Archive for March 2007

27 March

#225.七は七福神

先日、五色不動、六地蔵、六阿弥陀の話をした。この続きは七で、七とくれば七福神である。お不動様も、お地蔵様も、阿弥陀様も馴染みが深いが、馴染み深さなら七福神を置いて右に出るものはない。当然のこと、落語にも登場している。
大店の旦那が店の番頭や手代を集めて酒を振舞った。酒のせいか普段気の利かない手代が口を開いた。
手代:「この家を七福神が取り巻いて・・」
旦那:「オッ、嬉しいことを言うね。さっ、その続きは・・」
手代:「貧乏神の逃げるところなし」

江戸時代の七福神巡りは、谷中七福神参り、向島七福神参り、山の手七福神参りの3コースが確認できる。文化文政時代には、早い春と幸運を求めて郊外の七福神を巡ったのである。また、江戸の神社仏閣は行楽地と重なり、しだいに江戸の名所として多くの出版物によって紹介されたことにより、江戸の人たちばかりではなく、地方から来た人びとの江戸巡りを盛んにさせたようだ。3コースのうちの谷中と向島のお参りコースは現在と同じようだ。
現在の七福神巡りは、山川出版社の『東京下町散歩25コース』に手頃な案内がある。都立の高校の先生をしているNさんがお仲間と書き上げた懇切丁寧なガイドブックで、下町のミシェランともいえるものだ。その第19コースが『七福神巡り』となっていて、深川、日本橋、谷中、下谷、隅田川、亀戸の6コースが紹介されている。

まずは深川七福神巡りだが、都営地下鉄の森下駅の近くにある深川明神宮の寿老人から、門前仲町の富岡八幡宮の恵比寿までのコースになる。森下駅から清澄通りを背骨に、肋骨を右へ行ったり左へ行ったりして門前仲町まで、下町風情を楽しみながら南下することになる。このコースには、芭蕉記念館、清澄庭園、深川江戸資料館などもあり、コース設定は2時間半となっているが、七福神を巡るだけの時間と思いたい。さらに、森下や門前仲町の界隈は粋な居酒屋の宝庫でもあり、当然そのお時間も考慮して掛かりたいものだ。

次は、日本橋七福神巡りだ。東京メトロの人形町駅界隈をぐるっと周回するコースで、中心は何と言っても水天宮様だ。ここは弁財天で安産の神様として有名なところだ。お腹の大きな女性の姿も見え、周辺はマタニティや出産用品のお店も多い。江戸の粋人大田蜀山人が、「恐れ入谷の鬼子母神、そうで有馬の水天宮」と言ったそうだが、少子化対策が叫ばれている昨今を見越したか、安産と子育てをセットにして戯れ言葉を作るあたり、江戸の粋人は本当に洒落ていたんだな。人形町も言わずと知れたグルメ街、洋食屋やお寿司屋、鳥にスキヤキ、そして洒落たビストロ、さらに人形焼などお土産にも事欠かかない。

3つ目は谷中の七福神だ。これは上野駅から歩いて不忍池にある弁天堂から始まり、田端駅まで北上するコースだ。静かな佇まいが楽しめるが、木々が多く気持ちも癒されることだろう。このへんは高校時代のテリトリーだったので懐かしいが、弁天堂に妙な感覚が残っている。まず、この弁天様は芸事の神様らしくお堂の横に大きな石の琵琶がある。この琵琶に使い古した三味線のバチなどを納めておくと腕が上がるということらしい。また、弁天様につきものは蛇で、巳成金と言って巳の日などが縁日になっていた。上野の周辺は商人や客商売が多く、巳成金は大繁昌だった。それだけではなく妙な色気を感じてならなかったのだ。芸事、お金に2つからでは、到底言いようのない女ッ気プンプンの神様だった。

4つ目は下谷だ。小さいころ住んでいたのだが、ほとんど知らないものばかりで意表を突かれた。JRの鶯谷駅から東京メトロ日比谷線の三ノ輪駅までのコースだ。その2つ目が真源寺、朝顔市で知られた入谷の鬼子母神である。このお寺が寿老人とは何度も行っているくせに知らぬとは恥ずかしかった。コースの前半は根岸のグルメ街があり、後半は樋口一葉記念館に立ち寄ることもできる。もっとも少し勢いつければ千束3丁目、吉原だ。

