Complete text -- "#387.ヴィーナス礼賛"

19 April

#387.ヴィーナス礼賛

上野の国立西洋美術館へ『ウルビーノのヴィーナス』を観に行った。ベネチア派の巨匠ティツィアーノの代表作だが、実は30年ほど前にフィレンツェのウフィッツ美術館でお会いしているはずなのだが、まったく記憶にないのだ。ボッテチェルリの『春』と『ヴィーナスの誕生』の前に他の作品のメモリは一気に蒸発してしまった。丁度、名刺を再度要求してしまうような失礼を覚悟で出掛けたのだが、さすが『ウルビーノのヴィーナス』はそんなことを気にも掛けずにお会いしていただけた。

凝視すると逆に押し返されるほどの濃艶な存在感のある作品だが、さすがにこの作品1点では企画展にならないので、知恵を絞ってヴィーナスに関わる作品を借り集めた苦労がわかるものがあった。古代のヴィーナス像、ルネサンスでのヴィーナスの復活に関わる資料、『ウルビーノのヴィーナス』のような横たわる裸婦の図像、パリスの審判などのヴィーナスが出てくる逸話の作品というように気持ちの良い工夫があった。

気持ちの中に3つ残るものがあった。まずプリニウスの『博物誌』だ。15世紀のフィレンツェで作られた複製のようで、ヴィーナスの項が開かれていたが、厚さは20cmもあろうか、ベルトのついた赤い革表紙は立派というより見事というシロモノだった。

つぎはパリスの審判だ。世界最初のミスコンであるパリスの審判は、古今の巨匠が好んで取り上げた題材で、ルーベンス、クラナッハ、クーリンガーなどの作品ではヌード審査の場面がほとんどである。だが、ここではルネサンス盛期に入る前の作品だろうか、ドレス審査という珍しい作品にお目にかかれた。

3つ目はヴィーナスの家族の肖像だ。横たわるヴィーナスが幼いわが子を抱き、夫のウルカヌスと3人で横長の画面に収まっている作品だ。ヴィーナスの左手には矢を入れる矢筒が握られていて、わが子が矢を持つキューピッドであることが判る。また、キューピッドがいることでヴィーナスであることもわかるのだが、実はこの方が多いのだ。パリスの審判にしても、ユノ、ミネルヴァ、そしてヴィーナスが出てくるが、ギリシアの神様はみんな裸なので誰が誰だかわからない。そこで、ユノのそばには孔雀が、ミネルヴァのそばには兜かフクロウが、そしてヴィーナスのそばにはキューピッドがいる約束になっている。だから、ヴィーナスがキューピッドを抱いているのは極めて自然そうなのだが、チョイ待ちだ。

キューピッドはウルカヌスの子ではないのだ。絶世の美女は誰からも声が掛かり、またヴィーナスもこまめに火遊びに耽り、多くの男神に加え人間の男にも手を出し、子を産んでいるのだ。どうもキューピッドは軍神マルスの子と言われている。するとウルカヌスはとんでもない貧乏くじを引いてしまったようだが、ヴィーナスをマリアに、キューピッドをイエスに、そしてウルカヌスを他人の子を自分の子にする大工のヨゼフに見立てると、なんと「聖家族」になるではないか。これならウルカヌスも納得だろう。

それしても聖家族にしてはオッカサンが少し色っぽ過ぎるところに無理があるが、私の妄想にしては極めて上出来で、帰りは雨にもかかわらず気分はご満悦だった。


23:50:00 | datesui | |
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