13 February

#352.雪の思い出

寒い日が続いている。温暖化などと言われているのだから少々寒くてもこの方が良いのかと思い我慢する次第である。聞くところによると、なんと22年ぶりの寒さだそうだ。

東京での2月の日最高気温の平均は10.0度だそうだ。このところ暖かいという日で10度を僅かに超えるぐらいで、ほとんどは1桁で、中には5度という日もあるのだから寒いわけだ。ちなみに1月の日最高気温の平均は9.8度で少しばかり低い。やはり寒の最中であることからの貫録であろうか。そう言えば最初に雪が降った日曜日も2月3日で、立春の前の日で大寒の最終日だった。なるほどうまい具合に間に合わせてくるものだと、例の温暖化による暖冬で、これ以上寒くはなるまいとタカをくくっていたが、いや〜こんなに寒い日が続くとは思ってもいなかった。

さて、その22年前はどうだったのだろうか。やはり雪の降った日が多かったような記憶がある。いつまでも融けない雪道で滑りそうになったことがある。だが、一緒に歩いていた後輩の若い女性社員の方は上手に歩いていて、滑る様子など全くなかった。運動神経も彼女の方が優れていたとは思うが、履いていたピンヒールのブーツも滑りにくかったのかと思われる。ベローっと広く平らな男の靴底は、ハイドロプレーン現象が起きやすく滑るにはもってこいの構造なのだろう。それにステップを小さく刻んでいた彼女に比べ、こちらは歩幅も大きかったようだ。

競馬を始めたころ学んだことに、雨でぬかった馬場の上手な馬は、竹を切ったような小さな蹄で小股の歩様の馬ということだった。蹄が大きくトビの大きな馬はヘタと聞いていたが、まさに雪道で実感できるとは思ってもみなかった。


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08 October

#276.懐かしいメロディー

秋の夜長は空を眺めるのも一興だ。だが、秋の夜空は目立った星が少なく若干寂しいのだ。そこで、いろいろなことを考えながらの星空見物となる。確かに星空を見ることは、想像や空想、はたまた妄想の域まで勝手な思いが広がりやすい。

今夜は歌を思い出した。『星の世界』という曲だ。「か〜がやく夜空ーの、ほーしの光よ〜」という歌う出しで始まる曲は、確か小学校の高学年で、また中学でも教科書に載っていた記憶がある。そして、楽譜の隅に「この曲は賛美歌・・番としても広く歌われてきました。」という記述があったのも微かに覚えていた。

その中学生の頃、1年間ぐらいだが近所の教会へ通っていた。信心は別で、何となくカッコ良かったから行っていたものだ。いわばヒヤカシで行っていたわけだ。でも、少しはおもしろくなったか、夏休みには修養会まで参加したのだから少しはその気になっていたのかも知れない。そこでの朝の礼拝で飛び出した賛美歌が312番で、「い〜つくしみ深ーき、とーもなるイエスは〜」という歌い出しで、メロディーは何と『星の世界』だ。

この夜空で、そのへんことを一気に思い出したのだ。確か甥の結婚式では、この312番の出番があって、思いっきり声を張り上げて歌った記憶などが蘇ってきて、『星の世界』と賛美歌の関係を知りたくなった。と言うのも最近は、賛美歌の方が優勢で『星の世界』はさっぱりの様子だからだ。早速ネットで、「星の世界 312」と入力して検索してみた。

これでズバリだった。出てくるワ出てくるワ、約1200件。最初の5件ほどサイトを眺めたが、どのサイトも期待に十分応えてくれた。作曲はアメリカのコンヴァースだが、星とはまったく無縁の詞に曲をつけたものだった。この曲に日本の川路柳虹(かわじりゅうこう)が「かがやく夜空の 星の光よ」という詞を創作したものだったのだ。だが、もうひとつ杉谷代水(すぎたにだいすい)の作になる『星の界(よ)』というのがあるそうで、学校で教わったという人の話があったのは興味が湧いた。

このようなときにネットの存在は大変ありがたい。本でも調べると言っても無理だろうし、知っている人に巡りあうまでには気の遠くなるようなことになりそうだ。最初の5件しかサイトは見なかったが、どのサイトも工夫を凝らし、見て楽しく、読んでナルホド、さらにオルゴールのような音で旋律まで奏でてくれるサイトもあった。その清楚な音とメロディーに暫し聞き入ってしまった。


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18 September

#264.社会復帰?

