09 May

#59.ミュンヘン

ロテンブルクからミュンヘンに入った。1泊後、次の日は朝からノイシュバンシュタイン城めぐりとなり、夕刻ミュンヘンに戻った。最初の晩は、ドイツで最も有名なビヤホール、あのヒットラーが演説をしたというホーフブロイハウスでの夕食となった。下戸の下戸で、お酒は大の苦手だが、このホーフブロイハウスだけは入ってみたかったので、この飲み屋への足取りはいつになく軽かった。早速、2階の大ホールへ通ずる会談を上がると、聞こえてくるのはドイツの酒場らしい音楽だ。タッタッタッタッ、タータター、タッタッタッタッ、タータター、おお、これぞ、夢にまで見たタイケ作曲の『旧友』だ。30年ほど前、ジュネーブのドイツ・ビヤホールへ入ったら、アコーディオン弾きのおじさんが1曲ごとに『旧友』を演奏していたので、へたくそな英語で聞いてみたら、「旧友はドイツそのもの」みたいなことを言っていた。行進曲特有のシンバルの音が響いてくる、階段を登る脚も少しだが浮ついてきた。『星条旗よ永遠なれ』、『軍艦マーチ』と並んで世界3大行進曲と言われている『旧友』を最も相応しい場所で聞けて、いや〜満足、満足だった。

ビールの味は元々わからないし、料理も大して美味しくもなかった。そして、前方の舞台で繰り広げられている演芸は、チロル地方のダンスやアルペンホルンの演奏などで、ミュンヘンの地場の芸というものはないらしい。結局、ホーフブロイハウスは、途中から聴いた『旧友』以外、なんの面白みもなかったことになる。もう5分入るのが遅かったら、酷評のスポットになっていたことだろう。

ホーフブロイハウスの概観。醸造所は1589年の創立だそうだ。右は2階の大ホール。中国人の団体客が前の方の良い席を占領して、我が物顔で大騒ぎをしていた。昔、顰蹙を買ったどこかの国の団体客のよう。
手前に写っているのは私たちのツアー仲間で、この方々の品の良さは世界最高水準だと思う。集合時間は厳守、文句は言わない、勝手なことはしない、などなど頭が下がりました。




次の日はノイシュバンシュタイン城からの帰りで、バスの車窓からのミュンヘン見物となった。アルテ・ピナコテークの前を通った、チョット残念。3分で良いから、別名「金髪のオダリスク」と言われている、ブーシェの『オミュルフィ嬢』を一目、拝みたかった。

バスから降り、ミュンヘンの中心部マリテル広場に向かった。この広場に聳える新市庁舎にドイツ最大の仕掛け時計がある。有楽町のマリオンのモデルになったといわれる36体の人形が出てくるのだ。出てきた、出てきた、さすがに良く出来ている。人形が消えたところで解散のはずだが、そこは日本人ツアー客、御一行様全員揃って三越で買い物となった。お目当てはアイグナーのカバンだが、気に入ったものがなかったら三越の日本人店員さんがアイグナー本店の場所を教えてくれた。早速、有名ブランド店が並ぶマキシミリアン通りを走って、アイグナーに入るも、ここでも日本人店員さんの親切な応接にも関わらず気に入ったモノはなかった。帰りも仕方なく走ったが、息が切れて脚が進まない。そのハズだ、履いている靴がナイキなのだ。アディダスかプーマじゃないとマキシミリアン通りはうまく走れないのかも知れない。

新市庁舎。旗が見えるが、赤黄黒のドイツ連邦旗、青白がバイエルンの州旗、黄色がミュンヘンの市旗。この人形は、さすがに出来が良い。この人形の出番のときは、広場は立錐の余地もなくなる。


マキシミリアン通りを走った。ビトンやバーバリーが飛ぶように過ぎて行く。立ち止まって、息も絶え絶えにシャッターを切った。左はレジデンツ。バイエルンの王宮だ。宝物を見ると半日かかるそうだ。右はバイエルン州立歌劇場。ワグナーが聞こえてきそう。




マリテル広場でコーヒーを飲んで、広場を眺めていたが写真を撮りたくなる光景が不思議とない。ドイツの旅も今晩で終りなので振り返ってみると、意外とジャガイモを食べていなかった。広場を見て思わず膝を叩いた。お皿の上にイモが出てこないハズだ。目の前にイモがゴロゴロしていた。いやはやドイツは、建物や景色以外、目の保養にはならない国らしい。夕食は、ホテルの近所でサンドウィッチを買った。中央駅の傍にあるホテルの界隈はトルコ人街になっていて、ケバブのサンドウィッチがとても美味しかった。
ミュンヘンには2泊したのだが、拠点となっただけで大した見物も買い物もできなかった。