5つ目の隅田川七福神めぐりは、谷中と同様、江戸時代に向島七福神と呼ばれていたものと同じと思われる。東武線の鐘ヶ淵駅から隅田川沿いに南下して、同じく東部線の業平橋駅までのコースだ。江戸は文化年間、文人墨客の間で愛されたお参りのコースだったそうだ。今でも墨田公園の桜が隅田川の両岸で楽しめるので、そろそろお奨めというか、人出が凄いことになりそうなコースである。長命寺の桜餅、言問い団子など、眼福のみならず、満腹も期待できそうだ。

最後は、亀戸七福神巡りである。JRの亀戸駅から北へ向かうと蔵前橋通りに出るが、その蔵前橋通りとその北の北十間川の間にある七福神だ。恥ずかしながらこのコースの神社仏閣にはひとつも行ったことがないが、地図を見た限りではコンパクトにまとまっていて歩きやすそうである。コースの途中にかの有名な亀戸天神があるが、藤の季節、例年は5月の初めだが今年は自信がないが、その季節には多くの人で賑わう。亀井のスイーツといえば船橋屋、ここのくず餅は絶品といえよう。

さて、調子に乗って、書きまくってしまったようだが、6つのコースが登場した。あとひとつ、近所のでも、自分のお気に入りでも、手持ちがある方はそのまま加えていただき、ない方はコースを新設されると7コースになる。七福神巡りが7コース、七が重なって良い塩梅だ。
規制の厳しかった江戸庶民は、信仰にかこつけてささやかな物見遊山を楽しんでいたのだろう。


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19 March

#220.一目上がり

お友達に青山から赤坂に引っ越す方がいるが、なんとも羨ましいことだ。お住まいが青から赤へ変ることだが、そう言えば赤坂、青山、白金、目黒と、セレブの界隈は色のつく街が並ぶようだ。それらを繋ぐ麻布が黄色だったらうまい具合なので、気(黄)の置けない人のことを粋筋では「麻布さん」と呼ぶそうである。一度でいいから麻布さんなんて呼ばれてみたかったものである。そんな話をしていたら、別のお方から、目黒、目白にはお不動様があるけど、黄、青、赤もあるのでは、と訊ねられた。

その通りで、江戸五色不動と言って実在している。小さいころオヤジから教わったが、すぐに忘れてしまった。だが最近、ありがたいことにお友達から教わることができた。五色の色は青、赤、黄、白、黒なのだが、実はこの五色は五行陰陽道の基本の色なのだ。万物の元である、木、火、土、金、水を表すが、これに方位や季節や動物など、いろいろな事物を対応させて五行の考えができあがっている。その五色不動は、江戸は三代将軍家光のころ、江戸四方の厄除けとして定められたそうである。何でも黄目(きめ)不動が最初らしく、あと4つの不動様が続けて祀られ五色になったとのことである。場所は、黄目不動が台東区三ノ輪、赤目不動が文京区本駒込、目白不動が豊島区高田、目黒不動が目黒区下目黒、目青不動が世田谷区太子堂、となっている。いずれも江戸市中ではなく外廓を固めたものだが、青目不動の世田谷区太子堂は今でこそサンチャの賑わいがあるが、当時は中心部から相当離れ、江戸とは言い難いところのような気がする。

この五か所を巡るのもおもしろいと思われるが、当時の信仰を物語るものとして、六地蔵とか六阿弥陀と呼ばれるものがあった。共に人気があって、六地蔵は江戸の北の方を巡るコースと、江戸の周辺部の広がったコースの2バージョンがあったようだ。まっ、お手軽コースと健脚コースの2展開ということか。
六阿弥陀はさらに人気があったようで、3コースが確認できる。根岸や上野界隈など、江戸の北の方を巡るコースが最初コースのようで、六阿弥陀参りという名前になっている。四谷や青山のあたりを巡るコースは山の手六阿弥陀参り、芝、高輪、目黒などのコースは西方六阿弥陀参りという名前になっている。恥ずかしながら、五色不動、六地蔵、六阿弥陀、どれも歩いていないので、全部とはいかないまでも少しは歩いてみよう。

