Complete text -- "#511.下谷七福神巡り? −弁財天・朝日弁天堂−"

15 January

#511.下谷七福神巡り? −弁財天・朝日弁天堂−

今回の七福神巡りで言われている下谷は、JRや地下鉄の駅名でいえば鶯谷、入谷、三ノ輪の界隈を指し、住居表示でいえば根岸、下谷、入谷、竜泉、三ノ輪の地域に跨る。もともと下谷という概念は漠然としていて、上野や湯島の東側の谷の部分を示すものらしく、中心は上野広小路だったそうだ。戦後の区の統合が行われて35区が23区になる前は、台東区の西半分が下谷区と呼ばれていた。この下谷区は明治11年(1878年)に東京に区ができた東京15区のときに制定されたもので70年近くも存在したことになる。となると、筋金入りのお年寄りの下谷の概念はもっと広いことになりそうだ。という訳で今も下谷という住居表示があるが、上野広小路よりは相当北に位置している。

さて、法昌寺を出ると目の前に小野照崎神社がある。この界隈では酉の市の鷲神社(おおとりじんじゃ)や鬼子母神についで有名な寺社で都内でも有数の富士塚があり、初詣の参拝者もかなり多い。小野照崎神社を左にして昭和通りを左に折れ、北へ少し進んで右に入ったところに弁天院公園がありその中に朝日弁天堂がある。というよりは小さな区立公園の奥になぜか弁天様が祭ってあるという感じだ。子供を遊ばせているお母さんがいたり、暇つぶしのご老人がいたりで、今までの寺社とは違って七福神のコースとは縁遠い雰囲気がしていた。
朝日弁財天という看板こそ立っていたがそれだけで、人影もなくひっそりしていた。お賽銭を入れて2礼、2拍、1礼をした。でも、神社かどうだか心配になったが、そばに狛犬があったのでひとまずホッとした。公園の中に由緒を記した表示板があったが、あまり気乗りしないまま読んでみたところ備中のお殿様の下屋敷に建てた弁天堂が起源だそうだ。とにかく7か所のうちの1か所ということにして、早々に退出をした。

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小野照崎神社。平安時代の文化人小野篁を祀った神社で富士山の溶岩を積み上げた富士塚は、富士山に行けない人が参拝したそうだ。右は朝日弁天堂。集客に熱心な様子は見られない。まっ、仕方ないか。


11:07:09 | datesui | |
Comments

jtoki wrote:

ブログが続いていましたね。

少し前に、配信がなくなっていたのに気がつきました。が、ヒョンナことからこのブログを発見。
500回とは凄いですね。
01/15/09 22:07:16

datesui wrote:

一昨年の5月にパソコンが壊れて、URLやメールアドレスなど一切を失いました。このショックで諸活動を停止していましたが、このブログだけは早めに再開できました。それも読者の皆様がいたからです。
そして、500回の数を踏めたのも、読者の方々の存在のお蔭です。
01/16/09 16:22:11
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