夕刻、マリエン広場を前に暫し佇む。それにしても垢抜けた人は通らなかった。イモの国、ドイツ。



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01 May

#54.ノイシュバンシュタイン城

ドイツの旅のクライマックス、ノイシュバンシュタイン城の見物はミュンヘンからの出発になった。ミュンヘンはバイエルン王国の首都で、ノイシュバンシュタイン城はそのバイエルン国王ルートヴィヒ2世が建てた城だ。この日は大変な雨で気分も少し重めだったが、恐らくルートヴヒも昼間は鬱気味だったのだろう。雨の車窓を眺めながらルートヴィヒのことを考えてみた。
19世紀の後半、世界史は回転速度を上げ風雲急を告げる事態になった。それなのにバイエルン国王ルートヴィヒ2世は北欧神話の世界に浸っていた。ドイツ連邦のNO.2構成国であるバイエルンはプロイセンの専横への牽制勢力になれず、1866年ドイツ連邦は、宰相ビスマルク率いるプロイセンの意のまま、ハプスブルクのオーストリアとの戦争に突入する。戦争には圧勝するが、ルートヴィヒの関心はワーグナーの楽劇の世界であり、ローエングリンやタンホイザーの実現だった。そして、1869年ノイシュバンシュタイン城が着工される。一方、プロイセンの野望はフランスにも戦いを挑み、ナポレオン3世までも叩きのめしドイツ帝国を成立させる。だが、ルートヴィヒは相も変わらず夢の世界の徘徊だった。
周到な外交による戦略と国民軍によって構成された軍隊による近代戦の時代に変わっているのに、時代錯誤でしかない城の建設への巨額の国庫の支出には財務官は頭を痛めたことだろう。これがバイエルンの衰退を早め、ルートヴィヒは禁治産者宣告され幽閉される。ノイシュバンシュタイン城も取り壊しが検討されたが地元の民衆の反対で残された。今、これがバイエルン州の莫大な観光収入になっているのは、皮肉と言うか、先見の明というか大いに考えさせられることだ。また、プロイセンの戦争が残したものとバイエルンの道楽が残したもの、ともに巨費と犠牲のもとでのことだが、比較は難しいが考える価値がありそうだ。


バスを降りて、裏山のマリオン橋からノイシュバンシュタイン城を眺望する。ここから見ることができれば、今日の旅の使命は終わったことになる。


城の左右を見れば、険しい山の中。工事は難航を極めたのだろう。左側の城はルートヴィヒが北欧神話を夢見て育ったホーエンシュバンガウ城。


山道を登り城が大きく見えてくる。遠くからの方が良かったような気がする。近くで見ると、怒られそうだが目黒エンペラーという雰囲気だ。


中に入ると、残念ながら撮影禁止。外は白亜だったが、中は金ピカ、それも安っぽかった。どうもルートヴィヒの趣味が理解できなかった。

昼食を摂ったレストラン。ノイシュバンシュタイン城の麓だが、意外と美味しかった。ただし、ドイツにしてはだが。お魚のお料理が出てきて、しかも海の魚だった。雨で体が冷えていたので、温かいコーヒーが一番のご馳走だった。



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24 April

#49.ディンケルスビュール

ドイツの旅はハイデルベルクからローテンブルクを経て、ミュンヘンに向かった。その途中、ロマンチック街道の宝石と言われているディンケルスビュールへ立ち寄る。宝石に相応しく、街は小さくて美しい。バイエルン州ヴュルニッツ渓谷のディンケルスビュールは中世のころから腕の良いマイスターのよる手工業で栄え、神聖ローマ帝国の直轄都市の時代もあった。
小さな城門をくぐると、絵本から抜け出たような街並みが現われる。色とりどりの家々の向うに塔がいくつも見える。狭いながら塔はこの街に16もあるそうだ。しばらくキョロキョロしながら歩くと、街の中心部のマルケト広場に出る。ひときわ手の込んだ建物が目に入る。黒くて高いその建物はドウチュハウスで、ディンケルスビュールの象徴のような存在だ。表の看板にあるホテル・ドイチュハウスの名のとおり、ホテルなので1階はレストランになっていた。旅の思い出にと思い、中に入ってみた。食事時の時間ではなかったので、客もなく静かだったが、雰囲気も落ち着いていた。出てきたコーヒーは品が良く、とても美味しかった。ドイツは知る人ぞ知るコーヒー大国で、コーヒーの輸入量はアメリカに次いで世界第2位であり、日本の倍に近い量を誇っている。
ドイチュハウスを出て、聖ゲオルグ教会の前のルターの像を仰いで、空を見ると塔が眼に入ってくる。確かに塔の多さは街中ならどこでもすぐ実感できた。

ディンケルスビュールの普通の街並み。この街はどこでも中世ドイツ風の建物と塔が見える。


この界隈が一番の見どころかもしれない。右手の3軒目にドイチュハウスの黒く荘厳な姿が見える。


ドイチュハウスの正面。木組みの細かさが素晴らしい。窓際の花も控えめだが見事だ。


ドイチュハウスの内部。落ち着いた雰囲気が美味しいコーヒーを余計引き立たせた。


また外にでる。とにかくこの街は塔が多い。しかも、ひとつひとつみんな個性派揃いだ。


聖ゲオルグ教会のルター像。当然、この像には物語があるのだろうが、まったくわからない。



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18 April

#45.ローテンブルク?

