Archive for October 2008

29 October

#479.京都へ行ってきました? −洛南・宇治−

今、宇治は源氏物語で満載だが、平家物語ゆかりのものもある。よく知られた宇治川先陣争いで、宇治橋のそばの中の島にその碑がある。寿永三年(1183年)、木曾義仲を討つために頼朝の命を受けた範頼と義経が出陣する。両軍はこの宇治川の激流を挟んで対峙するが、梶原源太景季(かじわらげんたかげすえ)と佐々木四郎高綱(ささきしろうたかつな)による、この激流の先陣争いで決戦の幕が切って落とされた。このときの二人はいずれも頼朝から授かった「生食」(いけづき)、「磨墨」(するすみ)という名馬に乗って先陣争いを展開するのである。

出陣に先立ち、梶原源太は名馬生食を所望するが、頼朝は生食に未練を示し磨墨を与える。ところが佐々木四郎にはあっさりと生食を与えてしまうのである。当然なことだが両者には対抗意識が働き、激しい先陣争いになるわけだ。勝負の方は佐々木四郎が一計を案じ、勝利することになる。

先陣争いはこれだけだが、生食と磨墨についての伝承の多いことは特記に値する。まず、馬の名の固有名詞が伝わっていることだ。あのイギリスでさえ、ダービー馬の中には名前のない馬もいるのだから、生食と磨墨という名が900年もの昔から語り継がれているのは大変なことである。さらに、この2頭が南部馬であることや、磨墨は名前のとおりの黒い馬で、生食は「池月」とも書かれることから月毛であるそうだ。ちなみに月毛は黄色味がかった白だが、毛色の他にも誕生の地など驚くほど多くの話が伝わっている。


また、宇治と言えば名物のお茶だ。その宇治のお茶にまつわる資料を展示しているのが上林記念館だ。江戸時代、朝廷や幕府の御用茶師をつとめた上林春松家の長屋門を資料館にしたものだ。茶器や茶道具はもちろん、製茶道具やお茶にまつわる書状なども展示してあり、なかなか興味を惹くものもあって200円の入館料は高くはない。記念館の2軒先に上林のお茶の店があり、入って商品を見ていたらお茶を振る舞ってくれた。さすがに美味しく、お土産を買ってしまった。


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「宇治川先陣之碑」と書かれた宇治川先陣の記念碑は中の島の北の方にある。右は上林記念館。訪れる人も少ないようだ。


01:26:29 | datesui | No comments |

27 October

#478.京都へ行ってきました? −洛南・宇治上神社と橋姫神社−

今、宇治は源氏物語一色だ。紫式部が源氏物語を書き上げてから千年が経ったそうで、源氏物語ミレニアムということだ。平日の昼間で紅葉には少し早い時期だが、人通りはかなりなものがあった。その宇治を代表する源氏物語ゆかりの神社は宇治上神社と橋姫神社となろう。

源氏物語の最終章を飾る宇治十帖では、源氏はとうに他界し息子の薫大将と孫の匂宮の話になる。幕開けは『橋姫』で、源氏の異母弟にあたる桐壺帝の八の宮が宇治で寂しく暮らしているところからである。薫はこの八の宮のことを聞きつけ、宇治を訪ねると互いの不運な身の上を共鳴し合った。薫は何度となく宇治に八の宮を訪ねるが、八の宮には二人の美しい姫君がいて、ある月夜の晩、二人の姫君が琵琶と琴を合奏しているところを垣間見た。月の光に映し出された美しい姫君の姿に心を惹かれるのである。薫は「橋姫の心をくみて高瀬さす 棹の雫に袖ぞぬれぬる」と詠んで、姉の大君に贈った。その後、薫が宇治を訪れると八の宮は出家を望んでいることを薫に告げ、合わせて姫君たちの将来も薫に頼むことになった。


この八の宮の屋敷があったのが宇治上神社のあたりらしい。ただ、神社の成り立ちと源氏物語との関係はないようだ。神社のパンフレットには由緒正しきことが綿々と綴られていたが、知らない固有名詞が並んでいてさっと読んでわかるシロモノとは思えなかった。お社は立派で世界遺産とのことだが、平安時代後期に建てられ現存する最古の神社建築だそうだ。

橋姫神社は宇治橋のたもとにある小さな神社だ。瀬織津姫(せおりつひめ)を祀った橋姫神社は橋の守り神だったそうだ。水陸の交通の要所であった宇治にとって宇治橋は極めて重要で、橋姫をめぐる多くの伝説もあるようだ。宇治十帖のゆかりの名称でもあり、小さな神社で何があるわけでもないが訪ねる人は多かった。


