Complete text -- "#576.亀戸七福神巡り? −恵比寿神・大黒天(香取神社)−"
18 June
#576.亀戸七福神巡り? −恵比寿神・大黒天(香取神社)−
普門院を出て左に向かう、つまり北へ進む訳だ。Y字路を右に入ってしばらく歩くと広い通りに出る。左の押上方面から続く浅草通りだ。これを右に折れて少し歩くと葛飾北斎でお馴染の亀戸梅屋敷跡がある。本当に跡だけだ。そのまま北十間川に沿って東進すると明治通りと交差する。その福神橋の交差点を右に折れ、今度は南下することになるが、すぐに目的の香取神社が右手に現れる。香取神社は境内の広さ、本殿の規模、いずれも一級品の威容がある。由緒も古くからの故事がたくさん積み重なっている。祀られているのは国家鎮護の神、経津主神(ふつぬしのかみ)の他、武甕槌神(たけみかづち)、大己貴神(おおなむじ)とのことだ。創建は天智天皇ころというから飛鳥時代になる。
その後、平将門が乱を起こしたとき、追討の命を受けた藤原秀郷こと俵藤太秀郷(たわらとうたひでさと)が、この香取神社に参拝し戦勝を祈願し、そのご利益があって乱はめでたく平定できたそうだ。それ以降、歴代の天皇、源頼朝、徳川家康などの武将、塚原卜伝や千葉周作の武芸家から崇敬を受けることになった。現在でも、勝利を願うスポーツ関係筋からの参拝は非常に多いそうだ。
参道は門をくぐると右へ折れるが、突き当りの本殿は見事だ。本殿の右手の野外だが、恵比寿様と大国様が仲良く並んで立っている。神社全体からみると、この恵比寿様と大国様は小さく貧相で、付け足しのような存在でしか見えない。ガラス張りの御神輿の格納庫や等人大の武者人形を並べている能舞台など、大きくて立派な施設がいくつもあり、香取神社は七福神如きで成り立っているような神社ではないことはわかった。
もうひとつ付け足しだが、恵比寿様や大国様より有名なのが亀戸大根の碑だ。この辺りが江戸の昔は大根の産地だったとのことだ。
香取神社の境内。本殿は相当なものだ。本殿の右側手前に御神輿の収納庫があるが、その神輿も「こんにゃく神輿」といわれて有名なものだ。右は肩身の狭い恵比寿様と大黒様。何の御利益があるかわからないが、水を掛けるようになっている。
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