Archive for February 2007

26 February

#208.ウィキペディアからの引用

23日の新聞にウィキペディアからの引用に対する警告の記事が出ていた。アメリカの大学で、学生が日本の歴史についてウィキペディアから検索した内容でレポートを作成したところ、ウィキペディアに誤りがあったためテストやレポートでの引用を大学が禁止したとのことである。読んで、何か不思議な違和感を覚えた。普通の記事なら反対賛成ということで済ましてしまうが、この記事はそのような普通の感覚で読み終えることができなかった。

まず、大学が引用を禁止するとは大笑いだ。情報源として何を利用するかは学生の判断に任せることが大学教育だと思うのだが、この大学では引用の適不適の判断は学生には不能と思っているようだ。また、誤りがあるのはウィキペディアを利用して書いた学生のレポートであって、ウィキペディアではなくても引用元に誤りがないことは保証できないと考える。

記事を素直に読めば、引用した側の責任だから、真贋選別能力をどうもつかということになりそうだ。だが、どうもウィキペディアそのものを否定したい意図が読み取れてしまうのだ。それは、ウィキペディアに間違いが多いという類の話ではなく、情報の権威に関わることだからだ。Web進化論の梅田さんによれば、今まで引用の対象とされ崇め奉られてきた権威が危うくなっているということだ。従来、言論の自由は保証されていたようではあったが、紙に印刷された文字情報は誰でも構わず発信活動に参加することは許されていなかった。一部の権威だけに許されたことで、実は情報の特権階級が形成されていたのだ。辞典や辞書は、権威ある編集者が権威ある識者とやらを集めて、長い時間を掛けて編纂したものである。それをどこの誰だかわからない輩がどんどん作ってしまうのは、彼らにとっては権威を蔑ろにされたばかりではなく、オマンマの食い上げにつながる忌忌しきことである。現に、ウィキペディアも日本のサイトでの項目数は30万を超えており、広辞苑でさえ23万項目であることを考えれば、もはや新たな権威と判断できよう。

今回のことはアメリカでのことである。日本の権威筋も、多少なりとも援軍を得たりという気持ちだったのかもしれない。まっ、大学の先生方は自分の本から引用してもらいたし、最大の権威筋の新聞も近い将来このままでは売れなくなることは明白だろうから。


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19 February

#204.カツオとヒラメ

先日、健康談義をしていたらカツオの話題になった。カツオの泳ぐ姿は健康そのものだという話だ。まさにその通りで、もの凄いスピードで、とてつもない距離を回遊するカツオのバイタリティーには眼を見張るものがある。低緯度の熱帯の海に生まれて成長とともに北上する回遊の範囲は、日本近海だけでも先島諸島から黒潮に沿って鹿児島、高知、和歌山を通り、房総、三陸、北海道さらには千島列島の南に達し、ここで下りカツオになって南へ戻って行くという。回遊距離は1年間だけでも恐らく数千キロになるものと思われ、しかもその距離を時速30kmに達すると言われる猛スピードで泳ぎ続けるという。いやはや大変なスイマーで、敬服さえ感じてくる。

そのバイタリティーの権化のようなカツオだが、残念なことに短命だという。心肺機能や血管への過負荷が短命の原因とされている。つまり、過度の運動は身体に良くないのだ。適度な運動は血管や心肺などの老化を防ぐが、大きすぎる負荷は心肺機能や血管を消耗させてしまうのだろう。元気すぎるカツオにはとんだ落とし穴があったものだ。
その反対に動かない代表としてヒラメがいる。悔しいことに、ヒラメは長寿だそうだ。海底の砂地にジッとして餌が泳いでくるまで待ち、目の前に来たときパックと動くだけである。そして、再びジッとして、ただ上だけを見て過ごすわけである。こんな生態のヒラメは、余計な動きをしないので過負荷にならず、結局長生きができるとのことだ。

自ら真っ直ぐに進んでいくカツオは短命で、上しか見ないでジッと待っているだけのヒラメが長生きとは、何と理不尽なことだろう。魚の世界とはいえ、やり切れない気持ちになってしまう。


短命にさせてしまうほどのカツオのバイタリティーを、ヒラメのように使うのがホモサピエンスのなせる業としたら、果たしてどんなことが考えられるだろうか。


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15 February

#202.健康の青い鳥

昨日14日はバレンタインデーで、春一番も吹いたそうだが、実は去年のちょうど昨日、このブログが始まったのだ。だが、退役軍人の身にとっては健康診断という最も大切なイベントの日でもあった。去年は健康診断で指摘されたことを長い間放っておいた祟りか、入院手術という療養の年になってしまったからだ。まあ、未納の税金を追徴されたようなものだと思っている。そこで、今年は健気にも健康診断に出掛けた訳だ。以前は検査の場で「医師の診察を受けてください」などと言われたものだが、今回は聴力が弱っている以外はその場で言われることはなかった。でも以前検査で指摘されたときは、「お前だって医者だろう、中途半端なこと言わないで治るようなことをしろ」などと思って、あんな医者の言うことなんか聞くもんかと癇癪を起こしたものだった。だが、その癇癪が去年の療養生活に繋がったのかも知れないので、今回は神妙な気持ちで検査や診察を受けた。

