11 June

#572.2世列伝?

西欧に多い2世だが、東南アジアの2世の存在も確認できた。あとはインドやイランだが、大した2世はいないようだ。すると2世の中では誰が一番だろうか。一番を決める実力だが、その要素として、?支配した領土の大きさ、?領民の多さ、?GNPのような生産力、?軍事力と戦果、などが考えられるが、?として権威も重要だろう。そんなことで総合的な実力評価をしてみると次のようになった。

  ◎ ウルバヌス2世(ローマ法王庁)
  ○ フェリペ2世(スペイン)
  ▲ メフメト2世(オスマントルコ)
  △ フレデリック2世(プロシア)

11世紀のローマ法王の権威はどの皇帝や王よりも上位に位置していたので、ウルバヌス2世を最上位にしてみた。ただ、メフメト2世はイスラム教徒なのでローマの権威もへったくれもない。次は領土や富の大きさからフェリペ2世を2位にした。メフメト2世とフレデリック2世は拡張力という勢いを買った。最終的な実力はオスマントルコ帝国が頭抜けた存在だが、ここは治世時の状況で評価した。


10:06:54 | datesui | No comments |

09 June

#571.2世列伝?

ナントカ2世の話をしている訳だが、前回では各国別の2世の顔ぶれを挙げてみた。出てきた国をみると、2世の出現には特定の地域や時代があるようだ。まず地域として多いのはヨーロッパか西アジアで、東アジアには全くみられない。また、同じヨーロッパでもギリシアやローマにはほとんど見かけない。世襲制が少なかったためか。

2世がいない東アジアだが、まず中国には代を経て同じ名前をつける文化がなかったためか、何世という名は見当たらない。同様に北の遊牧民や狩猟民であるモンゴルや満州の諸族、また朝鮮やベトナムにも見当たらない。日本もほぼ同様であるが、天皇だけは後白河法皇や後水尾天皇のような例外のような例もあるが、これも3世を示す後後○○天皇という呼び名はない。

とにかく2世は西方のものらしいが、一番東に存在する2世はどこの誰であろうか。調べた限りではカンボジア、アンコール王朝のスールヤヴァルマン2世ではなかろうか。あのアンコールワットを造営した王様で、12世紀前半のことだ。カンボジアは6世紀のころ中国の記録に真臘として現れるのが最初で、その後ジャワのシャイレーンドラ朝に征服され、王は殺され後継者もジャワに連行された。9世紀の初めに帰国して、王として即位したのがジャヤヴァルマン2世である。アンコール朝の事実上の始まりで、13世紀までカンボジアの最も栄えたときになる。


10:49:43 | datesui | No comments |

08 June

#570.2世列伝?

現代の2世が出揃ったところで、国別に遡ってみてどんな2世がいたか顔ぶれを見てみよう。

まずはイギリスで、ヘンリー2世、リチャード2世、チャールズ2世、ジェームス2世というラインナップだ。ヘンリー2世はアンジュー帝国を設立した強君といえる人物だろう。あとの3人は並みもしくはそれ以下の王様だ。フランスは、フィリップ2世、アンリ2世がいる。尊厳王といわれたフィリップ2世は都市との連携で貴族を牽制して王権を伸張させ、アルビジョワ十字軍によって西南部に領土を拡張した名君といえよう。アンリ2世は16世の難しい時期であったが、無策で終った。

ドイツは、まずハプスブルグでは、ルドルフ2世、アルブレヒト2世,ヨーゼフ2世といるが政治的には凡庸な方々だ。ただ、ルドルフ2世は珍品収集という文化面で評価ができそうだ。プロイセンになると大王と崇め祀られたフリードリッヒ2世で、「君主は国家の第一の僕」と言った啓蒙専制君主のひとりだ。農民の保護、産業の育成と軍備の強化でプロイセンを国際舞台に引き出した。続いてヴィルヘルム2世はドイツ帝国3代目の皇帝だが、モルトケやビスマルクといったドイツ帝国建国の立役者に暇を取らせ、帝国を第一次大戦に突入させ破滅に導いた愚帝。

スペインといえば、フェリペ2世だ。フィリピンという国名が残るほどのスペインの絶頂期の皇帝だが、それだけで終ってしまったようだ。ロシアでは、エカチェリーナ2世、ピョートル2世、ニコライ2世といるが、名君はエカチェリーナ2世だ。ダメ夫のピョートル3世に代って女帝になり啓蒙専制君主としてロシアの地位を引き上げ、文化にも功績を残した。ニコライ2世はロマノフ朝最後の皇帝という貧乏くじ引きだが、伝わる逸話は豊富で楽しい。

その他、オスマントルコ帝国ではメフメト2世が有名だ。コンスタンチノープルを陥落させ、オスマン帝国の版図を飛躍的に拡張させた英雄で、ファーティフ・征服者と呼ばれているが、欧州側からみれば蛮族の侵略者となるのだろう。もうひとり、ローマ教皇庁のウルバヌス2世だ。実力ということでは圧倒的であったと思われる。各国の皇帝、王様がみんな言うことを聞いたのだ。だから十字軍なんて愚策が始まってしまった。


17:34:43 | datesui | No comments |

04 June

#568.2世列伝?

