Archive for 10 February 2009

10 February

#521.下谷七福神巡り? −補遺・鷲神社など−

下谷の七福神は控えめで目立ち下手だ。どうも有名になるのが嫌なように思えて仕方がない。まあ、どうでもいいヤツが出しゃばるよりはずっと良い。とはいえ、福禄寿の真源寺などは恐れ入谷の鬼子母神で全国的に知れ渡ったお寺であり、この入谷界隈には七福神ではないが有名神社仏閣があるのだ。

その筆頭が鷲神社(おおとりじんじゃ)だ。名前を聞いて字面を見れば、ああ酉の市か、と思う方も多いだろう。その酉の市は11月の酉の日に執り行われ、開運の神様に来年の福を願う人が殺到し大変な賑わいになる。その様子は樋口一葉の『たけくらべ』や武田麟太郎の『一の酉』にある臨場感溢れる描写で楽しめる。鷲神社の境内には運や福を掻き寄せる縁起の熊手を売る店が立ち並ぶが、買ったお客に売り子が威勢の良い三本締めをして、酉の市の雰囲気を盛り上げている。酉の日は12日ごとに巡ってくるので、11月の酉の日は2回になったり、3回になったりする。1回目から順次一の酉、二の酉、三の酉と呼ぶが、三の酉のある年は活気がありすぎて火事が多いという。ただ、これは酉の市にかこつけてお参りに出掛ける亭主に、火事が多いから家にいるようにとかみさんの方から釘を刺したものと思われる。なにせ鷲神社の裏は吉原なので、亭主の普段とは違う信心深さも心配の種というものだろう。

今一つは小野照崎神社だ。こちらは平安時代の歌人で学者の小野篁を祀った神社で、富士塚で有名である。富士塚は富士山詣でのできない人のために造ったもので、小高い塚を築き富士登山の代用としたものだろう。本殿の左側に座する富士塚は、富士山の溶岩を積み上げたもので相当程度に本格的である。富士山の溶岩を積み上げるとは人手の掛ることで、富士詣での情熱が窺える。また、祀られている小野篁は先祖が小野妹子であり、孫には小野道風や小野小町がいるという文人一家である。篁自身もなかなかの才人で、嵯峨天皇が出した難題のなぞなぞ、「子」の字を12個書いたものを読めには「ねこのこのこねこ、ししのこのこじし」と読み解いたそうだ。また、百人一首には「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出ぬと 人には告げよ 海人の釣舟」という歌が残っている。こんな小野照崎神社は富士塚のみならず、初詣でも地元の氏子で賑わう地力のある神社だ。


null
酉の市ではない鷲神社だが、思ったより貧相だ。賑わいもなく白けた感じが余計安っぽく感じさせる。右は小野照崎神社。小野篁よろしく、風情のある神社だ。


18:09:04 | datesui | No comments |