16 March

#537.贅沢ボケ

先日、上野の国立西洋美術館へ『ルーブル美術館展−17世紀ヨーロッパ絵画−』を観に行ってきた。主催者の資料には、レンブラント、フェルメール、ルーベンス、プッサン、クロード・ロラン、ラ・トゥール、ドメニキーノ、グェルチーノ、ベラスケス、ムリーリョという名前が案内されていた。
日本での人気はフェルメールが圧倒的で、これに続く存在として、レンブラント、ルーベンスだろう。また、ベラスケスやムリーリョも良く知られているが、ラ・トゥールの方が人気はありそうだ。少し恣意的だが、人気の順では?フェルメール、?レンブラント、?ラ・トゥールとなるのではないかと思われる。ルーベンスよりもレンブラントが好まれるように、静謐で精神性が表に出ている作品が日本人には好まれようだ。それならニコラ・プッサンと言いたいのだが、まだ知れ渡る前の状況下もしれない。

お目当ては、そのニコラ・プッサンだった。プッサンのどんな作品が観られるのかワクワクしながら出掛けたのだ。会場に入ってガックリきた。いの一番がニコラ・プッサンではないか。どんな展覧会でも最初の作品は黒山の人だかりになるものなのだ。誰しも最初の作品は丁寧に見る。また、終わりの方になると作品名すら飛ばすのに最初の説明は実に良く読む。そして、また眺める。こうして最初の作品は良く見えないので飛ばしてしまうことがあるのだ。でも、今回はそんな訳にはいなかった。人の流れの端について、少しずつ進んで作品の前に来た。折角だから丁寧に観たが、こんな見方はルーブルでもしないだろう。

お目にかかったプッサンの作品は『川から救われるモーセ』だが、初めての対面だった。だが、きっとルーブルでは観ているのだろう。名作『フォキオンの葬送場面のある風景』ですら、作品の前は何度も通り過ぎているのに全く記憶にないのだ。名作が溢れすぎている贅沢がなせることだが、もったいないことだ。


02:46:49 | datesui | 1 comment |

15 February

#523.イメージつくり込むこと

今年に入ってから、『アラトリステ』、『我が至上の愛〜アストレとセラドン〜』というヨーロッパの映画を観た。キャスト、ストーリー、監督、音楽など映画に期待する要素はいくつかあるだろうが、西洋の時代劇には時代考証を期待することがある。3年ほど前になるが『オリバー・ツイスト』を観たときも19世紀のヴィクトリア期のロンドンの姿が観たくての鑑賞だった。今回も『アラトリステ』が17世紀前半のフランドルやスペインが舞台であり、『我が至上の愛〜アストレとセラドン〜』は5世紀のフランスということだが、特に後者はまだフランスという概念が確立しておらず、西ローマの一部であるガリアという時代だったはずだ。

日本でも大昔のことをビジュアルに想像するのは容易いことではないが、まして外国の昔の姿を思い浮かべるのは不可能に近い。歴史の本を読んでも、人物の顔や建物の外観は示されてはいるが、それだけで当時の生活の様子や人々が行き交う街の姿などが想像できるものではない。

中学の頃、かれこれ40年も前になるが、テレビで『冬のライオン』という映画を観た。白黒の画面にピーター・オトゥールやキャサリン・ヘップバーンの名演が展開されていたが、この画面に出てきた風景が中世のヨーロッパのイメージになった。高校での世界史でも、その後読んだ歴史の本でも、イメージはこの『冬のライオン』からのものだったが、イメージがあるとないとでは大違いで、どれだけ親近感をもって歴史に接することができたかわからない。ただ、最近『冬のライオン』のDVDを買ってみたらカラーだった。チョイト驚いたが、考えてみたら我が家のテレビが白黒だったというオソマツだ。

今回の『アラトリステ』と『我が至上の愛〜アストレとセラドン〜』では、衣食住という具体的なものよりも言葉の端々に出てくる神への信仰の様子がおもしろかった。17世紀のスペインではカトリックの番人よろしくプロテスタントを異教徒と呼んでいたし、5世紀のガリアではまだケルトの神々やギリシアやローマの神々の名も飛び交っていた。こうして甚だ歪だが、ヨーロッパのイメージを勝手に作っていくのも楽しいことだ。


00:14:57 | datesui | No comments |

02 February

#518.中身よし、入れ物微妙

乃木坂の新国立美術館へ行ってきた。加山又造展だ。いかにも展覧会映えが期待できそうだが、見ておきたい作品もあるので出掛けてみたところ、やはり観ておいて良かったと思える展覧会だった。まさしく琳派の風情の傑作、「雪」「月」「花」のお出迎えを受け、ご機嫌のうちに楽しむことができた。
初期の動物の連作を見ると、そのころから厳しい画面構成、精緻な技法という加山の世界は完成されていたよう思える。それが時とともに成長するというよりは、新しい世界への挑戦を繰り返したことによる画風の変化は、見ていて気持ちの良いものだった。「千羽鶴」「春秋波濤」や「夜桜」は何度見ても楽しい。また、一連の裸婦も登場して加山の美の世界は一通り堪能できた。ただ、お目当ての「冬」が2月11日からの展示で、観ることができなかったのはとても残念だった。

