Archive for December 2008

31 December

#505.明るいこともあった −2008年を振り返って?−

2008年はうんざりするような話題が多かったが、明るいニュースもあった。その筆頭がノーベル賞の大量受賞だろう。物理学賞では小林誠さん、益川敏英さん、南部陽一郎さんの3人、化学賞で下村脩さんと、〆て4人もの方が世界のノーベル賞を受賞したのだ。これで何と16人の方がノーベル賞をいただいたことになる。21世紀に入ってからは7人と絶好調のようにもみえるが、この後も続いて欲しいものである。
4人の中では益川さんのお人柄が印象的だった。人懐っこい語り口でインタビューによく答え、従来の科学者とは違うインパクト与え、内容はわからなくても科学が身近に感じたと思われる。おまけに英語がダメときて、これがまた親しみが湧いてくるのである。これで理系離れに少しは光が当ったような気がするというのは早計だろうか。
来年も17人目のノーベル賞を始め世界に誇れる偉業が出ることを期待して、今年のブログを閉じさせていただく。みなさま、よいお年を。


20:12:52 | datesui | No comments |

30 December

#504.女の子が強かった −2008年を振り返って?−

2008年の競馬は女の子の年だった。これほどまでに牝馬が活躍した年はあっただろうか。特に秋のG?戦線での戦績はお見事の一言に尽きる。まずスプリンターズステークスのスリープレスナイト、天皇賞のウオッカ、マイルチャンピオンシップのブルーメンブラッド、そして大トリの有馬記念では真打ダイワスカーレットの胸のすくような快走で牝馬の2008年を締め括った。秋のG?はジャパンカップのスクリーンヒーローとダートのカネヒキリ以外の古馬のレースは全て牝馬が勝ってしまったのだ。しかも、スリープレスナイト1番人気、ウオッカ1番人気、ブルーメンブラッド4番人気、ダイワスカーレット1番人気といずれも人気を背負っての勝利であり、スクリーンヒーロー9番人気、カネヒキリ4番人気の牡馬の状況と比べたら勝利の内容も上質であることがわかる。

その中でも有馬記念でのダイワスカーレットの快走は記憶に留めたいものだ。遮るものは何もなく先頭を切り、13頭を従えて直線に入るや勝負に来た牡馬のライバルをあっさり切り捨て、堂々のゴールインを果たしたのである。切り捨てられたライバルは馬群に消え、差のついた2着以下には人気薄の馬が替って繰り上がり、単勝こそ260円だったが連などの馬券はいずれも高配当になった。まさに1頭だけ抜けた存在で、無人の荒野を突き進むという独壇場だった。これでダイワスカーレットは12戦8勝2着4回、3着以下はナシだ。4歳終了時点で連対率100%はまだ更新中という牡馬でのめったに起きない記録も併せ持っているのも驚くべきことだ。
ダイワスカーレットの素晴らしさは記録だけではなく、その内容の濃さだ。華麗な逃げ、そして直線での驚異の二の脚、言葉ではこんな簡単なことになってしまうが、今年の3戦の産経大阪杯、天皇賞(秋)、有馬記念の走りっぷりは単純な言葉で語り切れることではなかった。年度代表馬はまさにこのような馬のためのものであり、投票による選考方法も、単にG?何勝というコンピュータでも可能な方法ではない競馬の醍醐味を選ぶようになっているのだ。

そして、この活躍を後世への語り草として語り継いで欲しいのである。このところ馬券の売り上げの凋落に歯止めが掛からないが、その因のひとつには語り部の不在があげられよう。競馬の楽しさ、競馬ファンの純真さ、馬券戦術の奥深さと欲深さ、馬という不思議な生物の存在など、競馬のニオイや体温を通して競馬の魅力や馬鹿らしさを伝えていく語り部がまったくと言っていいほどいなくなってしまった。JRAは早く語り部の育成に着手すべきで、巨費を投じてのイベントやテレビCMも反対はしないが、競馬文化の醸成のためにも、今日流の寺山修司、山口瞳、石川喬司を育てるべきだ。その契機として、牝馬の年の2008年は最適の年と思える。


18:51:42 | datesui | No comments |

29 December

#503.誰でも良かった −2008年を振り返って?−

いわゆる無差別殺人という事件が多発したのも今年の特徴だ。なかでも6月に起きた秋葉原通り魔事件は、甚だ残念だが鮮烈な印象を残した。この他にも、3月に遡るが茨城連続殺人事件、同じ3月の岡山駅突き落とし殺害事件、そして7月には八王子通り魔事件と、狭い日本に相次いで無差別殺人事件が連発した。しかも、揃って殺害の相手は「誰でも良かった」という無味乾燥状態の殺人だ。

