Archive for May 2009

27 May

#563.さすがの書き出し

書き出しについて述べてみたが、古典の名作にはさすがと言わせる書き出しが多い。思いつく有名な作品を少しあげてみる。

? 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。
? 春は曙。やうやう白くなりゆく、山際少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
? いづれの御時にか、女御更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなききはにはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。
? 行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
? 月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人なり。

ご承知のものが多いと思われる。どれをとっても、齋藤孝の『声に出して読みたい日本語』に出てきそうなものばかりで、毎日のように口ずさんでもいいものだらけだ。
まず、?は平家物語だが、何と言っても格調の高さは抜群で、他の追随を許さないものがある。内容、語彙の選択、そして見事なリズム感。完璧な書き出しだろう。この格調の高さだが、戦記ものであるのでチャンチャンバラバラは当然、色恋沙汰もある中で、最後に大原行幸のところで建礼門院と後白河法皇が重苦しい会話をするところで結末をつけているのは見事だ。相当な知恵の集まりがあったものと思われる。
?は清少納言の枕草子だ。いかにも幕開けという演出が憎い。リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはこう語った』を思い出せるようだ。
?は言わずと知れた紫式部の源氏物語だ。あの長い作品も意外と平静な一文から始まっているのだが、この文も上下関係を無視した天皇の振舞いが述べられており、行く先の不安を呈しているのだ。源氏の過ちは柏木によって繰返され、源氏は加害者と被害者の双方の立場を味わうことになる。
?は鴨長明の『方丈記』だ。ただ全編を読んでいないので大したことは言えないが、ずうっとこんな調子で最後まで進んで、ただ悩んでいるだけという感じである。無常観と言われるが、無力感を感じてしまう。だが、この書き出しはそれを超えて素晴らしい。
?は松尾芭蕉の『奥の細道』で、これも格調が高く、しかも人生は旅というコンセプトも織り込んである。李白に『春夜桃李園に宴するの序』という小品があるが、その冒頭に「それ天地は万物の逆旅(げきりょ:旅館)にして、光陰は百代の過客なり」というくだりがあり、影響が窺える。源氏物語でも直接表現を避け「いづれの御時」としているが、日本に最も影響のあった白居易の『長恨歌』でも時の皇帝は唐の玄宗であったものを「漢皇」としている。最も影響を受けやすいのが書き出しの部分かもしれない。


11:45:40 | datesui | 2 comments |

25 May

#562.人並みの苦労

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という川端康成の名作『雪国』の冒頭はあまりにも有名だ。このように名作の冒頭はさすがと思わせるものがあり、読者を入口でしっかりつかまえてしまうようだ。ところが読み出しがいくら良くても読み進むことが難しい作品もある。「木曾路はすべて山の中である。」という書き出しで始まるのは島崎藤村の『夜明け前』だが、この簡明さとは裏腹にこの小説は重厚な文体で、暗く湿った雰囲気が長く続くのである。正直言って、辛くて読むのが嫌になる。何度かトライをしてみたが、未だに読破できない作品のひとつになっている。でも、『夜明け前』にあの冒頭がなかったらどうだろう、だれも見向きもせずに文学史にも残らない作品で終わってしまったのではないかと考えてしまう。

文章を書くとき最大の苦労は書き出しだ。こんな小さなブログの文を書くにも結構大変な思いをしているのだ。最初の三行、これが決まれば、何とか書き進めるのだ。世の作家の先生方も、ひょっとしたら同じような苦労をしていたに違いないと思われる。構想も練られ、登場人物の特徴も設定され、あとは書くだけになっても、最初の背中押しがないと作品の制作に取り掛かれなかっただろう。

PS:『雪国』の冒頭、国境は「くにざかい」と読むそうだ。お恥ずかしいことだが、ずーっと間違ったままの読み方をしていた。

23:41:13 | datesui | No comments |