Archive for May 2008

22 May

#403.谷中七福神巡り? −大黒天・寿老人−

不忍池を後にして、不忍池と上野の山の間の道を進むと森鴎外が住んでいた建物の中庭が残っているという水月ホテルがあり、その前を抜け曲がりくねった坂道を上がると、大黒天を祀る護国院がある。その大黒天の隣が45年前に通っていた母校の高校だ。懐かしさの匂いはあるが、姿はさすがに変わっている。
その大黒天は近所だったので、何度も気楽に踏み込んでいたのだが、今の印象は当時の印象よりずうっと良い。お堂も立派だし、なにより能楽堂もあるのだが、当時はあまりスゴイとは思わなかった。

護国院大黒天から次の寿老人を祀る長安寺へは、谷中のお寺、お寺、お寺の道だ。静かなはずの道だが、ウォーキングの出で立ちの方々と出会う。手に手にマップを持ち七福神巡りなのか、深川と同じよう光景だ。
細い道に面して長安寺はある。小さなお寺で目立ちにくいが、七福神巡りのコースであることも隠しているような静かで控え眼な趣である。狭い境内は全くしもた屋然としていて、参拝もどうしていいのかわからなかった。結局、お賽銭をあげるでもなく出てくるところだったが、狩野芳崖のお墓をみて退散とした。

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意外と立派な大黒天のお堂。それから能舞台。いや、なかなか。

 
寿老人の長安寺。由緒があるらしくメモを取っている人がいた。もっと、やる気を出せばいいのにと思う。不謹慎な言い方だが、お寺は水商売に近いのだ。


14:44:29 | datesui | No comments |

20 May

#402.谷中七福神巡り? −弁財天−

不忍池弁天堂の不忍池はお花見で有名な上野公園、いわゆる上野の山の下、西側に広がっている。その中央の島に弁天堂がある。琵琶湖を模したそうで、島は竹生島ということだ。また上野の山も比叡山を模しているので東叡山と呼んでいるので、遅れ馳せながら、東叡山弁天堂というのが正式な名称だ。

七福神の祠は神社やお寺の片隅に申し訳程度に祀られている場合があるが、ここは名前の通り本尊で弁財天を祀ってあり、構えも立派だ。上野の繁華街に近いせいか平日でもお参りの人が多い。
弁財天は持ち物の琵琶が示す通り芸能の神様であるので、諸芸の上達を願ってのお参りが多い。本堂に向かって左側には大きな石の琵琶があるが、ここに三味線の撥などを納めると上達が叶うと言われていてが、最近はご利益が薄れたか撥が納められている様子は見られない。
また、お金儲けの神さまでもあるので、巳成り金の縁日が開かれる。上野界隈は繁華街でもあり、またアメ横などに見られるように商人も多く、客商売でのご利益にあずかる人も多いのだ。


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七福神巡りには似つかわしくないほど立派なお堂だ。平日は閑古鳥というのは相場だが、ここは人が多い。この琵琶がアピールポイントだった時代はとうに失せてしまったようだ。


16:53:54 | datesui | No comments |

19 May

#401.谷中七福神巡り? −上野・谷中・田端−

深川と日本橋の七福神巡りをしてみたところ、到るところに七福神があることに気づいた。ネットで検索して最初のサイトを見たら、東京だけで28も出てきた。そのうち全部回ってみようかと思ったが、一番下の行の七福神を見て、トライは止めることにした。なんと伊豆の大島だった。東京には違いないが、東海汽船のお世話にならなくてはいけないのでご遠慮させていただいた。
とりあえずご近所から1つずつということで、深川、日本橋の次は谷中七福神となった。小さいころ谷中に住んだことがあるのと、高校時代は上野が庭であったので、上野・谷中界隈は親しみが湧き、踏破してみることにした。

七福神巡りは上野から始まる。まずは不忍池弁天堂をお参りして、いわゆる上野の山に登る。登ったところは谷中で急に静かな佇まいになる。落ち着いた街並みは昭和のニオイはおろか、戦前の香すら漂っているようだ。その谷中の終りにあるのが谷中銀座で、昭和の雰囲気を伝える都内有数の商店街だ。この辺りはひぐらしの里と呼ばれたところで、東洋のナポリとは言わないが日暮里という地名になっている。昔のままの細く曲がりくねった道を行くと終点の田端に至る。
コースは池之端弁天堂から田端の東覚寺までの七福神を歩いたことになる。今回の7つの祠には神社はなく、すべてお寺であった。お寺に着くとお賽銭をあげて拝み、あとはひたすら歩くだけだったので、所用時間は2時間30分で済んだ。まっ、速ければ良いというものでもないだろう。

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上野のシンボルは西郷さんだ。最近はハトが減ってキレイになった。


静かな佇まいの谷中の町並み。50年以上前だが、このあたりに住んでいたのだ。


パリのムフタール街にも負けない雰囲気の谷中銀座。歩くと買い物をしたくなるので、我慢をして通らなかった。


通称東覚寺坂といわれる、田端駅通り。この商店街のエンブレムが河童なのだ。「りゅうのすけくん」という名には恐れ入ったが、この界隈に芥川龍之介が住んでいたとのことだ。


22:05:52 | datesui | No comments |

07 May

#395.日本橋七福神巡り? −番外編−

日本橋七福神を巡る第一歩は水天宮様だ。東京メトロの日比谷線の人形町駅を降りて、水天宮様を目指して人形町通りを歩くと新大橋通りとぶつかる交差点に出る。人形焼きの重盛の前で信号待ちをしていると、交差点の向こう側に異様な雰囲気を感じた。行列のようなものができているのだ。何かのイベントかと思ったが思い当たるフシなど全くない。信号が青に変わり、異様な雰囲気のもとに近づくと嫌な予感通り、水天宮様からの行列だった。

何だろう、水天宮様のイベントか。ふと、浮かんだのが「戌の日」だ。戌の日でこれほどまでに人が集まるのかと、しばし感心するばかりだが、門の前でさらにびっくりだ。なんと入場制限までしていて、行列に並ばないと入れないのだ。これでは仕方ないので、水天宮様は後にして元来た道を戻ることにしたが、その混みようは尋常ではなく、まるで初詣さながらであった。

行列に並んでいる人は実にいろいろで、飽きずにウォッチングができた。唯一の邪魔は後ろから押してくる人波だった。お腹の大きい若い女性のカップル、赤ちゃん抱いた夫婦にはお祖母さんだけではなくお祖父ちゃんまでが付き添い、まさしく一家総出のお参りという人たちもいた。目を引いたのはヤンキーのふたり連れで、小柄の二人は共に茶髪は当然で、ファッションも筋金入りだったが、二人ともニコニコしていて実に嬉しそうだった。


7つのお社を回ってきて、午後も3時に近かっただろうか、さすがに入場制限は解かれていて入ることができた。でも、境内はまだ人、人、人で、初詣さながらは続いていた。境内のはずれにある弁天様を拝んだが、ここだけ蚊帳の外という状況で、七福神に中では派手な筈だがこんな寂しい弁天様は珍しい。

少子化問題が深刻であるが、このような光景をみるとポテンシャルはまだ期待できそうだ。そしてこの熱気、少子化担当大臣が見たら、何と言うか伺ってみたい気持ちだ。それより何より、このような情景を見たことがあるのだろうか。

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戌の日でこんな行列になるとは思ってもみなかった。貴重な再認識をさせていただいた。入場制限が解かれても境内は初詣モードで、参拝をする人、お札を受ける人でごった返していた。


23:48:03 | datesui | No comments |