Archive for October 2007

29 October

#291.磐越西線

この前の金曜、土曜で会津へ行きました。いろいろな企業の方が集まって合同で企画を考える会で、言わば異業種合同合宿のようなものです。場が変わることによる普段と違う発想力を期待するのがねらいですが、特に会津はその期待が大きく持てそうです。会津盆地という周囲を山に囲まれていますが、その囲まれ方も半端ではなく、海から遠く離れた奥の奥で囲まれています。また、会津は歴史的にも独特な文化があり、そのユニークさも際立っています。代表をひとつあげれば食べ物で、興味深い乾物文化あります。例えばイカといえばスルメで、イカの天ぷらはスルメを水で戻したものを揚げたスルメの天ぷらなのです。

その会津の温泉郷といえば東山温泉で、その老舗中の老舗『向瀧』が会場でした。小泉元首相もお泊まりなったという由緒ある宿で、さすがに造りもお湯も料理も素晴らしく少しはいい案も出てきたと思っています。

その帰路、郡山から東北新幹線で一気に東京というのが普通ですが、今回は磐越西線を西進して新潟を目指しました。3時間あまりの長旅で、期待した車窓の紅葉はまだ早く、おまけに台風の影響による雨でよく見ません。車内を見ると、会津若松を出た時はかなりいた乗客も県境に差し掛かるころは少し減ってきました。このまま減るのかと思ったら、新潟県に入ってまた乗客が増えてきて、全線を通じては意外としぶとくお客がいるなという印象でした。
これだけでは突飛なことかも知れませんが、会津は日本海からの文化の影響が強かったと思わざるをえません。

東山温泉の『向瀧』
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20:58:01 | datesui | No comments |

25 October

#289.怒り心頭

25日の朝日新聞にロジェストウェンスキーの話が載っていた。突然、ロジェストウェンスキーと言ってもわかりかねる方も少なくないかと思うが、司馬遼太郎の名作『坂の上の雲』に出てくるバルチック艦隊の司令官と言ったら思い出す方も多いだろう。どこかの方がロジェストウェンスキー司令官の書簡なるものを読み解き、彼は巷間言われているような愚者ではないという。

いや、そんなことは思ってもみなかったのだが、彼はなぜ愚者にされていたのだろう。『坂の上の雲』を読むと、いくつか感動を受けることがあるが、ロジェストウェンスキーの航海というバルト海からはるばる日本海へやってきて海戦を行うくだりもそのひとつであった。
日英同盟の中、イギリスの支配地を避けるように大西洋を南下してケープタウンのはるか南を通り、シンガポールにも寄れずに極東へ向かう。とき知れず現れたドイツやフランスの船舶に補給を得ながらの作戦続行である。しかも、インド洋上では水兵の反乱まで起きる。その上、ロジェストウェンスキー自身は反対したのだが、やっと動くような旧式戦艦まで引き連れての長旅だ。よくこれで、対馬沖まで来たものだ。これだけでも褒めるに十分だ。
そして、敗れたとはいえ日本海海戦を戦ったのだ。大砲もちゃんと撃った。その証拠に日本の旗艦の三笠が百発を超える被弾をしていて、むしろ三笠はその被弾に耐えたことを誇りにしているほどなのだ。総合すれば大変な統率者だ。歴史に残る名軍人なのかも知れない。少なくとも『坂の上の雲』からはそう読み取れた。

だが、新聞では司馬遼太郎が彼のことを愚者と呼んだと決めつけ、新たに書簡などを読むことで初めて愚者でないことがわかったようなことを言っていた。自分の成果を際立たせるために、司馬遼太郎も捻じ曲げてしまうとは何事だろうか。実にけしからん。


21:10:00 | datesui | No comments |

24 October

#287.影の薄いお金

最近、見慣れないものに出会った。しかも、2,3回、続けざまにだ。なんてこったない、2千円札なのだ。しかも同じ場所だ。郵便局のお釣りでもらったのだ。先方も渡すときに後ろめたさでもあるのか、「2千円札ですのでご注意ください」とまあ、丁寧なことだ。そんな具合の悪いものならお釣りに使わなければよさそうなものだ。民営化になったのだから、政府に無用な気遣いなどいらぬはずだ。