ただ、両国にある江戸東京博物館に行くと江戸の信仰についての常設展示があるので、とても効率良く知ることができる。当時の信仰は娯楽の対象でもあり、門前でのスイーツばかりではなく一杯、いやそれ以上のことを楽しんだようである。
特に、江戸三富と呼ばれる、天王寺、寛永寺、目黒不動の富くじは大盛況だったようだ。富くじばかりではなく、開帳つまりカジノを認められた寺が江戸市中には50を超えており、どの時代でも政府公認バクチは存在したし、その上がりも少なくはなかったろう。バクチが寺から始まったのは、寺社が治外法権的な場所であるから、隠れてバクチをするには最適だったことによるのだろう。幕府も諸事情から追認したと推測するのが妥当と思える。バクチの税金、テラ銭もここから来た名前だろう。
さて、五色不動、六地蔵、六阿弥陀、とくればお次は「七」だ。これを一目上がりというが、ネタも尽きたので次回にさせていただく。


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12 March

#216.半年経って

拙宅から歩いて12、3分ほどのところにララポート豊洲がある。心臓の手術で入院していたときにオープンしたので、半年になるようだ。退院後のリハビリで歩くことが日課になり、1か月ほどして航続距離が伸びてきたころ、毎日の散歩もララポート豊洲が目標圏に入ってきた。最初は中に入っても所在なしという状況だったが、次第に自分の場所もわかってきて「今日はあすこ、次はここ」ということになった。

半年が経った今、お客で溢れているようだが、やっと店がオープンしたところや早くも店が替わったようなところもあるので、ひとつひとつの店をみればやはり大変なのだろう。その中で相変わらずの賑わいがキッザニア東京だ。なにしろ、行列の最後尾を示すプラカードを持ったお姉さまがいらっしゃるのだが、そのプラカードにはいつも「チケットは完売しました」という貼り紙がしてあり、今も変わっていない。一体、チケットはいつ買っているのだろうかという疑問さえ湧いてくる。


さて、そのキッザニアのパンフレットを見てみよう。
本物そっくりなお店や施設が立ち並ぶキッザニアは、まさにこどものための街です。もちろん、大きさも2/3のこどもサイズ。病院、消防署、ビューティーサロン、銀行、をはじめ、ラジオ局、テレビ局、ピザ屋、劇場など、楽しい街並みがこどもたちを待っています。

ということで、エデュテインメントタウンといって、楽しみながら学ぶという造語だそうだ。病院、消防署、銀行の中にビューティーサロンが挟まっているのがオモシロイ。また、ラジオ局、テレビ局、劇場の仲間なのか、ピザ屋がここに書いてあるのは何をねらってのことだろうか。とにかく、ビューティーサロンとピザ屋の社会的地位は意外と高いことがわかって興味深かった。続いて読んでみる。


キッザニアでは、パイロット、キャビンアテンダント、アナウンサー、モデル、医師、画家など、70種類以上のお仕事がこどもたちを待っています。なりたい職業を選んで、実際のお仕事を体験しながら、おとなになりきって遊ぶことができます。

ということで、実際の職業が準備されているわけだが、キャビンアテンダントとは何だと思ったら、スッチーとのことだった。男女の区別を排除した言葉で日本語では客室乗務員となるらしい。アナウンサーとかモデルとか、志望者の多そうな職業を揃えておかなくては、繁昌はしなかっただろう。大切な職業である土木作業員はあるのだろうか。

ところで、人気の高い職業である公務員はキッザニアにはあるのだろうか。消防士のような目立つ公務員はわかるが、微妙なところでは特殊法人とか公団の幹部なんてのはどうかな。ついでに、今は消えてしまったがホリエモンや村上世彰の仕事なんかオモシロイと思うが、ダメかね。
そこで、叶わなかった夢のために、おとなのためのキッザニア、アダルティアなんてのはいかがだろう。少年の夢なんて言っているうちはいいけど、すぐオドロオドロしくなってしまい、歌舞伎町と変らないものになってしまいそうだ。


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