Archive for December 2006
29 December
#183.結局、最後は健康 −振り返れば2006?−
今年を振り返ると、ありがたいことばかりだった。まずは、人との出会いのありがたさだった。1年間まるまるプータローをさせていただき、そろそろ身の置き所に不安が出てきたところで、あり難いことにお仕事に恵まれた。全く過分なはからいで、何という幸せ者だと思い、世の中の人との巡り合いの大切さ、嬉しさを肌で感じた年でもあった。この気持ちを自分自身で守っていくことは当然として、できることなら他の人たちに伝えてあげたい気持ちも同時に湧いてきた。
もうひとつは健康だ。仕事に就いたとき、好事魔多しとでも言おうか突然病魔が現われた。放っておいた心臓の具合が悪く、医師の診察は手術が必要ということだった。そう言えば、今まで健康にはまともに向き合っていなかった。生活習慣病の指標が少しばかり良かったせいもあったが、なるべく食べないなるべく動かないという縮小均衡型の健康志向をほざいていたのだ。要はめんどうなことはしないということに他ならないだけだった。
入念な検査と丁寧な診察により、幸いにも手術をすれば良化が見込まれたので、覚悟を決めて手術に臨むことにした。ここでもありがたいことに高質な医療を受けることができ、特に嬉しかったのは気持ち良く医療を受けられたことで、何にも替え難いことだった。そして今、順調な術後の回復を楽しんでいるのは、何たる贅沢であろうか。
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27 December
#181.かったいのかさ恨み −振り返れば2006?−
「かったい(癩)のかさ(瘡)恨み」ということを聞いたことがあると思われる。かったいはハンセン病、かさは梅毒。ともに重い病で、皮膚に醜い痕が残る痛ましい病であるが、より重いものが少しでも軽い方を恨むということで、転じて大差のないものがうらやんだり、愚痴をこぼしたりすることをいうそうだ。その「かったいのかさ恨み」状態に日本中が入ってしまったようだ。愛知のホームレス殺人事件がその象徴的事件かもしれない。加害者は中学校時代をいじめ受けた弱者だそうで、その抑圧からホームレスの人たちを襲い金品を奪っていたそうだ。殺害されたのはホームレスの女性で、日本の社会でも最弱者に位置付けられる人なので、いたたまれない気持ちだ。
働いている人たちの状況も変りはない。組織化され権利が保証された身分で働く人々は既得権にしがみつき、一方、組織化されておらず、権利も乏しい人たちは相変わらず不安定で厳しい状況で働くことを強いられている。この人々たちは同じ現場で同じような仕事をしていることが多く、いがみ合っているように見える。ところが、別世界にいる経営者たちの報酬は一様に上昇しているのは、どうも理不尽におもえてならない。
このようなことが、あちこちで起きている。条件の悪い人ほど条件が厳しくなる状況から脱出できる状況になってほしい。
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26 December
#180.いじめと加害者 −振り返れば2006?−
教育基本法の審議と平行して、いじめの問題が盛んになってきた。議論自体が盛んになることは大いに結構だが、初めのころは対処療法に終始したようで結末が心配された。というのも、「死のうとする前に」や「いじめられたら」というへの対処ばかりで、肝心のいじめのもとに眼が向かなかったからである。朝日新聞の朝刊の一面にも、毎日各界の選りすぐりの人たちによる、いじめへの連載があったが、「いじめられたら」という論調ばかりで、「いじめをやめよう」とか「いじめは悪い」という論調はなかなか現われなかった。さすがに、「いじめられる方も悪い」という論調はなかったが、以前はこれで事を済ましていた乱暴な先生もいたそうだから驚きだ。新聞の記事も、いじめられるタイプなどと、いじめられる側の話が多く、これではいじめる側に情報提供をしていることにもなりかなねない。連載の終わりの頃になって、宮本亜門のカエルをいじめてしまった話は心打たれる良い話で、いじめる側に立った数少ないいじめの話だった。
日本の社会は加害者に甘く感じられるようで、いじめに限らず、自動車事故、そして少年犯罪と、刑罰を重くすることが世論の方向になっている。というのも、加害者には人権というものがあって、物申せないような雰囲気があるようだが、その引き換えに刑罰が重くなるのでは議論が噛み合っていないようだ。
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20 December
#177.よくやってくれた