ところがもらった側も実は困るのだ。モノを買う時など、こちらはお客だから何で決済しても良いのだが、2千円は自分でも間違えそうで使うのが嫌なのだ。だから、不意に小銭が底をついても良いように、小さく畳んで小銭入れの裏のポケットに忍ばせておくのに使う。千円ではもの足りないが、2千円なら少しはマシということだ。使うとしても、スイカのチャージとかなら気兼ねなく、またいつでもOKなので専らそんな使い方になるようだ。

流通量が極端に少ないので余計こんなことになるようだが、ここへきて頻繁に出会うということは流通量でも増やしているのだろうか。それは何を意図しているのだろうか。デフレスパイラルもどうにか切り抜けたので、一気にインフレへの加速でも狙っているのだろうか。今月、どこかで2千円札をもらったらそう思うことにしよう。そのためには郵便局でお釣りをもらえば叶うか。


23:34:00 | datesui | No comments |

19 October

#284.王手

プロ野球は今年からセパともにクライマックスシリーズを採用して、ポストシーズンが慌ただしくなった。まっ、おもしろくなったと言って良いのかも知れない。セパともに同じルールで、2戦先取の第1ステージ、3戦先取の第2ステージのあと4戦先取の日本シリーズとなる訳で、パリーグはシーズン成績1位の日本ハムが2年連続の日本シリーズ出場を決めた。セリーグは第2ステージの第1戦が終わったところで、まず中日が先勝した。もし中日がもうひとつ勝つと、第2ステージの勝ち上がりにあと1勝となる。

このようなあと1勝の状態をマスコミはなぜか「王手」という。これには違和感を抱くのだが、王手とあと1勝は意味が違いはしないかということだ。将棋では王手をかけたからといって、必ずしも次は勝てるとは限らないのだ。むしろ、王手は追う手と言って、下手な王手は相手の王将の逃げるのを助け、捉らなくなることさえあるのだ。

「いよいよ王手です。」などとスポーツ担当の女性キャスターも当たり前のように王手を使っているが、どこから始まったのだろう。この王手の誤用を最初に聞いたのは30年以上前になるがロッテの監督をしていた金田正一からだ。中日との日本シリーズで第5戦をロッテが勝ち、3勝2敗になったところで、「さあ、王手だ」と言ったのを覚えている。王手じゃ追い詰めたことにはならないので、金田は変なことを言っていると思ったのだが、次の日のスポーツ新聞には「カネやん王手!」というデカイ見出しが躍っていたのだ。将棋の世界では王手をかけないでも勝つことがあるし、かけるときは即勝ちの場合なのだが。


00:25:03 | datesui | No comments |

15 October

#281.旬の今様

先日、マーケティングに携わる人たちが集まって語り合う会があった。いろいろな話が出て、「日本人は売る方も買う方も期間限定が好きなのよね」というご意見が出た。それを聞いて、「旬」という言葉が思い浮かんだので、とっさに「それは旬なんですね」と言ってみたが、そのあとは頭の中がゴチャゴチャとして言葉が続かなかった。だが、間髪をいれずに「そうですね。桜の散り際みたいなものには、日本独特の感覚があると思うんです」と別の方からフォローが入って、話が回ることになり、旬の責任を取らなくてもよくなったことはありがたかった。

でも、何がこの狭い頭の中でゴチャゴチャしていたのだろう。後で良く考えたら2つのことだった。ひとつは平安貴族にあったような散り急ぐものへの惜しむ気持であり、もののあわれのような気持ちだろう。もうひとつは、花見に見遅れまい、花見を見逃すまいという気持ちで、終電駆け込み型の横並び発想だ。落語の『長屋の花見』にあるように、江戸時代にはこのような終電駆け込み型の旬も一般的になっていたのだろう。この会で話題になっている期間限定は、人工的な旬の強制だが、当然終電駆け込み型を目論んだものだ。

日本という風土や文化は常に季節感が礎になっている。細やかな季節を感じる心が、時候の挨拶などに変化のある文化をつくりあげた。夏の暑いころの挨拶も、立秋を過ぎれば暑中見舞いから残暑見舞いに変わり、さらに四季の移ろい以上に細やかな表現が多々あることは素晴らしいことだ。何万という季語を定めた俳句の世界はまさにその頂点と言っていいだろう。このような素地のおかげで期間限定というプロモーションも成立するわけだが、少しは素地へ戻ってその本質を噛みしめてみるのも無駄にはなるまい。

22:22:36 | datesui | No comments |