30 July

#431.想像力

「想像力と数百円」は新潮文庫の広告に現れた秀逸なコピーだ。小説を読むには想像力が必要だが、必要という読み方ではおもしろくない。想像力を駆使して、書き手とせめぎ合いをしてみるのもおもしろいのだ。想像力を強制されるような作品もあれば、どうにも想像力が追いつかない作品もある。もっとも書き手の方がそこまでの想像力をもって書いていないような作品もあるので、そんなものは読んでいてイメージが湧かなくても良いようだ。

去年のことだ。なんとなく気持ちが乗らない日が続いていたとき、ふと読み出したのが村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』で、思い出せないほど前に読んではいるのだが、こんな小説だったかと思うほど新鮮な話しかけが飛び込んでくる。情景がどんどん浮かんでくるのだ。一角獣の姿がこれほどまでにクリアだったかと以前の自分を疑うほどだ。一角獣の気品ある顔立ち、表情は穏やかで優しく、しかも美しく聖画集にある聖母のように思えた。金色に輝く毛並みは秋の明るく柔らかい陽光を浴び、緩やかな風が吹くたび、金色の光の波が一角獣の身体を巡った。その様子はパリのクリニュー美術家の『貴婦人と一角獣』のタピストリーにも劣らない優雅さが溢れていた。

2度目というのはイメージの湧き方が違うのかぐらいにしか思っていなかったが、残りが数十ページになったとき、ふと思いついた。「ボルヘスだ」。ホルヘ・ルイス・ボルヘス、アルゼンチンの作家だ。その2年前、ボルヘスの『伝奇集』を読んだ。短編の集まったものだが、ある短編はびっくりするような情景が浮かぶ反面、情景が何も浮かばず読み進むのが大変な作品もあった。今でも、生ぬるい空気の月夜に野犬の群れが吠えながら走り回るという情景が鮮明に浮かんでくることがある。

その延長ではないのだが、明らかにボルヘスの後という気がしたのだ。重苦しい空気、澄んでいるが緊張した空気、自然な時間が流れる空気、という空気のイメージが思い浮かぶようになったのもボルヘス以降である。小説は想像力を必要とするばかりではなく、想像力を強く、大きく鍛えてくれるようだ。


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09 January

#334.日曜のデライト

先日の今年最初の日曜美術館は小堀遠州を取り上げていた。遠州の活躍した寛永の文化研究の第一人者の熊倉功夫が中身の濃い話をたっぷりと聞かしてくれた。久しぶりに日曜美術館らしい時間を楽しんだ。

庭造りの名手と知られる小堀遠州は築城での才能発揮が最初とのことだった。江戸初期の寛永のころ備中松山城の改築で、長い刀を振り回す時代から平和の時代にふさわしい城を構築したのだ。そのころの城は、戦闘用の城から統治用へと変化し、大阪城のような威圧感のある城に変わったが、さらに平和な時代の松山城は街のシンボルや和みの存在として造られたそうだ。柔らかな唐破風など、これまでにない趣が取り入れられている。この才能に徳川はいち早く目をつけ、徳川ゆかりの地の駿府城の構築を遠州に命ずることになる。小堀遠州と名乗ったのもこの頃と言われている。

次が造園だ。それまでの庭は自然のものを加工せず組み合わせていたものに、切り石や木々の刈り込みを持ち込み、表現力を高めたことだ。この庭園が、今私たちが眺めている日本庭園の原型ということになる。遠州は御所を始め多くの庭園を手掛けるが、それが到る所に遠州作の庭園が生んでしまったそうだ。最近研究が進み、遠州作でないものが明確になっているとのことだ。

3つ目は茶室だ。遠州は、築城、造園に長けていただけではなく、書画、茶道など諸芸百般、実に多芸であったらしい。茶道は古田織部に学び、ひとつの流派を創出するほどで、家光のご指南役になったばかりではなく、弟子に松花堂昭乗や沢庵和尚がいたとはおどろきだ。その遠州の茶室は、利休のわびさびは引き継ぐものの堅苦しいところを排除して居住性の優れた空間にしたことだ。また道具も質素だけではなく、優美絢爛な要素も取り入れた「綺麗さび」という新展開を示したのだ。

中世以来、多種多様の文化の創造がみられたが、それを統合し完成版を提示したのが遠州ということになる。寛永という時代の要求に、遠州は見事に応えたわけである。後水尾天皇、本阿弥光悦とともに寛永文化のキーマンとして心に留めておきたい。


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29 December

#328.今年の書棚

5月の出来事は映画とミュージアムの月課が止まり、発信活動としての『伊達酔』も止まった。たかがパソコンが壊れたぐらいだが、少しは積極的に思えることが全て止まってしまったようだ。ところが意外にも普段なら読まないような本を読んでいたのだ。政治学と社会学の本だった。

理系だったこともあり文系への憧れは40年以上だが、文系の文系たる人文科学へは早くから親しむことができた。だが、文系のもう一方の存在である社会科学にはなかなか触手が伸びなかった。経済学や法学は仕事でも必要な場面があり、そのついでに少しずつだが勉強する機会もあった。だが、その先の政治学や社会学になると遠い存在のままの状態が続いていた。なにせ経済学や法学は経済や法律のことのお勉強とわかるが、政治学や社会学はアウトラインや内容の構成などイメージが全く湧かなかったからだ。

