Archive for August 2008

18 August

#440.江戸情緒、深川祭り

17日は深川の富岡八幡宮のお祭りのクライマックス、神輿連合渡御が執り行われた。「神輿深川、山車神田、だだっ広いのが山王さん」と江戸三大祭りのそれぞれの特徴が語られているが、深川のお祭りは神輿だ。そのお神輿が氏子の町内を練り歩くものだが、今年は3年に1度の本祭であるので各町会より56基の神輿が勢ぞろいするのだ。朝の7時半に八幡宮前を出発して、8キロのコースを2回の休憩を挟み1日かがりで回ってくる。江戸の昔、この地に隠居していた紀伊国屋文左衛門が奉納した巨大神輿に始まるものだが、そこへ木場の木遣り、辰巳芸者の手古舞が加わり、さらに辰巳芸者が神輿と担ぎ手に水を掛けたことから、今に伝わる「水掛けまつり」となった。

午後の1時過ぎ、先頭の神輿が最終ストレッチの永代通りに入ると渡御は最高潮に達する。角々で大掛かりな放水があり、それに応えて担ぎ手も「揉んで差して回す」というパフォーマンスを披露する。小さな神輿ならできようが、大きな神輿で行うには日頃の練習も必要なハズだ。こうして、56基の神輿が通り過ぎるには2時間半の時間が必要だ。


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最近は女性の担ぎ手が多い。20〜30%は女性のようだ。神輿担ぎはもともと力自慢のパフォーマンスで、危険が伴うことなのだ。後ろの方でピースサインなんか出している場合ではない。前の白髪のおじさんも、いつ潰れはしないか気が気でなかっただろう。


神輿のあとに続く支援部隊。交代要員を準備しなくては担ぎきれない。長い渡御なので担いでいる人数の5倍は必要か。


世界遺産候補の奥州平泉から渡御に参加があった。平泉のお祭りも水掛けまつりとのことが縁のようだ。今、まさに差そうというところで、水掛けのサービスも力が入ってきた。


12:27:22 | datesui | No comments |

13 August

#438.8月11日

1821年、江戸時代のことなので文政4年になる。この年の8月11日、江戸の清水家の家臣村尾嘉陵が『六地蔵もふでの記』という行動録を著している。当時の江戸はお参りが盛んで、あちこちの神社仏閣をお参りするのが最高のレクリエーションだったようだ。六地蔵を始め、六阿弥陀、七福神などいろいろなコースがあり、門前には飲食店などが並び、参詣とともに物見遊山も楽しんだと思われる。
村尾嘉陵が詣でた六地蔵は地蔵坊正元が定めたもので、江戸の周辺部に当たる深川、浅草、駒込、新宿、品川に六つのお地蔵さまを配してもので、その構成は以下の6つである。

 ?品川 品川寺(ほんせんじ)【最寄り駅:京浜急行・青物横丁】
 ?新宿 太宗寺(たいそうじ)【最寄り駅:丸ノ内線・新宿御苑前】
 ?巣鴨 真性寺(しんしょうじ)【最寄り駅:山手線・巣鴨】
 ?浅草 東禅寺(とうぜんじ)【最寄り駅:銀座線・浅草→都バス・東浅草】
 ?深川 霊巌寺(れいがんじ)【最寄り駅:大江戸線・清澄白河】
 ?深川 永代寺(えいたいじ)【最寄り駅:東西線・門前仲町】

この6つの地蔵を巡ると、品川から新宿、巣鴨を通って、浅草に出て深川で終わるコースになるが、凄い距離になる。これを村尾嘉陵が歩いたことを『六地蔵もふでの記』に記しているのだが、当時、村尾は62歳で、そのころの江戸の8月11日は温暖化の影響もなかったろうが暑かったに違いない。同じような歳恰好なので、同じ日に挑戦してみた訳だ。

村尾は?の永代寺から巡っているが、六地蔵だけではなく、千住に脚を延ばしたり、日暮里ではお屋敷に挨拶に回ったり、目赤不動や目白不動、渋谷の八幡宮なども参拝している。このため現在の品川駅のあたりで夕刻になってしまい、やもえず帰路についているが、健脚ぶりには頭が下がる。こちらは歩いて回る考えなどは毛頭ないが、便利な交通手段を路線情報サイトで選んでの挑戦になった。


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