Archive for May 2006

30 May

#74.コンドル Part?

旧古河庭園、旧岩崎邸とコンドルの作品を見て、3つ目は御茶ノ水のニコライ堂だ。例のN先生のガイドブックには、ニコライ堂の前座のように聖橋が紹介されていたので、御茶ノ水の駅はニコライ堂とは逆の方向の出口から降りた。降りてすぐ、御茶ノ水橋があるので、その上から聖橋を狙う。ニコライ堂と湯島聖堂を結ぶ位置にあるので聖橋といわれるのだが、1、2枚撮ったら地下鉄の丸の内線が通った。そうか、ここは昔から交通七交差として有名?なところで、神田川の水運から始まって、丸の内線、JRの中央線と総武線、地上の車道と歩道、そして空の飛行機と7つの交通手段が集中している珍しい地点だったのだ。今では、これに地下鉄の千代田線まで加わったから、八交差になっているはずだ。そこで、丸の内線とJR中央線が好い塩梅に重なるのを待っていたが、待っていると来ないもので早々に諦めてしまった。

左が湯島聖堂、右がニコライ堂になる。丸の内線と中央線、なかなか揃わないものだが、もう少し待つ気力が欲しかった。
 

若い街の御茶ノ水駅前はエネルギーが溢れていた。食べもの屋さんが多いが、どこもボリューム一杯で、見ているだけで胸焼けしそうになるとは歳を取ったものだ。
ニコライ堂が見えてきた。ジョサイヤ・コンドルの設計だ。イギリス風だけではなくて、こんなロシア正教の教会建築まで手掛けているのだ。ロシア風の教会建築は元を質せばビザンチン建築で、日本には馴染みが薄いが、その後のトルコ建築に影響を残しイスタンブールのモスクなどに美しい姿が今も聳えている。門を入ると、敷地が狭くて高いドームの写真が撮れない。関東大震災で被害を受け、岡田信一郎が修理にあたったが、そのときドームを低くしたそうだ。だが、それでも高く聳えるドームは写真に収まってくれない。表に出て歩き回るも、絶好のアングルはなかなか掴めなかった。
ロシアは、キエフ公国がギリシア正教を国教とするなど、ギリシアと文化上の縁が深かった。15世紀、モスクワ大公イワン3世はビザンツ帝国、つまり東ローマ帝国最後の皇帝の姪と結婚したことから、ビザンツ帝国滅亡後のギリシア正教首長の後継を辞任した。ビザンツ帝国皇帝の紋章だった「双頭の鷲」はロシア皇帝の紋章となり、モスクワはビザンテュームに続く、第三のローマとしてギリシア正教の総本山になった。こんなことから、ロシア文字はギリシア文字に良く似ていて、HやPなど西欧とは一味違うところが楽しい。イエス・キリストもイイスス・ハリストスなのだ。正面の看板も、「日本ハリストス正教会復活大聖堂」と表記されている。十字架も才の字のような変わった形をしていて、ケルトの円環のついたセルティッククロスと双璧をなすだろう。
真上ばかり見上げていたので首が疲れ、そろそろ引き上げようと思っていたとき、妙なものが目に入った。「NIKORAI−DOUMAE」という英文字表記の看板だ。「ニコライ堂前」と読むのだろうが、誰に読ませるために設置したのだろう。地下鉄などで行き先の英文表記を見るが、果たして読めるのだろうか訝るときがある。また、ちゃんと書かれていても英表記なので困る外国人もいるだろう。「CHIBA」と書かれていても、英人、仏人、伊人はそれぞれ「チバ」、「シバ」、「キバ」と読むだろう。いずれも都内から行けるところだから、混乱もあるだろう。

敷地に中から写すとドームまで入れるのが精一杯。


正面玄関はドームとはかなり違う雰囲気。右側の写真は、何の建物かは不明だが、ロシア風のネギ坊主頭の屋根が気に入った。
 

やっと、良さそうなアングルになった。外に出て通りを渡った向こう側から撮ってみた。右下の細長い青いものに例のNIKORAI−DOUMAEと、しかも縦書きで書いてあった。



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23 May

#69.コンドル Prat?