バーチャルな時代を物語ると言っては身も蓋もないが、架空の相手に殺意を抱けるという不思議な時代になってしまったのである。殺人は相手が憎くて殺したくなるのであって、手段としての殺人のはずだ。それが、殺人自体が目的になるというのは戦争か、極刑か、正当防衛ぐらいしか考えられないのだが、まだあるのだろうか。その昔もどうしようもない閉塞感から不満の矛先をどこに向けて良いのかわからない時もあったが、不特定者に殺意を表すことはなかったと思われる。ネット社会が生んだ日常会話を匿名で語り合うという生活環境がこのような感覚を生じさせたのかも知れないが、こと殺人事件だけに困ったことである。

自分勝手な言い分だが、もし自分が被害者だったらどうだろう。突然、まったく関係ない他人から人生を終了させられてしまうのだ。承服できるだろうか。


16:19:55 | datesui | No comments |

20 December

#500.ひと区切り

念願の500回になった。ところが書きたいことがない。とりあえず「五百」にまつわることを調べてみた。

【五百円札】岩倉具視の肖像のある日本銀行券。【五百戒】尼さんが守るべく戒律。【五百川駅】福島県のあるJR東日本東北本線の駅で、駅名の由来は傍を流れる五百川だそうだ。【五百石駅】富山県の富山地方鉄道立石線の駅だが、「こひゃっこく」と読むのが正式らしい。【五百万石】宇都宮酒造の日本酒。【五百渕公園】福島県郡山市にある公園で、桜や紅葉が綺麗とのことだ。【五百山】長野県信州新町と福島県会津若松にある山だが、まだありそうだ。【五百羅漢】500人の仏教の尊敬を受ける修行者。

などなど、あることはあるが、百、千、万とは違ってひとつ迫力がなく中途半端な感じは否めない。1000回まで待てなかったこともあるが、400回や600回ともそんなに変わらない区切りなのかも知れない。まっ、そんな500回だ。


14:38:23 | datesui | 2 comments |

15 December

#498.アダムスミスが泣いている −2008年を振り返って?−

今年のスーパーの棚は大忙しだった。まずは年初めにギョーザの異物混入事件があって、冷凍食品が言葉のとおり冷え込んだ。この事件の発覚により改めて食材の中国依存が浮き彫りになった。もはや中国抜きでは日本の食卓は維持できないはずだが、お客は商品の産地表示を、眼を皿のようにして見つめ、内容ではなく国産という2文字だけが唯一の基準で選択されていった。

そうこうしている間に今度は値上げラッシュになった。石油の買い占めによるエネルギーの高騰だが、食品の場合は穀物の買い占めという原材料の高騰もあった。調味料や豆などの雑穀売り場の表示替えが頻繁に行われ、普段は静かな売り場が突然活況をみせた。エネルギーの高騰はすべてのモノに影響が出るので、このまま行けばインフレになるのではとの心配もあった。テレビでは、連日値上げに対するメーカーの責任のようなことを、口を揃えてまくし立てていた。

次に来たのが、ウナギの産地偽装と事故米の不正販売だ。ギョーザ問題で隔靴掻痒の思いをさせられていた消費者にとって、追い打ちをかけられる事件だ。中国産や台湾産の品質を問う前に、産地という選定基準で購買が進むという、日本の食糧事情を無視した消費者行動を誰も抑えることができなくなった。そこへ事故米の事件だ。これは少なからず食料を取り締まる大元である農林水産省が絡んでいるので、ますます食への信頼が薄らぐことになった。

とどめは、去年からの懸案のサブプライム問題がついに破綻をきたしたことだ。今度は一転、大不況だ。当然のことだが、値上げどころではなくなる。安くしても売れなくなるのだ。売れない心配ですめば良い方だ。倒産や人員整理など、とんでもない苦労をしなくてはならない時代になってしまったのだ。

なんでこんなことに、と思わざるをえない。普通の良識で商売をしていれば起きないことだ。確かに商売は人に生活物資を供給するだけではなく、自身の金儲けのために商売をしても良いと、かのアダムスミスは言った。だが、自身が使いきれないほどの過剰の金儲けをするとは、さすがのアダムスミスも絶句のことだろう。


18:32:06 | datesui | No comments |