24 September

#456.江戸六地蔵めぐり? −深川・永代寺−

霊岸寺を出て、さすがに暑さで喉が渇く。この界隈は喫茶店が数店あるのだが、月曜日で深川江戸資料館の門前店は資料館の休みに合わせて悉く閉店だ。霊岸寺に向かう地下鉄の中で思い描いていた休憩で、これで勢いをつけて次の永代寺までは歩くつもりだった。どこか喉を潤すところと思いながら清澄通りを門前仲町へ向かって歩き続けた。結局、20分ほど歩いただろうか、門前仲町に到達してしまった。ここまで来れば、喉の渇きは何の心配もいらない。お店は山ほどある。

永代寺は門前仲町からすぐのところにある。お不動さまの参道の横に付録のように構えている。だが、この永代寺に実は江戸六地蔵はないのだ。当然だが、村尾嘉陵が訪ねたころはあったのだ。

江戸時代、まだ神仏習合が許されていたころ、別当寺といって神社に付属しておかれる寺があった。永代寺も富岡八幡宮の別当寺として大きな勢力を誇っていた。ところが、明治の新政府がまだ明治になる前の慶応4年3月13日、1868年4月5日に出した神仏分離令により廃寺とされてしまったのだ。そのときお地蔵さまも一緒に廃されてしまったそうだ。もっともお寺の方は、1896年(明治29年)に旧永代寺の塔頭(たっちゅう)の吉祥院が永代寺の名を引き継ぎ再興され、現在の永代寺になっている。

いわゆる廃仏毀釈が行われた訳で、寺院そのものに始まり、仏像や経典も廃毀された訳だが、僧侶までこの憂き目にあっている。永代寺の僧侶はなんと富岡八幡宮の神官にされてしまったそうだ。いかに神仏習合のうまくいっている国とはいえ、キリスト教の牧師がケルトのドルイド僧になれというようなもので、こんな無茶が通ったとは呆れるばかりである。

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永代寺の全貌。昔の権勢を聞くと寂しいばかりである。この狭さではお地蔵さまも居場所がない。


23:18:40 | datesui | No comments |

22 September

#455.江戸六地蔵めぐり? −深川・霊岸寺−

道端のお地蔵さんにしては立派過ぎるが、そんな感じの東禅寺を出て、深川の霊岸寺に向かう。なにしろ東禅寺は東浅草という微妙なロケーションなので、結局また都バスに乗ることになる。南千住発のバスに乗って南下して、花川戸、雷門を抜け、蔵前で降りる。ここで地下鉄大江戸線の乗り換え、清澄白河まで行くことにする。

清澄庭園の向かいの道を入り、この道は深川江戸資料館通りとでもいうのだろうか、深川江戸資料館と書かれた灯篭や幟が並んでいた。その資料館の手前の左側に霊岸寺がある。地元のお寺なので初めてではないが、入ってみると意外にも名刹と思しき雰囲気があった。それもそのはず、あの松平定信の菩提寺である。松平定信は八代将軍吉宗の孫で奥州白河藩主であったため、霊岸寺のあたりの地名を白河という由来になっている。

境内に入ってすぐ左右を見渡したがお地蔵さまは見えない。門から少し入った本堂の左側に木立に囲まれて鎮座していた。このお地蔵さまは幸せなことに、他のものより扱いが良く入口や外に追いやられることはなかった。お地蔵さまのお顔も心なしか和やかに見えたが、逆光でよく見えなかったのかも知れない。

外へ出ると、通りは富岡八幡のお祭りモードで盛り上がっていた。次の日曜が55基の神輿を連ねた大連合渡御が行われるのである。この通りは最初の休憩に当たるので、通りには各神輿を止める場所の表示が出ていた。「一番三好、二番白河、三番平泉・・」という具合に、神輿の町会名を書いたお札を貼った棒杭が並んでいたが、神輿と神輿の間隔を20mとしても55基も揃えば1kmを超える長さだ。いや〜、実に壮観。

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逆光のお地蔵さまというのも神々しく見えて良いものだ。霊岸寺のお地蔵さんは小さい木立に囲まれ安らかなご様子だ。


よく見ると名刹の雰囲気たっぷりの境内だ。下町のお寺にしては広く、造りも立派だ。お地蔵さまは左側の石灯籠の少し先の左手にある。


12:09:17 | datesui | No comments |

07 September

#449.江戸六地蔵めぐり? −東浅草・東禅寺−

巣鴨の真性寺のあとは東浅草の東禅寺だが、東浅草とはどのあたりか。いわゆる浅草といわれる浅草寺の雷門から直線距離で1kmチョット北に上がったところである。台東区ではあるが最寄りは意外にも荒川区の南千住駅だ。JRの常磐線と東京メトロの日比谷線が通っているので、巣鴨からはJR常磐線で南千住を目指すことにした。

巣鴨の駅に向かいがてら食事の算段だが、暑いのとお地蔵さまにお会いできなかったことで気が進まない。結局食事は摂らずにJRの山手線に乗ってしまった。山手線の外回りから日暮里駅で常磐線に乗り換えるのは今までにない感覚だ。巣鴨から南千住までの方向ベクトルの動きはおもしろいものがある。

南千住に着くと南に向い、今走ってきたJRの線路を越える。跨線橋の左側を見ると隅田川駅の構内が広がっている。隅田川駅といっても馴染みが薄いだろうが、JRの貨物専用駅だ。その貨物列車の編成作業をする広い操車場が見えるわけだ。橋を降りると左手に都バスの車庫が見える。ここからバスで東浅草へ行く。