N先生の名著『東京下町散歩25コース』の「近代化遺産を訪ねる」コースめぐりは、最初のひとつで挫折してしまったが、名誉挽回、その次の湯島の「旧岩崎邸庭園」に出掛けた。
英人建築家ジョサイヤ・コンドルの設計の旧岩崎邸は、1896年(明治29年)に完成した。完成時は、野球のグランド4つ分に相当する5万平方米の敷地に20棟の建物が林立していたが、現在は洋館、和屋、撞球室の3棟が残っている。
正門からなだらかな坂を上り、左に曲がると入口がある。入園料の400円を払う前から正面の堂々としたファサードが見える。入場券と「時の風が吹く庭園」と題したパンフレットをもらい、改めて木造2階建ての洋館を見上げる。基本的には英国のジャコビアン様式なるものらしいが、ルネサンスやイスラムなど、さまざまな様式が取り入れられている。木造ではあるが、重厚感は十分という趣だ。まずは1枚、デジカメのシャッターを切った。どんなものか写り具合を確認したら、手前の棕櫚の木も何本が写っていて、異国情緒が妙だった。棕櫚を外してもう1枚撮ってみた。今度はイギリス風の重厚さが出た。

棕櫚で変わった雰囲気なる。イーグルスの名盤『ホテル・カリフォルニア』風にみえる。棕櫚を外すと一変イギリス風だ。


コンドルは1877年(明治10年)に来日、工部大学校造家学科(現在の東大工学部建築学科)の初代教授に就任し、日本で初めて本格的な西洋式建築を教育した。門下には、東京駅を設計した辰野金吾、赤坂離宮を設計した片山東熊などがいる。自身の設計も多く、先日の旧古河邸、鹿鳴館、上野動物園、ニコライ堂などがある。日本最初の建築設計事務所の開設など、1920年(大正9年)日本で永眠するまで、実務においても日本の建築界に尽力した。
南側は大きな庭だった。広い芝生と鬱蒼とした木々の林があったが、林の部分は和式の庭園だった。芝生の端から洋館を眺めると、柱列を配した南側のベランダは重厚感の中にも、明るさと開放感のある。よく見ると、1階と2階で微妙に様式が異なっている。中に入るため北側に戻る途中に撞球室がある。日本最初のプールバーということか。
内部は1階が玄関、食堂、厨房など、2階は客室や集会場があったが、2階の女性用の客間か壁紙のアラベスク模様が心和むものだった。2階のバルコニーからは外が眺められ、広い芝生の景観が楽しめる。ここでも、バルコニーの床はアラベスク模様が綺麗だった。1階の食堂で女性楽師4人による弦楽四重奏のコンサートがあった。建物の雰囲気に良くあっていて、1時間ほど楽しませていただいた。また、今日も「もはやこれまで」となってしまった。N先生、ごめんなさい。

洋館の南側。柱列を配したテラスが美しい。2階からは広い芝生が優雅な気持ちにさせる。


これが、日本最初?のプールバー。


旧岩崎邸の裏は、かぐやひめの歌でお馴染みの無縁坂。この先は東大病院へつながる東大の竜岡門だ。



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16 May

#64.花のお休み

お友達で都立高校の先生をしているNさんが本を書いたそうだ。『東京下町散歩25コース』という本で、年賀状でご案内いただいたのだが、つい不精をして最近やっと手に入れた。お仲間お二人との共著だが、読んでみると良く書かれた力作で、気合の篭った懇切丁寧な記述が嬉しかった。
24番目に登場した「近代遺産を訪ねる」というコースがあったが、確かN先生は近代の歴史的建築がお好きで、N先生の執筆かと思わせる。なにせN先生との馴れ初めは、近代の文化財建築を見て歩く江東区の区民講座でご一緒させていただいことなのだ。というわけで、5月10日そのコースの起点「旧古河庭園」へ出掛けてみた。

東京メトロの南北線を降りて、本郷方向に5分ほど歩くと右手に立派な築地塀が見えてくる。あまりにも和風なので少し訝るが、門には大きく「旧古河庭園」と書いてある。入場料は150円、早速右手奥に黒々とした西洋館が見える。英国人建築家ジョサイヤ・コンドルの設計になる、英国風ネオレネサンス様式の外観は、堅牢・実直というイメージが気持ち良かった。

旧古河庭園の入口。入ると前方に黒々とした西洋館が見えてくる。


このアングルがよく知られたところ。堅牢なイギリス式ルネサンス様式だ。花壇は手入れが行き届き、気持ちが良い。


ここ旧古河庭園の目玉はバラの庭園なので、庭を歩くのだが、どうもバラは咲いていない。どうしたものかと思っていると、庭師に聞いている人がいた。何気なくそばに寄って、耳ダンボにして聴いてみると、「連休に一斉に咲かせたので、今週は休ませることになってしまいました」とのことだった。特に四季咲きのバラは、夏にはどんどん咲いて自分から枯れてしまうそうだ。だから、咲かせないことにも苦心しているという話だった。なんとなく了解してしまったが、150円だからかな。本来なら、事前の告知が必要だろう。
という訳で、花の咲いていないバラの木を見たが、木にはそれぞれ品種の名札があって、マリア・カラスやジーナ・ロロブリジーダなどの名前が読める。肝心の花はないが、そこは得意の妄想で勝手な姿を想像してみた。今度、咲いているとときに来てみる楽しみになった。でも、がっかりしなければいいが。