朝日新聞の夕刊に、『ニッポン人・脈・記』と題していろいろな業界の人たちを連載で紹介をしている。今連載されているのは、『数学をするヒトビト』という数学者たちのお話である。数学者というと少し変った人がイメージの相場で、『博士が愛した数式』に出てくるような人物が典型的と思われている。実際そのような方も多いのだが、そうではなくコミュニケーションの巧みな楽しい人がいるのはどの業界でも同じだ。この辺のことを述べていて、数学を少しは身近な存在にしてくれている。とにかく敬遠されがちな話題だが、読まれない不安を超えて取扱った勇気に賞賛を贈りたい。第1回目が素晴らしかった。ゼータ関数という、やたら難しいが見るからに魅力的な研究領域を上手に紹介されていた。それ以降は大きなタイトルが人脈であるので致し方ないが、人物の繋がりだけに焦点が当てられ、数学の魅力面の紹介や研究内容への踏み込みは弱くなってしまった。ということで少々残念な気持ちでいたのだが、6回目になって復活してきた。
テーマも良かったが、登場人物にも恵まれた。森毅、野崎昭弘、そして安野光雅という繋がりである。一般には縁遠い数学の啓発に努めた人たちでもあるので、当然と言えば当然だが面白い話が載っていた。
赤い帽子を3つ、白い帽子を2つもってきて、そのうち3つを太郎、花子、かげぼうしにかぶせます。他人の帽子の色はわかるが自分のはわかりません。「花子さん、あなたの帽子の色は何色?」、「赤です」。よくできました。「かげぼうしさん、あなたの帽子は何色」、「白です」。どうして白なのか説明できますか?。
挿絵には、赤い帽子をかぶった花子、白い帽子をかぶった太郎、帽子の色が不明のかげぼうしの3者が描かれている。さて、この絵を見て、筋道立てた説明できるだろうか。
太郎が白をかぶっているのだから、残っている白はあと1つ。花子が赤と言ったことから、花子が白でないと判断を下せる情報がかげぼうしから得られたことになる。そこで、かげぼうしが赤だとしたら、残りは赤1つ、白2つとなって、花子には白、赤、両方の可能性があって、判断を下せない。ところが、かげぼうしが白だとしたら、残りは白0、赤3つとなって赤の可能性しかなく、花子は赤だと判断できる。花子が赤だと正しく判断できたのだから、かげぼうしは白ということになる。
このような論理は数学の基本中の基本だが、小学校から案外やる機会は少ない。問題を解く技術修得が先行してしまって、論理のような基礎は蔑ろにされているようだった。時間制限のある中でカリキュラムを見直して、算数や数学の中に論理を取り込むのは難しいかもしれないがなんとかトライして欲しいものだ。
赤帽子白帽子の問題はいろいろ変形があるが、よく知られているのは、『赤い帽子3つ、白い帽子2つがある。3人が一列に並んで帽子を1つずつかぶっている。全員自分の帽子の色は見えないが、一番後ろの人は前2人の帽子の色が見え、2番目の人は前の人の色は見えるが、後の人のは見えない。一番前の人は誰のものも見えない。そこで、一番後ろの人に色をたずねたら、わからないと答えた。次に、2番目の人にたずねたら、2番目もわからないと答えた。そこで、一番前の人にたずねたら、帽子の色を正しく言い当てた。どうしてか。』というものだ。
このような話は、昼休みに誰かがもってきたりするので、知っていることになる。だが、これを数学の授業でも国語の授業でもいいから、授業中にみんなで説明しあうということが欲しいものである。
学力低下ということで喧しいが、詰め込むことも重要だが、考えることも大切だ。考えることはこのような論理を推し進めることで、小さいうちから鍛える、というよりは親しんでおくことが大切と思えてならない。
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18 December
#176.油断も隙も −振り返れば2006?−
2006年は耐震偽装の騒ぎから始まったような気がする。そして、下半期は談合で県知事が相次いで逮捕される事件が起きた。いずれも建設業界に密着した話ではあるが、別の話のように見える。耐震偽装は偽装設計した設計士が最も悪いことは明白だが、施工した建築業者も相当程度に悪いヤツに見える。更に、民間の検査機関の存在だ。偽装は巧妙で見抜けないと自らのプライドも何もなかなぐり捨てて責任逃れだ。そもそも地震国日本なら、地震に対する備えは必要以上のものがあっても良いわけで、偽装をする方も見抜けない方も日本人であることを疑いたい。
1995年の阪神淡路大震災のあと、建築基準法の改正が行なわれた。地震に対する備えを高めるものであったが、その改訂は安全には最小限の対応という奇妙なものになった。改訂の中心は民間の検査機関導入などの制度改正で、日本の優れた匠の伝統を棄て、国際慣行にあわせたようである。どうもこれは耐震建築の苦手な国に対して、日本の建設市場に進出できるようにする配慮のようにもとれる。
また、日本の建設業界の特長のひとつに談合があるとのことだ。これがもしあるなら、海外のみならず国内でも参入障壁になっていることは確かなことだろう。ここにもケチをつける国がいて、取締り強化の要求を押し付けてくるらしい。談合の取締り自体は歓迎されることなので好ましく思えるが、実態はこの外圧によって県知事の逮捕が続出しているとのことである。
耐震建築の苦手な国、障壁になっている談合取締りを要求する国は、当然のことながら同じ国だが、非常に手の込んだ方法で日本の建設市場を攻めてくるのは見事であるが、知らぬ間にこんな状態になっているのではまったく油断も隙もあったものではない。
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