ローテンブルグ・オプ・デア・タウバーという名が正式らしいローテンブルクの市庁舎から更に街の奥に入ると聖ヤコブ教会があります。落ち着いた初期ゴシック造りの聖堂の中に入ってみますと、内陣はこんな小さな街にというほど立派です。
ここの教会のイチオシは、リーメンシュナイダー作の木彫りの『最後の晩餐』です。この彫刻も良く見ましたが、結局中央にいて一番立派なイエスとお金の袋を持ったユダしかわかりません。このことは、どの『最後の晩餐』を見ても、残念ながら同じことです。

聖ヤコブ教会。初期ゴシックの重厚だが簡素な造りは、驕りを棄て気持ちを安らかにさせてくれる。

内陣も華美なところはなく、明るく心地よい空間だ。

数多い『最後の晩餐』でも珍しい木彫の『最後の晩餐』


聖ヤコブ教会から街中に進む途中、クリスマス用品を扱うケーテ・ウォルファルト本店の中に、ドイツ・クリスマス・ミュージアムがあります。7月でしたが中は年中クリスマスで一杯だそうです。

右側の緑色の建物がクリスマス・ミュージアムのあるケーテ・ウォルファルト本店です。

店内はクリスマスのまっ只中。


この道は三叉路になっていて、ローテンブルグ一番の名所だそうで、ツアーのパンフレットの写真になるところだそうです。ところがこの日は工事中で土ぼこりモウモウで、旅の風情もあったものではありません。ベンツはベンツでもダンプカーのベンツでは、所詮ダンプカーです。

このときは冴えない正面の建物もロテンブルグの象徴的なひとつで、クリスマス・ミュージアムで、手のひらに乗る大きさの焼き物のお土産がありました。



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10 April

#39.ローテンブルグ?

ドイツの旅はハイデルベルクからローテンブルグへ向かった。ドイツは道が良いので、バスの旅は快適だ。おまけにバスもベンツだ。車窓からのドイツの野山が美しい。思わずドイツのメロディーが浮かぶ。ドレミー、ミソファー、ファラソーソファミー・・・。
ローテンブルグは、ロマンチック街道にあって小さいながら中心都市だ。ヴュルツブルグからフュッセンまで26都市を結ぶロマンチック街道(Romantische Strasse;ロマンティシェ・シュトラセとでも読むのだろうか)の北から6番目に位置している。ロマンチック街道には、ヴュルツブルグやアウグスブルグのような中世の大きな都市もあるが、ローテンブルグ、ディンケルスビュール、ネルトリンゲンのように中世の面影を色濃く残す小さい都市の方に人気があるようだ。中世の宝石と呼ばれるローテンブルグは、小規模な中世の都市の典型だ。街は分厚い城壁に囲まれていて、塔のある門から出入りする。地図を見てもわかるが、城壁から眺めても街の規模がわかる。とても小さい。出発前に調べた地図帳には小さい丸で載っていたが、この規模を目の当たりにすると、よく載せたものだと思いたい。
街中は中世ドイツ式の窓枠を縁取った建物や木組みの建築物の連続で、どこでシャッターを切っても絵になる。という訳で、今度はバッテリーの充電も毎日行なって、あたり構わず写真を撮ってみたところ、それなりの写真もあったが、悪くはないが同じような写真だらけになった。

塔のある城壁に登ってみた。街は、この高さの堅牢な城壁に囲まれている。


宿泊したホテルです。城壁のそばあり、木組みの美しい建物はいかにもロマンチック街道の雰囲気が漂います。でも、トイレなどの内部の設備は最新式なので、アメニティーやセキュリティはまず安心。


ローテンブルグの街並みですが、ごくフツーの風景です。似たような写真をたくさん撮ってしまいました。


どこでも絵になるローテンブルグでも、歩いているうちにイチオシのスポットかと思うところに出ました。


さらに奥の塔を中心にアングルを組替えました。


小さい街にしては立派な市庁舎です。ヨーロッパの都市は教会と並んで市庁舎が街のシンボルになっています。それにしても丁寧に良くできて建物です。

正面のピンクの建物は市庁舎の右隣りにあります。この建物の窓からからくり人形が見られます。午後9時になると時計の文字盤の左右にある窓から出てくる人形は、スウェーデンの将軍と市の代表で、酒飲み競争をします。この酒飲み競争に市の代表が勝ったので、スウェーデンの将軍を追い払うことができたそうです。深刻な話ですが、人形がとても素朴な造りなので、余計アハハと笑い飛ばすことができます。



今から400年ほど前、ドイツは宗教対立から三十年戦争という深刻な内戦に突入した。その上、ヨーロッパ中の国がこの内戦に介入したため大戦争に拡大してしまった。北方の大国スウェーデンもバルト海を渡って大軍で攻めて来た。ローテンブルグもスウェーデン軍に制圧されたが、街の代表者が酒飲み競争という一計を案じ、占領は回避された。



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