入口でくれたパンフレットによれば、この辺りはバラで埋もれているはずなのだ。咲いていない理由はどうしても聞いてみたくなる。


咲いていないバラの名前だけ読んで花の姿を想像する。マリア・カラスもジーナ・ロロブリジーダも本当のところ姿は良く思い出せない。


館の中がティールームになっているので、入ってみた。さすがに品の良い空間で、気後れしそうだった。コーヒーを所望したら、ミルクを入れて飲む昔懐かしいタイプのコーヒーがウェッジウッドのカップで出てきた。

ここが正面玄関。ティールームの入口でもある。コーヒーは820円だったか、チョイト高めか。


コーヒーを啜りながら本を改めて読み直すと、このあとこのコースは、湯島の岩崎邸、御茶ノ水のニコライ堂、日本橋の三井の本館から日本銀行本店、東京駅を抜けて日本工業倶楽部と東京銀行集会所、さらには外堀通りの明治生命館と第一生命館、日比谷公会堂のあとは日比谷公園の裏の旧司法省、最後は四谷まで足を延ばして迎賓館で締めくくることになっている。スッゲ〜、そんなに歩くんだ。しかも設定時間は4時間。時計を見たら、もう1時間半も経っている。そうか、N先生の散歩は優雅にお茶なんか飲んではいけないか。でも、N先生、高校生の社会見学にしたって厳しすぎるのではないのでしょうかね。こちらは生来の根性ナシなので、先生には申し訳ないけど「もはやこれまで」とした。


その埋め合わせといってはなんだけど、メトロの駅のそばにある西ヶ原の一里塚を見ることにした。東京で現存する唯一のものらしい。ひとりで見ていたが、やがてどこからともなく一団が現われて、突然観光スポットのようになってしまった。まったく、油断もスキもない。この一団はお勉強好きの方々らしく、順番に自分の調べてきたことを説明しているようだ。邪魔になってはいけないので、退散することにした。

西ヶ原の一里塚は江戸から本郷を経て、2つ目になるそうだ。この小気味良い人だかりは、何がそうさせているのだろう。


これが全体像で、道路を挟んで2つに分かれている。


帰り道、独立法人国立印刷局滝野川工場とやらの看板が目に入った。ここで、お札が印刷されているのだ。「ISO14001審査登録工場」を誇らしげに表示していたが、千円札の不良品を何万枚も印刷してしまい、しかも実際に不具合が起きたことは耳新しい。この立派な表示をみると、環境対策に追われて品質管理が疎かになったように思えてならない。安全を重視したら不良品だらけになったとか、安全や環境を巡るこの手のニガ笑いは少なくはない。

ここが不良千円札の国立印刷局滝野川工場。ISO14001が眩しい看板。



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08 May

#58.惜春を超え、一気に初夏

先週は大型連休、お天気も良く、計画のあった人には絶好の日々だっただろう。まずは5月1日だが、この日は、この連休を象徴するような陽気で暖かさを超え、一気に暑くさえなった。そこで春を惜しむなんて言っている場合ではなく夏なので、早く行かないと見られなくなる亀戸天神の名物の藤を観に出掛けた。
錦糸町の駅から徒歩で進むと、まずは錦糸公園。木々の緑はすっかり夏模様で、早くも道行く人たちに涼しい木陰を提供していた。
さて、亀戸天神に着いた。お天気に誘われてたくさんの人出だ。ここでも、世相の反映か私と同類の方々が大勢いらっしゃる。平均65歳ぐらいだろうか、定年退職組かリストラ見放され組か、一様に皆さん元気だ。もっとも元気でなかったら、こんなところへは来られない。
お目当ての藤は心持ち早めだが、咲きっぷりには申し分なく、お蔭さまで十分楽しめた。色づきもまずまずで、来た甲斐はあった。
帰り道、太平に新しくできた商業施設に寄ってみた。昔の精工舎の工場のあったところだろうか、オリナスというかなり大きな施設になっていた。シネマ・コンプレックスがあるので、お目当てのシネマでもと思ったが、2時間も待たなくてはならなかったので、次回ということにした。ネットの情報と食い違いがあったが、シネマ・コンプレックス側はこのへんの事情を把握しているのだろうか。それとも何とも感じていないのだろうか。

錦糸公園の木々は一斉に緑が揃う。2ヶ月前がウソのよう。木陰は早くも夏模様。


亀戸天神。学問の神様だけあり、お札は合格祈願でいっぱい。それにしても志望校は立派だ。


お天気に恵まれ、かなりの人出。人も多いが、亀戸の土地柄か、この池には亀も多い。この天神様は不思議なことに、梅より藤、牛より亀か。


お目当ての藤だ。皆さん写真に収めている。よく見ると、花札の4月の模様が見えてくる。鳶でも飛んでくると最高だが。


帰りに立ち寄った商業施設のオリナス。大きいだけではなく、高級感もある。でも、少し気取り過ぎか。



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