Archive for April 2009

19 April

#551.隅田川七福神巡り? −補遺・言問団子と長命寺桜もち−

この界隈の眼福ならぬ舌福、美味しいものにも触れておこう。忘れてはいけないのが言問団子と長命寺桜もちがある。ともに美味しいものが溢れている現在では飛切り美味しいものとは言えないかも知れないが、文化的な味覚をご賞味していただければよろしいかと思う。

言問団子は小豆・白・味噌餡の三色セットだ。小豆と白餡はお米の粉を餅状にしたもの。味噌餡は手間が込んでいて、白玉粉を餅状にしたものだそうだ。言問の名は言問橋の袂に位置することからで、伊勢物語の東下りで「名にしおはばいざ言問はむ都鳥 わが思ふ人はありやなしやと」と詠まれたことによるものだ。

一方、長命寺桜もちは、享保2年(1717)山本新六が隅田川土手の桜の葉を塩漬けにして桜餅を考案したことによる。この桜もちを長命寺の門前で売り始めたのが始まり。桜餅は桜の葉はふつう1枚だが、ここの桜もちはなんと3枚ついている。

言問団子は火曜日が休みで、長命寺の山本屋は月曜日が休みだ。言問橋の袂まで来なくても両国駅そばの江戸東京博物館にはショップがあり買い求めることができる。また曜日限定だが、浅草松屋の地下にも売り場がある。

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左は言問団子。向こうの赤い幕には「名にしおばは・・」の伊勢物語の歌が書いてある。右は長命寺桜もちの山本屋だが、この日は月曜日ではなかったが臨時休業だった。ご夫婦だろうか、この二人連れにはかわいそうなことだ。


23:54:00 | datesui | No comments |

14 April

#549.隅田川七福神巡り? −大国神と恵比寿神・三囲神社−

隅田川七福神も6つ目の三囲神社(みめぐりじんじゃ)に来た。これで最後だ。というのは、この三囲神社には大国さまと恵比寿さまが祀られているので1つで済む。どうも、この七福神は出来が良くないように思えて仕方がない。白髭神社のこじつけがあり、この三囲神社が2つ一遍と横着で、江戸の昔に向島を愛する文人墨客によって定められたそうだが、この先生方は相当いい加減な人たちだったようだ。

三囲神社は中世の頃の創建といわれる。そのころ三井寺の僧源慶(げんけい)がこの牛島のあたりに差し掛かり、荒れ果てた祠が眼に入り近くの農夫に由来を尋ねた。すると、弘法大師のご創建された祠と言うではないか。源慶はその荒れように心を痛め、自ら再建をしようと地面を掘ったところ、白いキツネに跨った神様の像が納められた壺が出てきた。そしてその時、どこからとなく白いキツネが現れ神様の像の周りを三度巡って消え去ってしまった。この出来事から、みめぐり神社となったそうだ。

時は下って元禄のころ、干ばつで困っている村人が雨乞いの祈願をしているところへ参詣に来た宝井其角(たからいきかく)が、「夕立や田をみめぐりの神ならば」と発句をしたところ、翌日に雨が降ったという。また、江戸時代の初期に江戸へ進出をした越後屋の三井家は、三囲にあやかって篤く信仰をしたそうだ。ここに祀られている大国神と恵比寿神は、越後屋に祀られていた本像を奉納したものだ。ご承知のことだろうが越後屋は現在の三越で、境内には丸に越の紋を刻した石材があちこちに見られる。

境内には宝井其角の句碑や朱楽管江(あけらかんこう)の辞世碑など、意外と多くの文化財があるので、下調べと時間を十分にとっての参詣もお勧めだ。


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三囲神社の正面。特徴も奇抜もない小さな神社にしか見えない。突き当りの本殿の左奥に大黒神と恵比寿神の祠がある。
右は大黒神と恵比寿神を祀った祠。2神の同居だが、七福神の祠にしては立派だ。


23:37:00 | datesui | No comments |

08 April

#546.隅田川七福神巡り? −布袋尊・弘福寺−

さて、とぎれとぎれの隅田川七福神だが、今回は5つ目の弘福寺だ。弘福寺は長命寺のほぼ隣だが、何を勘違いしたか道を間違えてしまった。長命寺の門を出たところで目に入った弘福寺駐車所という看板に惑わされたようで、あらぬ方向へ歩き出してしまったのだ。ただ、ありがたいことに弘福寺の本堂は大きく個性的なので遠くからも良く見え、道を間違えたことがすぐにわかった。というわけで、弘福寺の一角を大きく回ることになったが、この辺りも向島の料亭の雰囲気のあるお店がちらほらとあって散策気分は大変よろしかった。

どうにか弘福寺の門前に立つことができ、改めて見上げると、事前情報と齟齬はなく見て楽しい建築物だ。
中国風という言葉がぴったりで、屋根の端が反り上がっている。カンフー映画に出てくるようなお寺の形をしている。中国から入った黄檗宗(おうばくしゅう)という禅宗の様式ということらしい。屋根の反りだけではなく、屋根の上には反りに呼応したような装飾が目を楽しませてくれ、暫し目を奪われる。

境内の中央には本堂の大雄宝殿(だいゆうほうでん)があり、中国風の造りが楽しめる。重層の屋根や細桟の扉など、巷のお寺とは趣が大きく異なる。ここに布袋様が祀られているそうだが、お目に掛れるのは正月の七草までだ。1673年の開山というから元禄のころで、黄檗宗が珍しいこともあり、開山当初から江戸中に聞こえた名山だったそうだ。


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左は弘福寺の山門。こんな門がいきなり現れるので、別の期待がもてる気がする。右は本堂の大雄宝殿。反りの大きい屋根には宝珠や鴟尾があり、正面は細い桟の扉や丸い窓の雰囲気は今にもブルースリーが飛び出してきそうだ。


11:39:00 | datesui | No comments |

01 April

#543.隅田川七福神巡り? −弁財天・長命寺−

向島百花園を出て地蔵坂商店街を横切り、墨堤通りを歩く。長命寺までもかなりの距離がある。1kmはありそうだ。墨堤通りがもう少しおもしろい通りだと良いのだが、どうにも気の利いた通りには見えない。この通りの左側の界隈は、地蔵坂商店街など急坂になって低く広がっている。寺島、曳舟、言問というあたりで町名だけもおもしろそうなのだが、この墨堤通りは殺風景だ。

やっと墨堤通りも右にカーブして、突き当りの長命寺に着く。長命寺には寺の名のゆかりの井戸がある。寛永のころ、三代将軍家光が鷹狩りに出て急病になったとき、この水を飲んで命を取り留めたという。将軍様から宝寿山長命寺の号を賜ったとされている。

境内に入って場違いの喧噪に驚く。心の準備が足りなかっただけだが意表を突かれた。小さな子供が大勢で元気よく遊んでいるのだ。見ると言問幼稚園とある。幼稚園とは地続きというか、同じ敷地にあるので元気よく大勢の子供が走りまわるのは当然で微笑ましく、歓迎すべきことだ。だが、写真を撮っていると周りに寄ってきて、「おじさん何してるの」と尋ねてきたり、被写体よろしくピースマークを出したりするので、ちょっと困った。でも、期待の弁天様は石碑があるだけで、どこに祀られているのかもわからなかったので、これで良しとなった。


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長命寺の由来となった井戸。だからと言って飲む気にはなれなかった。右は元気な子供たちと長命寺の伽藍だが、こんな子供を見るのは、そう言えば久しぶりだ。


17:28:16 | datesui | No comments |