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宇治上神社の本殿。檜皮葺きの屋根を始め、その存在感にに圧倒される。右は橋姫神社。本当に名ばかりの神社。


00:19:25 | datesui | No comments |

22 October

#467.京都へ行ってきました? −洛南・石清水八幡宮−

仁和寺の和尚ではないが念願の石清水八幡宮へ行くことができた。鶴岡八幡宮、宇佐八幡宮と並んで日本三大八幡宮といわれ、また歴代天皇の参拝も多いことから伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟とさえいわれている。

その石清水八幡宮は逸話の宝庫だ。元寇のとき祈願をしたら神風が吹いたというような霊験あらたかな話題ならまだしも、笑ってしまうような話題も多い。冒頭の仁和寺の和尚は、長年の願いだった石清水八幡宮に来たものの、本殿のある男山の山頂には登らずに麓の末社だけを拝んで帰って行ったそうだ。帰って話したことには、「参拝の人たちはこぞって山登りに興じていたようだったが、私は参拝が目的なので山登りはせずに帰って来た」ということだった。
また、足利幕府6代将軍義教はくじ引きで将軍になったという笑い話のようなことがあるが、そのくじ引きの会場が石清水八幡宮だったのだ。くじ引きとは足利幕府らしいが、石清水八幡宮だから収まったのだろう。
さらに、あの龍安寺の石庭を囲む油土塀は低めで中途半端な感じがするのだが、低いのは庭の先が真南の石清水八幡宮に当たるので、見えるようにした配慮だという。ウソか本当かわからぬものもあるが、昔から何かにつけ京都の人たちの関心を引くお宮であったことには違いない。

京阪の八幡駅を降りると同じ京阪が運営しているケーブルカーがすぐ前にあり、仁和寺の和尚さまのようなことは避けられそうだ。山頂の本殿は前の日の雨が上がって、青空に映えた本殿の朱が美しさなんか通り越して存在感を誇示しているように見えた。途中の山道では朝の木漏れ日に昨日の雨の水蒸気が絡み、霊山の雰囲気を醸し出していたが、山頂は抜けるような青空で気持ちが良かった。
とは言うものの、二礼二拍一礼を済ませお札を買ってしまうとあとはすることがなくなった。これが長年の願望だったとは甚だ心もとなく、一体何を願っていたのだろう。仁和寺の和尚さまのことなど笑っている場合ではないようだ。
男山には展望台と称すところがある。そこから真北へ向かって遠くを見たが、用意した競馬観戦用の双眼鏡では竜安寺はおろか何も見えなかった。


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石清水八幡宮の本殿の朱は青空に映えて得意満面。右はエジソン記念碑。訝る方も多いだろうが、エジソンが白熱電球を発明したとき、最良のフィラメント材がこの地の竹だったそうだ。


16:17:51 | datesui | No comments |

21 October

#466.京都へ行ってきました? −洛南・宇治−

2年ほど休みましたが年中行事の復活です。今回は洛南の宇治にスポットをあてました。その昔、宇治と言えば平等院鳳凰堂だったのですが、今は源氏物語一千年紀で、ゲンジ、ゲンジで大賑わいです。

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宇治のランドマーク平等院鳳凰堂。天気も良く、のびのびと羽ばたいているように見える。右は源氏物語ミュージアムの入口。一千年紀に合わせてリニューアルされたそうだ。入館料500円はお得かも。


平等院の鳳凰堂は、まあそれなりというところでしょうか。いつ見ても安定した価値観と確定された美意識は流石なものはあります。ただ、私の趣味には合いません。京都にある平安モノ、つまり平安時代に造られた建造物はあまり好きになれません。大陸の美意識のなごりが残っているようで大雑把に見えます。やはり、足利時代以降のモノは日本人独特の感性である「締り」があって好感が持てます。

源氏物語ミュージアムは内容も充実していました。入館したら、いきなり『橋姫』が上映されますとのことで映写ホールに案内されました。すぐ上映作品が始まり、『橋姫』とやらは源氏物語の宇治十帖をふたりの姫君と薫と匂宮を中心に纏め上げたもので、宇治十帖早わかりとしては気の利いた作品でした。妖艶耽美を基調として、源氏物語全体の宿世や因縁を反映した重苦しい雰囲気は白石加代子を登場させて盛り上げていたようです。
展示物も質が良く楽しく閲覧でき、源氏物語の雰囲気の再現の合格点でしょう。文献などの本物の展示も国宝もありの一級品揃いで、見応えもありでした。特に、大好きな三条西実隆による書状があったのは嬉しかったですね。


12:12:29 | datesui | No comments |