国立新美術館へは実は初めてで、開館から2年もたってしまった。好きになれないところがあるからだ。企画展のみというコンセプトだが、美術館は苦しくても常設をもつべきで、腐っても美術館としてのアイデンティティーに固執して欲しいのだ。それが最初から放棄をして、地の利だけを売り物に企画展を自転車操業するのはあまりにも美しくない。

だからという訳ではないが、ケチをつけたくなる。展示替えの案内も親切ではなく、サイトの情報でもよほど注意して見ないと、「冬」の展示期間などわかるものではない。また、黒川記章設計の自慢の建屋だが、あまりにも今どきすぎるようだ。何百年もしたら、「当時はガラスという無機質な素材を先を争うように使用していた。創造性の乏しい設計者には装飾という厄介なものから解放されるからだ。」という嘲笑に似たような評論が飛び交うのではないかと思う次第である。


19:08:52 | datesui | No comments |

21 January

#513.汽車賃をかけた甲斐

今年のミュージアム見物の第1号は八王子夢美術館になった。八王子までは東京駅から快速で約1時間、久しぶりの遠出になった。ネットの情報では入館料が500円と格安で、こいつは良いと思ったが、なんと汽車賃が片道780円。これでは少しも安くはない。
八王子駅から西放射ユーロードという街中を斜めに貫通した歩行者専用道路を歩く。やがて通常の道である甲州街道と直角に交差した道の交差点に出る。この八日市町の交差点から甲州街道に入り、西へ3、4分歩くと右手にビュータワー八王子が見えるが、その2階が八王子夢美術館だ。

案内表示に従ってエレベータを2階で降りると目の前に「いとも美しき版画の世界」という大きいが品の良い看板が目の前に広がる。早速、500円の入館券を買い順路に従って入ってみる。するとビックリだ。出品リストがあるのは当たり前だが、見どころ入り順路の案内図、西洋版画と日本版画のダイジェスト版比較年表、デューラーの『黙示録』やブリューゲルの『最後の審判』の説明資料、版画の技法のパンフなど、学芸員手作りの資料が「ご自由にお持ちください」なのだ。以前出掛けた横浜美術館も学芸員の汗かきが気持ちよく思えたが、それ以上のおもてなしに敬服だ。

さて展示だが、これもなかなかの内容だった。15〜17世紀のドイツ、フランドル、オランダのいわゆる北方ルネサンスの版画は期待どおりだったが、その後のヨーロッパ版画の展示は質・量とも充実した見事な陣容で、見応えも十分だった。特に20世紀の展示は、ピカソにマチス、クレーにカンディンスキー、エルンストにマグリットというように、著名な美術家は版画も残していることが一望に分かるようになっていた。また、版画と言えばというジャック・カロやビアズリーの作品も良く揃っていて、版画の展示としては極めて上等な企画と思う次第である。

お目当てが発券兼ミュージアムショップのカウンターにあったので、ジャック・カロの『2人のパンタローネ』、ビアズリーの『孔雀のスカート(サロメより)』を購入した。ここの女性も市民のアルバイトだろうか、決して容姿端麗ではないが品の良い奥様という感じの方で、丁寧な対応がとても素敵だった。

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八王子夢美術館の入り口。ビュータワー八王子のエレベーターを2階で降りるとこの光景が広がる。といっても狭いエントランスだが。右は八王子駅前から広がる西放射ユーロードの模様。緑の制服を着た駐輪を指導するおじさんがいて、自転車のマナーはとても良かった。


21:30:03 | datesui | No comments |

08 October

#462.知らぬ世界

先日『おくりびと』という映画を観た。納棺師という普段ほとんど意識したことのない職業を取り上げた作品だが、なかなかの秀作だった。ひとが死ぬ、すると葬儀が人生の最後の舞台になる訳だ。その舞台へ出るための晴れ姿に仕立てるお手伝いをする仕事である。死装束、死化粧、言葉では聞いたこともあるものの、よくわからないのが素直なところで、できる限りのことはしてあげたい気持ちはあるだろう。

この作品を通じて納棺師という職業の素晴らしさはよくわかった。ということで、この作品は大成功といえよう。逆に物語の中では、わかりにくい職業だけに誤解や曲解があり、主人公が職業の尊厳との葛藤に悩むところがおもしろかった。また、山崎努や木本雅弘の見せる納棺技術も見せ場があって、これは見事なものだった。

だが、物語はほんの数か月の話だ。こんな短い時間で納棺技術は会得できてしまうものなのか。また、死化粧を遺族から感謝される場面があるが、化粧がこんなに簡単なものとは思えない。少なくとも美容業界、化粧品業界に身を置いた者からみれば首を傾げたくなる。


15:27:15 | datesui | 2 comments |