ブログの復帰から1週間が経った。話題はブログの右下のあるカテゴリの中から1つずつ取り上げてみた。だけど、残っているカテゴリも少なくなってしまったが、せめて復帰の1週間だけもダブらずに書き綴りたいものだ。そこで、今回は『三丁目の夕日』にしてみようと思う。

テレビをボーっと見ていたら、井上ひさしが日本語の乱れていることに目くじらを立てることはない、と言っていた。それは、今身の回りで当たり前に使っている日本語の表現も乱れた結果のまま使われていることが多い、と言うのだ。しかも、それがそんなに古いことではないのにもかかわらず、放送でも、国語学者も黙認もしくは追認してしまっていることが以外と多いという。その例で、「とても」という言葉をあげていた。とてもという言葉は、いまでこそ程度は大きいことを表わす副詞だが、本来は下に必ず打ち消しを伴って使われていたとのことである。「とても、できない」という要領だろう。ここまでは、ほほう〜で済んだが、この先がオドロキだった。なんと、1950年代までは否定形を伴う方が主要な使われ方だったそうで、大きな程度はその頃からの乱れた表現だと言うのだ。

1950年代の後半は小学生だった。そのころを思い出してみると、大きな程度を表現する副詞としか使っていなかったと思われる。慣用句などで「とても我慢できない」などとは言ったかもしれないが、とてもデカイ、とてもウマイ、ということしか喋っていなかったとしか思えない。こう思うと、国語を乱れさすためにわざわざ生れてきたのかと落ち込みそうだ。心配になって「全然」を辞書で調べてみたら、俗な表現として「全然いいね」が載っていたが、やがてこれも堂々と市民権をえてしまうのだろう。


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19 April

#238.この歳でビックリ

先日のN響アワーで池辺晋一郎が吹奏楽の話をした。中学のころブラスバンドなるもので頑張っていたので、とても懐かしく嬉しかった。吹奏楽には、アルトとかバリトンという特有の楽器があったりして、吹奏楽の現場にいた者だけが知りえるようなことが結構あるのだ。池辺晋一郎は吹奏楽の経験があるらしく、その辺のお話を臨場感豊かにしてくれたことに気持ちの良い共鳴ができた。

このアルトとかバリトンは、アルトホーンとかバリトンホーンとか呼ぶのが正しいのだろうが、チューバを少しずつ小さくしたような楽器で、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ・・というように同じ形で大きさの違う、アルト、バリトン、小バス、中バスという楽器の仲間で構成されている。これらの仲間のことを族、英語でfamily、といっているが、最も有名なのがヴァイオリン族で、前出の3つにコントラバスを加えた4つの楽器で構成されていることはご存知だろう。木管楽器ではオーボエ族が最も大きく、オーボエ、イングリッシュホルン、バスーン、ダブルバスーンと立派な一家を形成している。金管での族は目立ちにくいのだが、吹奏楽になるとアルトとかバリトンなどが幅を利かしてくる。ところが、お恥ずかしいことにこれらが何族か知らなかったのだが、先日初めて知ることになった。

それは、池辺晋一郎がサキソフォーン族の説明をしたときに、サキソフォーンを発明したアドルフ・サックスが、このアルトやバリトンの一族も開発したというのだ。全くの初耳でビックリもしたが、N響アワーで吹奏楽にしか出てこない楽器のことを聞けるとは、この世の中案外いい世界だと思ったりした。肝心の族の名前は聞き落としてしまったが、アドルフ・サックスを頼りに調べたら、「サクソルン族」であることがわかった。ブラスバンドを始めて50年近くになるが、長生きはするもんだということをつくづく感じた次第だ。


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12 April

#234.法規制と移行の現場

このところ暖冬の勢いが止まったのか肌寒い日が気になる。3月に入ったころは、桜の開花日も史上最速をどんどん更新して、菖蒲や藤も4月に終ってしまうような気がしたものだ。反動とでも言うのか、これで少しは良い塩梅なのかもしれない。そんな訳で、例年とはどんなものなのか神宮館の暦をみていたら、4月11日はメートル法公布記念日ということだった。1921年の制定だが、実際に施行されたのは戦後の1954年だった。小学校の5年か6年だったころ、メートル法に切り替わったことを憶えている。

当時は、八百屋も魚屋も肉屋もパック入りなどはなく全て計り売りだったから、お店の表示は大変な騒ぎだった。それまで使用されていた尺貫法によれば単位は匁(もんめ)であり、100匁は375gに相当していた。という訳で、店頭は一斉に400g××円という表示に変ったのである。沖縄では20年程前まで600g単位の販売がされていたが、沖縄では1斤が使用されていたそうである。もっとも東京でもお年寄りの聞くと、お茶や砂糖は斤が使われていたそうである。さらに裁縫などでは密かに尺貫法が使われつづけ、裁縫専用のクジラ尺のモノサシがヤミで高く取引されたことだそうだ。

今でこそ100g単位の表示で用が足りるが、切り替えのころは売る方も買う方も大変だったはずだが、2年、3年とするうちに400gの表示は消えていった。メートル法移行の現場は、まさに100匁の感覚を残しながらのグラムへの移行だった。法規制の方はその日からのきっぱりとした変更だが、現場はこんなものだという歴史的状況に立ち会った感慨は今になるととても大きい気がする。


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