14 September

#452.おもてなしの心

先日、ホスピタリティというテーマで歓談をした。楽しい話になったが、ホスピタリティというと期待した通り「おもてなし」という言葉が出てきた。全くイコールとは言いにくいが、おもてなしの心とでもいえばかなり近いものかも知れない。
そのおもてなしをテレビで訴求している自動車がある。そこで言われているおもてなしとは3つのことで、装い、振舞い、設え(しつらえ)だそうなのだが、その自動車がどうなっているのかは良くわからない。詳しく知りたいところだが、いかにも高級そうで買えそうもないので、残念ながら仰るところのおもてなしを体感することはできそうもない。

おもてなしと言えば日本の芸事があてはまる。ただ、芸事で言われているおもてなしは4つで、装い、振舞い、設え、そして思いである。思いは、考え方つまり美意識で、装い、振舞い、設えを統一させる働きをもつことになる。今流の言葉で言えばコンセプトになる訳で、日本の芸事は数百年以上の昔からコンセプトなるものが明確に存在したことになる。

日本の芸事での装いは、茶道を例にとれば、その場に相応しい着物になるが、茶人がよく羽織っている十徳羽織のように形から入りやすくしている装いもある。だが、最大の装いは茶号の名乗りだそうだ。千利休と名乗ることによって茶道を嗜む心に切り替わるのだろう。本名の田中与四郎か、田中ナニガシではやはりシマリがない。

振る舞いは、お点前として一連の動作がプロトコルとして完成している。このお点前をもって茶道と思われているフシもある。茶道にはこのような定型のプロトコルもあれば、非の定型プロトコルも存在する。おもてなしの芸は、コミュニケーションが重要な位置を占めることから会話が重要である。大切な仲間との場を取り持つためには粋で洒脱な言葉のやり取りが求められたことであろう。

最後の設えだ。茶室という大きなものから始まり、茶器、釜、お棗、お袱紗など・・亭主の確固たる美意識に統一されて揃えられることになる。この設えの中で一番大切なものは何だろうか。例えば、家元のところで火事が起き、家元がこれだけはという気持ちで持ち出すものだ。・・・答えは、灰、炉の灰だそうだ。
茶器や釜はお金を出せばそれなりのものが設えられるが、灰はそうはいかないのである。いくたびかの気の利いたおもてなし、どれだけの心をこめた会話、これらを積み重ねて生成されたものが灰である。まさに思いの集積で、家元そのものを表すものかも知れない。


19:14:18 | datesui | No comments |

25 May

#404.アマゾン遊び

アマゾンで本を買うと、アマゾンのサイトの中にマイストアというタブがあって、関連図書のお奨めをしている。「**を買われた方は次の△△も買われています」という但し書きがついて、関連図書がいくつか画像付きで紹介されるのだ。

初めはどうでもいいことと思っていたが、いろいろ想像しながら見ていくと、これが結構おもしろい。今、マイストアの先頭は、菊澤研宗著『組織の不条理−なぜ企業は日本陸軍の轍を踏み続けるのか−』という本が出ている。総務省統計局の『世界の統計』2006年度版の購入された方という但し書きがついている。『世界の統計』などという本を見るヤツは何で組織の不条理を考えたのだろうか。世界の鉱工業生産指数が133に対して日本は106ということを読んで、日本の企業の組織は旧軍部さながらの状態なのかも知れないとでも思ったのだろうか。

岩波新書の『神仏習合』や『中世神話』という2冊のお奨めが出たときは『日本史リブレット 中世の神と仏』を買ったことによるもので、バックスミンスター・フラーの『宇宙船地球号の操縦マニュアル』を買ってみたところ、同じフラーの『宇宙エコロジー』のお奨めがマイストアに載った。

そこで、松井今朝子の『仲蔵狂乱』と、D・オシアの『ポアンカレ予想を解いた数学者』を注文してみた。同梱で届いたので、マイストアにはお奨めの本でどんなモザイクができるのか楽しみになった。待ち望んだ翌日にマイストアが更新された。
トップは相変わらず『組織の不条理』だったが、2位以下に『奴の小万と呼ばれた女』や『東州しゃらくさし』などの松井今朝子の著作がズラーっと並んだ。これはさもありなんというところだが、ポアンカレを買った人の本の登場はなく、期待していたモザイクにはならなかったのだ。やはり、数学の本なぞ買う人は変わり者でモザイクにもならない少数派なのだろう。