それが、本も読む気が失せていたころ本屋の書棚で『現代政治学』を見つけたのがことの始まりだ。とは言っても有斐閣アルマで、B6版250ページという手頃な入門書だ。目次を見て政治学の構成がわかったようで、急に読む気になった。わかりやすい書き方をされた良書だったこともあり、思いのほか高い関心を維持しながら読み終えることができた。特に政治体制と政治文化には大いに興味が湧き、また今の世界の秩序がウエストファリア・システムのなごりで、1648年以来の体制であることは知っていてもよかったことだった。

すると社会学の本にも目が移り、岩波新書の見田宗介著『社会学入門』を読むことになった。読んでみて感じたことだが、社会学は物事を横断的に眺める学問のように見えた。哲学で、経済学で、文学で、扱われた共通の事柄について人間のつながりをもとに見渡してみるように思えた。だから、社会を捉える手法は、短歌の読み解きが出てきたり、ロジスティック・カーブと呼ばれるS字型の成長曲線が出てきたりで、私にとっては退屈することなく楽しく読み進めた。逆に、このへんが社会学のアウトラインがはっきりしないようにも見えたのかも知れない。
なかでも興味が湧いたのが、時代を代表する小説として、村上隆『限りなく透明に近いブルー』、田中康夫『なんとなくクリスタル』、村上春樹『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』、吉本ばなな『キッチン』を挙げていて、時代とともに色がだんだん薄くなり、最後は白くなるということだ。実は、この考察は自分でも考えていたので、そのまま共感や共鳴ができたが、先を越された感もあり若干悔しい気持もした。ただ私の考えは、このあと江國香織の『デューク』が加わるもので、感覚がより透明なものに流れてその極大に達するのが『デューク』と思っていたのである。

ちょうど良い機会だったので、これらを読み返してみた。さすがに時代を代表する作品だ。読み返してみると新たな感動さえ湧いてくる。特に、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』はその間にボルヘスを読んでいたこともあり、ボルヘスの幻想的な感じを不思議な共鳴体として楽しむことができた。
さらに、村上隆の勢いで石原慎太郎『太陽の季節』や大江健三郎『性的人間』までも再読することができ、血の巡りが良くなったような気さえした。


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19 November

#304.学際のはざま

土曜日の17日、ルネサンス・ジェネレーション‘07というシンポジウムを覗いてきた。テーマは『情動』で、なるほど21世紀っぽい話題だ。対談、インタビュー、映像のアートワーク、それと普通のレクチャーと形式を変えた出し物で飽きのこないように構成がなされていた。情動という小難しいテーマだから気を遣っていただいと思いたいが、普通のレクチャーが一番心地よかった。対談やインタビューは接点でのスパークというような狙いはわかるが、素人にはスパーク以前の蓄積がないのだからスパークのおもしろさなどわかることが難しい。それよりもコンテクストが途切れてしまうようで、折角の話も消化不良状態で聞こえてくる。

その普通のレクチャーで精神科医の十川幸司さんのお話はおもしろかった。開業医のかたわら執筆活動をなさっていることだが、私なりにその立場ゆえに考察できたと思われるところがあった。
情動は、精神医学、心理学、哲学の各学問を包含する形で存在していたと思われるが、哲学から心理学が独立したとき、さらに医学に精神科ができ臨床を進めたとき、情動はそれぞれの領域から疎遠になるような扱いになっていったと思われる。
19世紀の末にフロイトがこの情動と格闘する様を聞かされたが、ユダヤ人であったフロイトは当時研究機関での教授職や研究職に就けなかったために臨床医を開業して、研究を進め論文を認めていた。幸か不幸か、このようなフロイトの環境は情動の研究に向いていたのかも知れない。
情動は、哲学的でもあり、心理学的もあり、精神医学的でもあるため、どこかの分野で研究することがそのままその分野のもつ偏りになってしまうのだろう。また、これらのことをつなぐためには敢えて臨床という現場を持ち込む必要があったのかもしれない。

臨床精神科の大家シャルコーから始まりフロイトを抜けてスピノザに至る十川さんの話は素人の私には馬の耳に念仏だろうが、語り口からフロイトと同じ臨床医の立場でしかできないという自負の重なりに感銘を覚えた次第だ。


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28 September

#270.仲秋と長幼関係

27日の夜は満月だった。この2日前の25日は満月には2日前だったが十五夜で、中秋の名月の夜だったのだ。仲秋と書く場合もあるが、中秋と仲秋は同じではなくそれぞれ異なる意味がある。仲秋の方が格好が良かったので、仲秋と書いたりしていたが、意味を取り違えているときもあった。

旧暦の秋は、7月8月9月の3か月をさす。その秋の真ん中の1日が中秋で、十五夜はこの一晩をさすので中秋となる。
一方、秋は一月ごとに3分され、それぞれ孟秋、仲秋、李秋と呼ばれている。だから、仲秋の名月となると、8月ひと月の月のことになる。「月々に月見る月は大かれど月見る月はこの月の月」という月の歌があるが、最後のこの月の月は「今月の月」ということになり、8月の月を表わしていることになる。

では、孟、仲、李、というのはどんな由来があるのだろうか。まず、孟だが、最初を表わす字だ。「はじめ」さんなどという人名もお馴染みだろう。仲と李だが、古代の中国では男の兄弟を、年長の順に伯、仲、叔、李と呼んだ。すなわち、長兄は伯、次兄が仲、そして飛ぶが末弟が李で、三男から末弟の前までが叔となる。このうちの次兄の仲と末弟の李をもって、真ん中の月とお終いの月に当てたことになる。

よく、伯父、叔父のどちらにするか迷うときがある。自分の親との長幼関係を考えれば意外と簡単であることがわかる。


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