Archive for March 2008

30 March

#377.隠れた名所

東京は桜が満開になったようで、テレビでは有名なスポットや隠れた名所の案内が目白押しだ。金曜日の夕方、驚いたことに近所の大横川がテレビで紹介されたのだ。確かに桜がきれいに咲くし、狭いながらも川沿いに遊歩道も整備されているので、ちょっとした花見には便利である。そんなチョット便利ぐらいの桜がテレビに出てくると、近所のことでもあり、半ば誇らしげに半ば気恥ずかしい気持にもなる。

日曜日の今日、様子を見に行くと、テレビの影響だろうか、かなりの人出があった。曇り空で生憎の肌寒さだが、お蔭で桜は長持ちしそうで、来週の日曜は花筏が楽しめそうだ。
急に自慢してみたくなった。地下鉄門前仲町駅から南に向かって歩いて数分で大横川に出るので、アクセスも良好だ。今週いっぱいは花見ができそうだ。

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この日は肌寒かったが大勢の人が出ていた。この陽気なら当分楽しめそうだ。深川らしく船での花見も乙だ。船も深川なので、当然猪牙だ。


23:28:58 | datesui | No comments |

25 March

#374.深川七福神? −補遺−

七福神のある寺社は大きくはないが、その例外が富岡八幡宮だ。「神輿(みこし)深川、山車(だし)神田、だだっ広いのが山王さん」と言われる江戸三大祭りのひとつに数えられ、今でも3年一度、54基の神輿を連ねた壮大な渡御が行われる。今回の深川七福神巡りはこの富岡八幡宮が終着駅になった訳だが、さすがに大神社、境内には本殿や恵比須様の他に、佐川急便が寄贈した本社の大神輿を始め木場の角乗りの碑など見るモノがたくさんある。

まずは本殿の裏手にある「横綱力士碑」で、これはかなりポピュラーな存在になり、各種のガイド本の常連だ。碑の裏側には初代の明石から横綱の名前が刻してあるが、最近は外人横綱ばかりだ。横綱碑はよく知られているが、実は大関の碑もある。横綱になった大関は除外しているらしく魁皇などは名前がない。まだ見込みがあると思われているようだ。

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最近の横綱の名前を見ると、勢力がハワイからモンゴルに移っているようだ。右は大関の碑だが、どうも大関止まりの碑のように思えてしまう。

境内の西側に「力持碑」なる一見何だかわかりにくい碑がある。よく見ると、力持ち自慢が持ち上げたと思われる石が奉納されているのだ。中村の某が持ち上げたのだろうか、55貫もある石が奉納されていた。電卓を叩いてみると207kgだ。ウエイトリフティングのジャークでも200kgを超えるのは相当重いクラスだ。見れば丸っこい石なので、どのように持ち上げたのだろうか。なにしろコチトラ生まれついての力不自慢なので、足の上でも落とさぬものかと心配になったりするのだ。

もう一つ、伊能忠敬の像だ。忠敬は50歳で家督を譲り測量の行脚に向かうのだが、成功祈願のお参りをしたのが、この富岡八幡宮だったそうだ。10年余にわたる測量で、その健脚は4万4千kmを踏破したと伝えられている。

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左が力持碑。こんな持ちにくい石をどうやって持ち上げたのだろう。右は伊能忠敬像だが、右側に深川めしの茶屋がるので「行脚の弁当に深川めし」という雰囲気だ。

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21 March

#372.深川七福神? −番外−

七福神を巡り歩くと、いろいろなものに突き当る。まず、最初に出くわすのが深川明神宮から深川稲荷への間にある芭蕉記念館だ。芭蕉は、言わずと知れた俳句の第一人者で、俳聖とまで言われた松尾芭蕉のことだ。
31歳のときに江戸に出て、神田上水の工事に携わったあと専業の俳諧師となり、36歳の時に深川に庵を結んだそうだ。そのゆかりの地にある普通の記念館だが、その周辺がおもしろくも滑稽でもある。
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芭蕉庵の近くには、芭蕉稲荷あり、芭蕉そばまであった。

芭蕉稲荷という神社があったり、名ばかりに決まっている芭蕉そばなるものなどが目に止まる。ひとつだけお奨めは隅田川の川沿いで小名木川の出会いにある『芭蕉庵史跡展望庭園』だ。狭い石段を登ると、隅田川に突き出すように庭園というほどではないが庭がある。大川を眺めて一句ひねっているような芭蕉の銅像を始め、芭蕉庵のエピソードを伝えるパネルなど施設の小さい割には内容が充実している。ここで何よりも素晴らしいのは、庭園からの大川の眺めだ。麗橋「清州橋」を完全な姿で見ることができるのだ。まさに、完眺とでも言うのか、186mの清洲橋を一望できる場所はそうそうない。


