Archive for February 2009

23 February

#527.東京スカイツリー

東京スカイツリーは東京墨田区押上に建設中の電波塔である。完成すれば高さ610m、鉄塔としては広州タワーの609mを凌ぎ世界1位になる。なお建造物全体ではブルジュ・ドバイの818mに次いで世界第2位になる。

これを散歩のついでと言っては少し大掛かりだが、押上まで見に行ってきた。基礎工事だけで見える部分はまだかと思ったが、見える部分ができていたのは望外の喜びだった。だが、東京タワーのときと同じで、今見える部分が最終的にスカイツリーのどの部分になるのは見当もつかないのだ。愚察だが、現在はスカイツリーの3本の鉄柱を1本ずつ独立に作っているように見えた。この太い3本が上方へ伸びると、三方から集まってひとつになり、円形になるのかと想像してみた。ところで600mとは、空のどこまで届くのだろうか。工事現場の上空を仰いでみたが、姿の良い想像はできなかった。


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業平橋駅そばの東武橋からスカイツリーの工事現場を眺めてみた。槌音高く工事は進んでいるようだ。600mは果たしてどの位置になるのだろうか。


23:03:00 | datesui | No comments |

10 February

#521.下谷七福神巡り? −補遺・鷲神社など−

下谷の七福神は控えめで目立ち下手だ。どうも有名になるのが嫌なように思えて仕方がない。まあ、どうでもいいヤツが出しゃばるよりはずっと良い。とはいえ、福禄寿の真源寺などは恐れ入谷の鬼子母神で全国的に知れ渡ったお寺であり、この入谷界隈には七福神ではないが有名神社仏閣があるのだ。

その筆頭が鷲神社(おおとりじんじゃ)だ。名前を聞いて字面を見れば、ああ酉の市か、と思う方も多いだろう。その酉の市は11月の酉の日に執り行われ、開運の神様に来年の福を願う人が殺到し大変な賑わいになる。その様子は樋口一葉の『たけくらべ』や武田麟太郎の『一の酉』にある臨場感溢れる描写で楽しめる。鷲神社の境内には運や福を掻き寄せる縁起の熊手を売る店が立ち並ぶが、買ったお客に売り子が威勢の良い三本締めをして、酉の市の雰囲気を盛り上げている。酉の日は12日ごとに巡ってくるので、11月の酉の日は2回になったり、3回になったりする。1回目から順次一の酉、二の酉、三の酉と呼ぶが、三の酉のある年は活気がありすぎて火事が多いという。ただ、これは酉の市にかこつけてお参りに出掛ける亭主に、火事が多いから家にいるようにとかみさんの方から釘を刺したものと思われる。なにせ鷲神社の裏は吉原なので、亭主の普段とは違う信心深さも心配の種というものだろう。

今一つは小野照崎神社だ。こちらは平安時代の歌人で学者の小野篁を祀った神社で、富士塚で有名である。富士塚は富士山詣でのできない人のために造ったもので、小高い塚を築き富士登山の代用としたものだろう。本殿の左側に座する富士塚は、富士山の溶岩を積み上げたもので相当程度に本格的である。富士山の溶岩を積み上げるとは人手の掛ることで、富士詣での情熱が窺える。また、祀られている小野篁は先祖が小野妹子であり、孫には小野道風や小野小町がいるという文人一家である。篁自身もなかなかの才人で、嵯峨天皇が出した難題のなぞなぞ、「子」の字を12個書いたものを読めには「ねこのこのこねこ、ししのこのこじし」と読み解いたそうだ。また、百人一首には「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出ぬと 人には告げよ 海人の釣舟」という歌が残っている。こんな小野照崎神社は富士塚のみならず、初詣でも地元の氏子で賑わう地力のある神社だ。


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酉の市ではない鷲神社だが、思ったより貧相だ。賑わいもなく白けた感じが余計安っぽく感じさせる。右は小野照崎神社。小野篁よろしく、風情のある神社だ。


18:09:04 | datesui | No comments |

04 February

#519.下谷七福神巡り? −布袋尊・寿永寺−

下谷の七福神巡りの最後は寿永寺だ。飛不動から三ノ輪に向かって真っすぐ歩いた並びにあるはずだ。飛不動の傍には地元の文化人樋口一葉の記念館もあるが、最後のひとつ、それも一本道なので寿永寺へ急ぐことにした。
歩く道は下町の風情がところどころには残っているものの、逆に壊れてしまった下町に見えないわけではない。新しくなったところは安っぽく、残った古いところはただ手が入っていないだけという状態だ。地方が疲弊していると言われるが、ここはまさに東京の地方だ。

左手に立派なお堂のあるお寺が見えてきた。どうやら寿永寺らしい。この界隈では右手の東泉小学校と肩を並べる大建築だ。ここまで6つの寺社はいずれも小さなものだったので、ここは期待できそうな気がしてきた。だが、寺の前に着いて驚いた。門が閉っているのだ。時計は午後4時20分、まだ閉るのは早かろうと思うのだが、立派なお堂をもつこのお寺は門も立派でしかも頑丈な鋼鉄製だ。門の隙間からカメラを入れてみたが、まったく役に立たない。こういうのを屁の突っ張りにもならないというのかと思い、「石井慧の名言の使用例」という言葉がうるさく頭の中を巡った。これなら一葉記念館を見ておくべきだったと、今度は後悔の念が嘔吐のように湧いてきた。

残った寿永寺だけ参拝に来るのは気が進まないが、一葉記念館もあるので再挑戦の気分にもなれるという気持ちでこの七福神巡りを終わることにした。冬の三ノ輪の夕暮れは不思議ともの悲しい。それ知るや知らずや、大関横町の交差点はたくさんの車がひっきりなしに行き交っている。

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閉店の寿永寺はまるで要塞のようだ。鋼鉄の表門に加え、お堂の鉄の雨戸。そんなにまで拒否をしなくてはならない理由はあるのだろうか。


11:55:29 | datesui | No comments |