思い起こせば、小さいころは虚弱体質だったものが、どうにか生き長らえてきて人並みな生活ができるようになっていた。それどころか健康診断での数値は意外と良い状態で納まっていたのだ。小さいころのことを思ってか、酒もタバコもやらなかったが、それ以上に食べる力がひとより弱いようことが良かったように思える。
加えて運動するのが億劫で、「なるべく食べない、なるべく動かない」という縮小均衡型の健康に徹しようとしていた効果かどうかわからないが、結果の数値だけは自慢のタネにさえなった。どうも、健康診断というのは、元気過ぎて健康から足を踏み外しそうなヤツ向きの検査かと思え、こちらはやっと生きているのだから引っ掛かるハズがないと高を括っていた。

ところが去年の大事件で、運動をしないと老化も早まるという認識に立てたし、なによりも術後の回復のための運動に精を出してみて、新しい励みをいただいたような気持ちにもなれた。という訳で、漠然とだが健康の大切さもわかり、健康は斜に構えて取り組むものではなくて、真っ向から向き合うものだと言うこともわかった。だが、長年逃げまくっていた罰か、神様は健康の本質を簡単にはわからせてはくれない。少しずつ健康の状態に近づいているハズなのだが、近づくにつれて姿、輪郭が益々ぼやけてくるのはどうにも困ったことだ。


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12 February

#200.消滅への一里塚

#200になってしまった。何か気の利いたことと思っていたのだがもう遅い。ただただ後悔だ。そこで、#100ではどうだったのか振り返ってみた。すると、今回と全く状況は同じで何も準備できないまま、#100を迎えていた。
まっ、#200と言っても何かの通過点と考えれば特に気にすることもあるまい。これからも粛々と思いついたことを気侭に書き綴らせていただこうと思っている。

だが、何かの通過点とは何へ向かう通過点だろうか。特に、決めたものも、意識しているものもない。となると、冥土への一里塚みたいなものなのかも知れない。



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07 February

#198.最悪の敵

去年の10月に手術して、かれこれ4か月になる。おかげさまで回復は順調で、毎日薬を飲んだり、血圧や体重を測ったり、充実の毎日が続いている。中でもリハビリの歩くことが最大の日課になっていて、かなりの励みになっている。歩くには外へ出るのが一番いい訳だが、寒い日や雨の日は無理しない方がよかろうということで、狭い我が家の室内をぐるぐる歩きに替えるときもある。こんな状態でリハビリの歩きを進めていたとき、親しい友達から万歩計の使用を奨められた。そこで生まれて初めて万歩計を使うことになったが、使ってみると意外と深いつき合いになった。

歩き出だすと、すぐ歩数が気になる。万歩計を見ると安心する。歩数が多くても少なくて構わないのだ。2、3日こんな日が続いたが、メモリーがあるが一週間分なので、消えてしまうのは惜しいので記録をつけることにした。毎日の歩数の記録をしていくと、前日の記録を上回るとなぜか嬉しくなる。別にご褒美がでるわけではないのだが、これで喜べるとは実に安上がりにできているものだ。1か月したら集計をしてみようと思ったが、エクセルに記録していたため、毎日集計をして途中経過を出しては一喜一憂という状況になってしまった。前日を上回ることは勿論、前日までの平均が4200歩だから、その平均を下げないように歩きたい、というか歩かねばならないという気持ちになってきた。

手術後のリハビリなので、寒い日や雨の日は外へ出ないと決めていたのに、外出しないことが心配になったりするのだ。さすがに冷たい雨をついてまで外出はしなかったが、困ったことに穴埋めや取り返しを気にするようになってしまった。こうして最初の月末が来て、集計結果をドキドキしながら見た。結果は、一日平均6433歩で、なんだかホッとした。仕事に復帰していたので、16000歩という日もあり、近所だけではない外出もあったからだ。でも、6000歩とは当初の予想をはるかに超える歩数で、満足どころか快挙モノなのだが、毎日の途中経過がそのような気持ちにはさせてくれなかった。なんだか頑張った割には報われない気持ちだったが、変なものでこの6000歩が新たな目標となってしまったのだ。

つぎの月も、毎日毎日の一喜一憂を越え、カレンダーを眺めては「来週の歩数の稼げる日は・・・」というように、歩数ノルマの達成計画を真剣に考えるようになってしまった。なにか歩数を稼ぐために歩いているようで、「そうだリハビリという医療行為なのだ」と思い直すことさえ起きてしまった。それでも、つぎの月末が来てしまう。7343歩。また、ホッとした。なんだろうこれは。この安っぽい安堵感はどこからきているのだろう。長年の会社勤めが生んだ数値目標達成マシーンになってしまったのか。そんなつもりではなかったのだが、残念だ。
3か月目に入って、決めてもいない目標が目の前にチラつき、止めようと思っても意識から消えてくれない。中毒や依存症ではないと思うのだが、どうだろうか。それなら報酬としての快楽があるのだが、これはリハビリで快楽などはない。寒い日や天気の悪い日が続くと、それはもう恐喝観念にかられたような気持ちになった。

ある日、「一体、何と張り合っているのだろう」と考える機会を得た。正体のない数字との戦いを強いられる日々になってしまったのは。そのとき、実に運良く答が思い浮かんだのだ。「そうだ、自分だ!」。これは性質が悪い。相手のある競争なら勝ち負けがあるので、その時点で一旦勝負は終るが、自分が競争相手では終らない。これでは際限のない競争になるのは当たり前だ。では、どうしよう。ところが、止めたら止めたで寂しくなるのは必至だ。バカなわがままだが、このまま続けるのがたぶん正解だろう。


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