松尾芭蕉の座像。大川の景色を眺めてご満悦か。お顔がやさしい。


美しい清洲橋をこれほどまでに美しく見せる場所はここだけだ。

23:16:48 | datesui | No comments |

16 March

#369.深川七福神? −総集編−

七福神なのに?とは妙だが、全体を見渡してのことを一言。まずは順路のことだ。#355.深川七福神?から#367.深川七福神?は思いついた順で、この通り歩いたらあっちへ行ったりこっちに来たりで、効率良く歩いたときの2、3倍を歩く羽目になってしまうだろう。
大雑把な位置取りは、地下鉄大江戸線の森下駅から門前仲町の間を歩くことになる。駅間にして2駅を歩くことになる。この大江戸線の地上は深川を南北に貫く幹線道路である清澄通りで、これを背骨と考えて肋骨に当たる東西方向の小道を練り歩くことになる。
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お正月のころは七福神の祠を示すオレンジ色の旗が立っていた。

門前仲町から歩けば富岡八幡宮の恵比須様からになり、森下から歩けば深川明神宮からということになるが、今回は森下から歩いたのでその順路を案内してみる。

【森下駅発】 
?・寿老人   延命長寿  深川明神宮   森下1−3−17
?・布袋尊   清廉度量  深川稲荷神社  清澄2−12−12
?・毘沙門天  勇気授福  龍光院     三好2−7−5
?・大黒天   有福蓄財  円珠院     平野1−13−6
?・福禄寿   人望福徳  心行寺     深川2−16−7
?・弁財天   芸道富有  冬木弁天堂   冬木22−31
?・恵比須神  愛敬富財  富岡八幡宮   富岡1−20−3

?から?が順路を示すが、それぞれ神さまの名前の他に、ご利益、寺社名、所在地を書き足した。?から?、?から?の間は少し距離があり、?、?は近いがわかりにくいので、出会った方が先ということになるかも知れない。?から?までは等距離間隔という感じだ。通して歩くとかなりの歩き応えがある。お友達で都立高校の先生をしているN先生がお仲間と書かれた『東京下町散歩25』によれば所用時間は2時間30分ということだが、もう少し必要か。

次に、七福神のご利益を見てみよう。まず、財とか富という字が眼につく。ご利益はお金がわかりやすいのか、大黒天、弁財天、恵比須神の3つの神様が掲げている。しかもこの神さま揃って至ってポピュラーなところが面白い。
次いで、清廉、度量、人望というお金とは逆の心構えのようなことだ。また、勇気を加えれば、心の持ちようについて3つの神様が標榜していることになる。ところが、これらはあまり期待されていないのか、良くは知られていない。
最後に、延命長寿と体のことを言っている神さまがいて、生きて行くのに必要な、お金と健康、それに心構えのご利益が用意されることになる。

とはいうもののご利益は芸事まであるのに、色恋沙汰が見当たらない。ないどころか弁天さまに二人で揃ってお参りをするとヤキモチを焼かれると言われて禁忌だった。こうして思うと、七福神のコンセプトは封建時代の年寄りの男発想としか思えない。
平成の今、華やかな色恋沙汰はもちろん、静かな幸せなどを盛り込んだ新七福神の開発があっても良い頃だろう。当然なことだが、交通アクセス、商業施設やアミューズメントの付帯などへの目配りも抜かりなく執り行うことを願いたい。


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13 March

#367.深川七福神? −福禄寿さま−

七福神のあるお寺やお社は決して大きくない道路に面した小さなものが多いが、福禄寿のある心行寺は深川を南北に貫く幹線道路である清澄通り沿いにある。しかも立派なお堂のある浄土宗の大きなお寺で、地図で見ても境内の広さがわかるほどだ。これも建立は古く、江戸時代の初期1616年に八丁堀に建てられ、1682年にこの地に移転されたそうである。また、鶴屋南北の墓などもあり、由緒の方も相当なものらしい。

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福禄寿が祀られている祠は六角堂になっている。福禄寿の石像までついている。

福禄寿の祠は、立派な本堂とは離れて六格堂が建てられているが、これもなかなか立派なもので福禄寿の石像まである。福禄寿は人望福徳、信頼できる人物として、人から慕い仰がれることだそうだ。似たようなところで寿老人がいるが、こちらは延命長寿、つまりフィジカルなご利益だ。これに対して福禄寿はメンタルな人間関係のご利益だ。ということは、むしろ布袋さまに近いようだ。


心行寺は、こんな立派なお堂まである由緒あるお寺だ。


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