いりません」「失礼しました」という会話が続き、やっと「5166円になります」という聞きたい会話になった。財布の中から千円札を5枚出し、小銭入れから166円を出してトレーに置いた。「5166円、丁度いただきました」と言ったあと、「少々お待ちください」と言って奥に入ってしまった。本は渡してくれないので仕方なく待っていたが、見ると奥のレジの前にいる上司のような人のところ行っていた。そこでは、広いカウンターの全ての売上を1件1件、1台のレジで処理をしているようだ。やがて、「領収書です」と恭しく持ってきたが、「いらない。どうして本をくれないの」と言ったら、「失礼しました」という会話になってしまった。
おもしろいことに、こちらの話したことへの返事が全て「失礼しました」ということになったのだ。

バーチャル会話とマニュアル会話、これでは文脈を意識した豊かな会話が育つわけもない。敬語が云々言われているが、問題は敬語ではなく日本語そのものであることが多い。日本語云々という前に、根本的な人格形成の問題なのだろうか。


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