Archive for January 2008

09 January

#334.日曜のデライト

先日の今年最初の日曜美術館は小堀遠州を取り上げていた。遠州の活躍した寛永の文化研究の第一人者の熊倉功夫が中身の濃い話をたっぷりと聞かしてくれた。久しぶりに日曜美術館らしい時間を楽しんだ。

庭造りの名手と知られる小堀遠州は築城での才能発揮が最初とのことだった。江戸初期の寛永のころ備中松山城の改築で、長い刀を振り回す時代から平和の時代にふさわしい城を構築したのだ。そのころの城は、戦闘用の城から統治用へと変化し、大阪城のような威圧感のある城に変わったが、さらに平和な時代の松山城は街のシンボルや和みの存在として造られたそうだ。柔らかな唐破風など、これまでにない趣が取り入れられている。この才能に徳川はいち早く目をつけ、徳川ゆかりの地の駿府城の構築を遠州に命ずることになる。小堀遠州と名乗ったのもこの頃と言われている。

次が造園だ。それまでの庭は自然のものを加工せず組み合わせていたものに、切り石や木々の刈り込みを持ち込み、表現力を高めたことだ。この庭園が、今私たちが眺めている日本庭園の原型ということになる。遠州は御所を始め多くの庭園を手掛けるが、それが到る所に遠州作の庭園が生んでしまったそうだ。最近研究が進み、遠州作でないものが明確になっているとのことだ。

3つ目は茶室だ。遠州は、築城、造園に長けていただけではなく、書画、茶道など諸芸百般、実に多芸であったらしい。茶道は古田織部に学び、ひとつの流派を創出するほどで、家光のご指南役になったばかりではなく、弟子に松花堂昭乗や沢庵和尚がいたとはおどろきだ。その遠州の茶室は、利休のわびさびは引き継ぐものの堅苦しいところを排除して居住性の優れた空間にしたことだ。また道具も質素だけではなく、優美絢爛な要素も取り入れた「綺麗さび」という新展開を示したのだ。

中世以来、多種多様の文化の創造がみられたが、それを統合し完成版を提示したのが遠州ということになる。寛永という時代の要求に、遠州は見事に応えたわけである。後水尾天皇、本阿弥光悦とともに寛永文化のキーマンとして心に留めておきたい。


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