Archive for 30 July 2008
30 July
#431.想像力
「想像力と数百円」は新潮文庫の広告に現れた秀逸なコピーだ。小説を読むには想像力が必要だが、必要という読み方ではおもしろくない。想像力を駆使して、書き手とせめぎ合いをしてみるのもおもしろいのだ。想像力を強制されるような作品もあれば、どうにも想像力が追いつかない作品もある。もっとも書き手の方がそこまでの想像力をもって書いていないような作品もあるので、そんなものは読んでいてイメージが湧かなくても良いようだ。去年のことだ。なんとなく気持ちが乗らない日が続いていたとき、ふと読み出したのが村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で、思い出せないほど前に読んではいるのだが、こんな小説だったかと思うほど新鮮な話しかけが飛び込んでくる。情景がどんどん浮かんでくるのだ。一角獣の姿がこれほどまでにクリアだったかと以前の自分を疑うほどだ。一角獣の気品ある顔立ち、表情は穏やかで優しく、しかも美しく聖画集にある聖母のように思えた。金色に輝く毛並みは秋の明るく柔らかい陽光を浴び、緩やかな風が吹くたび、金色の光の波が一角獣の身体を巡った。その様子はパリのクリニュー美術家の『貴婦人と一角獣』のタピストリーにも劣らない優雅さが溢れていた。
2度目というのはイメージの湧き方が違うのかぐらいにしか思っていなかったが、残りが数十ページになったとき、ふと思いついた。「ボルヘスだ」。ホルヘ・ルイス・ボルヘス、アルゼンチンの作家だ。その2年前、ボルヘスの『伝奇集』を読んだ。短編の集まったものだが、ある短編はびっくりするような情景が浮かぶ反面、情景が何も浮かばず読み進むのが大変な作品もあった。今でも、生ぬるい空気の月夜に野犬の群れが吠えながら走り回るという情景が鮮明に浮かんでくることがある。
その延長ではないのだが、明らかにボルヘスの後という気がしたのだ。重苦しい空気、澄んでいるが緊張した空気、自然な時間が流れる空気、という空気のイメージが思い浮かぶようになったのもボルヘス以降である。小説は想像力を必要とするばかりではなく、想像力を強く、大きく鍛えてくれるようだ。
18:58:10 |
datesui |
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