この話題は話の順が逆になってしまった。まずは現役の2世の方から話を始めるべきだった。昔のことはそれから遡った方がおもしろそうだ。
という訳で現役の2世を書きならべてみる。まずはイギリス連合王国のエリザベス2世、続いて欧州の王国からデンマーク王国のマルグレーテ2世、ベルギー王国のアルベール2世、同じ欧州だが少し小さめの国からモナコ公国のアルベール2世、リヒテンシュタイン公国のハンス・アダムス2世となる。アジアの王国からはヨルダン王国のアブドッラー2世がいる。
2世を名乗っている王様はこんなところだろう。

何はともあれイギリス連合王国のエリザベス2世については、何か記述しなくてはならないだろう。1926年4月21日生まれ、在位は1952年2月6日である。これだけでも大変なことで、2007年12月20日に御歳80歳を超え、80歳8カ月はイギリス史上最高齢の君主になった。あの長生きで有名だったヴィクトリア女王を抜いたのだ。在位期間も57年に及び、ルイ14世の72年という特例を除けばこれまた凄い記録を更新中だ。
元首としてのエリザベス女王は、イギリス連合王国を始めカナダやオーストラリア、ニュージーランドなど20近くの国の元首も兼ねている。これだけ国が多いと、イラク戦争のときなどは支持のオーストラリアと不支持のカナダのように意見のあわないことも出てくる。
20世紀の後半のイギリス自体が凋落傾向にある中で、イギリス国民を見守り、緩やかに鼓舞し続けた姿勢は素晴らしく、名君に値するだろう。家族でのテレビ出演など、国民に親しまれる皇室を目指し、国民から絶大な信頼と人気を勝ちえている。反面、サッチャー首相が服装の色を合わせようと提案したところ、「臣下の服装には興味がない」と一蹴して、毅然としたところもみせた。色は身分を記号化する最大の手法であるので、「身分が違う、無礼な」という気持ちだったのだろう。

マルグレーテ2世、こちらも女王様だが180cmの長身で美人の誉れが高い。デンマーク王室は欧州でも格上と目される王室で、北欧からロシアに勢力をもつ欧州4大家系のひとつオルテングルグ家の本流である。日本の皇室とも縁が深く交流も盛んである。1998年に日本の天皇夫妻が訪問したときのマルグレーテ女王のおもてなしぶりは伝説に残るほどの見事なものだったらしい。
デンマーク語は当然だが、英、仏、独、端の言葉を操り、ケンブリッジやソルボンヌなど4つの大学出で学んだ卓越した教養人でもあるが、市中を歩きまわるという気さくさから国民に絶大な人気がある。柔道を嗜み、ボーボワールの著書を翻訳し、王立バレエの衣裳デザインなど多才ぶりも素晴らしいが、世界的に有名なヘビースモーカーでもあるところもおもしろい。

あとの2世は男性で、今の世の中の男はどうも話題に乏しいようだ。


11:00:16 | datesui | No comments |

03 June

#567.2世列伝

政界では世襲が問題になっている。よく言うところの2世議員だ。問題になるのは働きが悪いのだろうが、玉石混交というところが実態ではないだろうか。この2世だが、歴史をたどるといろいろな場面にナントカ2世なる人物が登場する。2世議員の2世とは少し意味合いが違うが、どんな人たちがいたのか歴史をひもといてみよう。

最初に登場するのが、ラムセス2世だ。エジプトの第19王朝の王様だ。エジプトは砂漠や海で囲まれていたので安定した歴史が推移した。異民族や外敵との接触は少なく、大きなものはわずかに2回ほどである。1回目は紀元前17世紀、シリア方面からヒクソスが侵入して、1世紀あまり支配されたことだ。2回目はエジプトからの進出で、紀元前15世紀のトトメス3世と前13世紀のラムセス2世が歴史にその名をとどめている。ラムセス2世は北の強国ヒッタイトとシリアの領有を巡って争い、カデシュの戦いが有名である。カデシュは現在の西シリア、ダマスカスとアレッポの中間に位置するホムスの近くである。この戦いは公式の軍事記録の多いことでも有名で、歴史上初の和平文書や間諜の活躍を記述した文書などがあるため、ボードゲームにもなっている。ラムセス2世としては作戦の失敗などがあり、戦力の消耗にもかかわらず結果は芳しくなかったようだ。

お次はネブカドネザル2世だ。新バビロニアの王だが、脇役的な登場だ。モーゼに率いられたヘブライ人はエジプトを出て、パレスチナに戻り王国を建国する。ソロモン王の死後、北のイスラエルと南のユダに分裂して弱体化する。前8世紀にイスラエルはアッシリアのサルゴン2世に征服され住民は強制移住させられた。ユダは前586年に新バビロニアのネブカドネザル2世によって征服され、ユダの住民は遠くバビロニアまで連行されてしまう。前538年にアケメネス朝のキュロス2世によってバビロニアが占領されたとき、帰国が許されたそうである。これが歴史に名高い「バビロンの捕囚」として後世に記憶される事件である。能動的に歴史を動かした側ではなく受動的立場が有名になった珍しい例だが、ユダヤ人の宿命なのかもしれない。という訳で2世が3人も出てきたが、中心人物はネブカドネザル2世となろう。


17:27:08 | datesui | No comments |