Complete text -- "#563.さすがの書き出し"

27 May

#563.さすがの書き出し

書き出しについて述べてみたが、古典の名作にはさすがと言わせる書き出しが多い。思いつく有名な作品を少しあげてみる。

? 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。
? 春は曙。やうやう白くなりゆく、山際少し明りて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。
? いづれの御時にか、女御更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなききはにはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。
? 行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。
? 月日は百代の過客にして行きかふ年も又旅人なり。

ご承知のものが多いと思われる。どれをとっても、齋藤孝の『声に出して読みたい日本語』に出てきそうなものばかりで、毎日のように口ずさんでもいいものだらけだ。
まず、?は平家物語だが、何と言っても格調の高さは抜群で、他の追随を許さないものがある。内容、語彙の選択、そして見事なリズム感。完璧な書き出しだろう。この格調の高さだが、戦記ものであるのでチャンチャンバラバラは当然、色恋沙汰もある中で、最後に大原行幸のところで建礼門院と後白河法皇が重苦しい会話をするところで結末をつけているのは見事だ。相当な知恵の集まりがあったものと思われる。
?は清少納言の枕草子だ。いかにも幕開けという演出が憎い。リヒャルト・シュトラウスの『ツァラトゥストラはこう語った』を思い出せるようだ。
?は言わずと知れた紫式部の源氏物語だ。あの長い作品も意外と平静な一文から始まっているのだが、この文も上下関係を無視した天皇の振舞いが述べられており、行く先の不安を呈しているのだ。源氏の過ちは柏木によって繰返され、源氏は加害者と被害者の双方の立場を味わうことになる。
?は鴨長明の『方丈記』だ。ただ全編を読んでいないので大したことは言えないが、ずうっとこんな調子で最後まで進んで、ただ悩んでいるだけという感じである。無常観と言われるが、無力感を感じてしまう。だが、この書き出しはそれを超えて素晴らしい。
?は松尾芭蕉の『奥の細道』で、これも格調が高く、しかも人生は旅というコンセプトも織り込んである。李白に『春夜桃李園に宴するの序』という小品があるが、その冒頭に「それ天地は万物の逆旅(げきりょ:旅館)にして、光陰は百代の過客なり」というくだりがあり、影響が窺える。源氏物語でも直接表現を避け「いづれの御時」としているが、日本に最も影響のあった白居易の『長恨歌』でも時の皇帝は唐の玄宗であったものを「漢皇」としている。最も影響を受けやすいのが書き出しの部分かもしれない。


11:45:40 | datesui | |
Comments

アマデウス wrote:

大変ご無沙汰しております。
古典の書き出しという興味深い内容に感激しました!
そして、高校・大学といった多感(?)な時期に読んだ作品のことを思い出すきっかけを与えて頂くことになり、非常に感謝しております!!

スタートは高校三年時の現代文の授業に遡ります。
それは、森鴎外の『舞姫』だったのですが、先生曰く、
「名作の書き出しは非常に素晴らしい。是非、覚えておいて欲しい。」
とのこと。
素直な(?)私は、「それは尤もだ。」と思い、
「石炭をば早や積みはてつ」
を念仏のように唱えて覚えたものでした。

それからは意識するようになりました。
特に気に入っているものを挙げます。

○夏目漱石『草枕』
 山路を登りながら、こう考えた。
○夏目漱石『吾輩は猫である』
 吾輩は猫である。名前はまだ無い。
○芥川龍之介『蜘蛛の糸』
 ある日のことでございます。
○太宰治『人間失格』
 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。

また、海外ものですが、『異邦人』の出だしも印象に残っています。

名作というものは、内容も去ることながら、格調高い文章であることを改めて感じました。
05/29/09 00:29:45

datesui wrote:

アマデウスさんもお元気なようで、なによりです。

『異邦人』の書き出し、
「きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かもしれないが、私にはわからない。」
ですよね。

ちょっとシュールな感じの入り方が堪りません。
訳する人も大変ですね。句読点の一つひとつまで気を遣うのでしょう。
05/30/09 23:30:05
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