バスが走っている吉野通りから横道へ入り、さらに狭い裏道に面して東禅寺はある。狭い道に突然東禅寺が現れるわけだが、お地蔵さんも一緒に現れるのだ。ちょっとこれにはビックリだが、お地蔵さんが東禅寺のすべてという感じなのだ。お地蔵さんに塀が申し訳にあるだけという趣だ。大きくて立派なことは変わりなく、お顔も穏やかなことも前の3つと変わりはない。当然なことだが持ち物も同じで、右手に錫杖という輪のついた杖を持ち、左手には如意宝珠という桃のような形をした珠を持っているのも同じだ。表に出て狭い通りの向こう側から写真を撮ろうとしたが、少し斜めに構えないとうまく撮れなかった。


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東禅寺のお地蔵さま。入ってすぐと言うより、道路に面してと言った方が正しいロケーションで鎮座している。品川の品川寺(ほんせんじ)は門の外、新宿の太宗寺は入ってすぐ、巣鴨の真性寺は不在と江戸六地蔵は居場所に恵まれない感がある。東禅寺は狭いので仕方ないが、親しみやすさにもこれでは度が過ぎているようだ。


16:32:36 | datesui | No comments |

03 September

#447.江戸六地蔵めぐり? −巣鴨・真性寺−

太宗寺の次は巣鴨の真性寺だ。新宿から巣鴨というとJRの山手線の利用が思いつくが、新宿御苑前→巣鴨をネットで調べたら、新宿御苑前→赤坂見附−永田町→神保町→巣鴨という丸ノ内線、半蔵門線、都営三田線を利用する経路を提案された。ホホウと思って目を凝らすと、時間も短縮されている妙案である。そこで、新宿三丁目から都営線新宿線で神保町まで行けば、時間も運賃もさらに節約できるので都営線乗り継ぎコースを採ることにした。

巣鴨駅はお年寄りの街だ。上りのエスカレータも心なしか遅い、いやキッパリ遅い。焦れても仕方ないのでエスカレータに身を任せて上りきった出口のすぐ左が真性寺だ。江戸六地蔵の幟がたくさん立っていて、巣鴨に別の目的できた人を呼び込もうってわけだ。毎月の4の日は巣鴨のとげぬき地蔵の縁日で、その集客力は半端ではないからだ。真性寺もお地蔵さまなので、勘違いでもしていただく魂胆か。

そんなことを思いながら真性寺の境内を進むと、本堂の右手前にお地蔵さまが見える。品川寺、太宗寺のものと比べて小柄である。まずは手を合わせて、お地蔵さまの背後の看板を見ると「御身代わり」と記されている。変だなと思って左手を見ると、青いシートを被った工事中のようなものがある。近づいて立て看板を見ると、江戸六地蔵は修理中で京都に出掛けているとのことだ。修理には2年かかること、先月の7月末までは鎮座していたことがわかったのだが何とも残念だ。急に暑さが感じられてきて、時計を見ると12時半、お腹も空いてきたが暑さがまた一段と増してきた。


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これが身代わりのお地蔵さま。やはり小柄な印象は否めないが、一応お賽銭もあげて拝んできた。それより、どこから派遣されたのだろうか。この業界にも派遣の嵐が及んでいるのだろうか。


工事中というか、病気療養中の六地蔵。先月来れば、ご対面できたのだ。


13:37:00 | datesui | No comments |

01 September

#446.江戸六地蔵めぐり? −新宿・太宗寺−

品川の品川寺(ほんせんじ)を出て、次は新宿の太宗寺へ向かう。青物横丁駅から京浜急行の都営浅草線直行の電車に乗る。品川、泉岳寺を過ぎ、新橋で降りる。東京メトロの銀座線に乗り換え、さらに赤坂見附で丸ノ内線に乗り継いで、新宿御苑前で下車する。

新宿御苑前であってもそこは新宿、雑踏はここまで広がっている。その雑踏の裏に太宗寺はある。太宗寺の門を入るとここでもビックリだ。入ってすぐのところに目的のお地蔵さまが鎮座していたのだ。どうもお地蔵さまはご利益の割には扱いが悪いようだ。仏さまの世界は阿弥陀様などの如来が一番偉いとは聞いていたが、上下関係がこれほどまでに厳しいとは知らなかった。人間の世界から見れば、ご利益は如来だろうが地蔵さまだろうがあまり変わりはないので、こうも差をつけなくても良さそうなものだ。

新宿の太宗寺はエンマさまでもお馴染だ。お地蔵さまの奥に閻魔堂がある。閉まっていた格子の扉から中を覗いてみたが、確かに閻魔さまはいらっしゃるのだが暗くて良く分からない。見たかったのは舌を抜くための大きな釘抜きで、これから転じて釘抜きのことをエンマと呼ぶのはご存じのことだろう。
落語の『道具屋』で、店番をしている与太郎へ客が「オイ、エンマあるか」と尋ねるのだが、与太郎は「エンマなら、新宿の太宗寺ですが」と応え、当時から太宗寺は閻魔様で有名だったようだ。
時刻はお昼に近くなり、やはり8月11日、暑くなってきた。

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太宗時のお地蔵様。この銅像も大きくて立派だ。6つも造るとは資金集めも大変だったろうが、供出した側からみれば、お地蔵さまに対する信仰の厚さが伺える。素晴らしいことだ。


太宗時の境内は都心のお寺にしてはたいそう広い。左が閻魔堂、その右側にお地蔵様、その右側に入口があり、ここでもお地蔵さまは門番のようだ。


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