以前『こんなに役立つ高校数学』を買ったとき、重村智計著『朝鮮半島核外交−北朝鮮の戦術と経済力−』が出てきたときはさすがに唖然とした。


00:10:02 | datesui | No comments |

05 May

#394.ニーズあり

最近のテレビではクイズ番組が増えたようだ。それも学校のテストのような問題が出てくるところが奇異でおもしろい。
「あるある」のような情報告知型の番組には実施上不都合なことが多く破綻に追い込まれたことや、昨今の学力低下が叫ばれている現在、うまく不安需要にマッチしたのだろう。

不思議なことにクイズ番組にはどの番組を見ても、常連の回答者とも言うべき同じ人が出ていることだ。東大とか京大などの有名大学を卒業したタレントの一群がそれで、クイズタレントとも言うべき存在ができあがりつつ状況にある。
でも、このへんの存在は必然的なものだが、その反対の存在がおもしろい。つまり必ずクイズに答えられない、また吹き出してしまうような誤答が期待できるタレントの存在だ。見ている方に安心感を与える意味で大きな存在だが、当の本人はどう思っているのだろう。生きる道の発見と言うならクイズよりよほど為になる話だ。


23:16:47 | datesui | No comments |

31 January

#346.可処分時間

風邪気味の日が2、3日続いていたが、ついに具合が悪くなった。とは言っても寝込むほどではないので、ゴロっとしてみた。意外と気持ちがいい。これならもっと早くゴロっとしてみるのだった。
こうして3、40分経っただろうか。さて、起きてやることもあるし、やりたいこともある。いや、もう少し居心地の良い状態でいてみよう。そうだ、今日は思いっきりゴロっとしてい続けてみよう。こんなことはめったにない、めずらしいことだから、飽きるまでゴロっとしてみるのだ。
という訳で、今日は何もしないでゴロっとして1日が終わろうとしている。実に贅沢な気分だ。


16:20:28 | datesui | No comments |

13 December

#318.オトナのハナシ

マーケティングの気の置けない仲間と話をしていたら、マカオのカジノが盛況で、日本のカジノ談義も盛んになるのではという話題になった。すぐさま頭に浮かんだのはオトナの文化として認められるだろうかという心配だ。

カジノと言うと賭け事になるが、「立てばパチンコ、座ればマージャン、歩く姿は馬券買い」という言葉に代表されるように日本では賭けごとは軽蔑や揶揄の対象でしかなかった。従って、日本の賭け事の文化は欧米のそれとは異なり極めて寂しいものである。日本では儒教思想からくる厳しい倫理観により支配層には賭博が厳禁だった。そのため賭け事の文化は庶民や一部の特化した人たちの間でしか育たなかった。これではカジノが目指すオトナの遊びとしての賭け事にはなりえなかったのである。

カジノでのオトナを考えてみると、カジノは単なる賭博場ではないので、血眼になって切った張ったではいけないようだ。優雅な社交場でもあり、ラスベガスやモナコのように、F1やボクシングのタイトルマッチが行われるエンタテイメント空間と見た方が良いようだ。このようなところで博打を楽しむオトナとはどんなオトナだろうか。
つまりオトナの品格が求められるが、品格のもとは教養だ。リベラルアーツと呼ばれる教養は、普通思われている知識や学歴ではなく、品性豊かな立ち振る舞いを言うそうだ。粗野な行動や態度はもちろん厳禁だが、美しい所作や言葉を礼儀正しく使いこなせなくてはならないのだろう。隣り合ったお客同士も洒落た会話が交わせるようなことが求められているのかもしれない。

ここで20年ほど前の話を急に思い出した。読売巨人軍に助っ人として来日したホワイトの言ったことだ。日本のゴシップ好きの記者に対して、「何でも話すけど、政治のこと、宗教のこと、お金のこと、セックスのことは話さない、書かないで欲しい。」とクギを刺したことだ。アメリカ社会を考えればハハ〜ンと頷けるが、実に含蓄の深い言葉でその後は座右の銘に近い存在となった。特にあまり親しくない人や一定の距離を置かなくてはいかない人との付き合いでは少なからず役に立った。上質な社交の世界ではこのように話してはいけないタブーがあり、反対に好ましい話題や気の利いた話もあるのだろう。そのような訓練や場数を踏んで良いオトナになれる訳だが、子供を避けるオトナの話はセックスの話が相場なのだが肝心なものが抜けたような気がする。


補遺:そのような話は親しくなってから始めること。

17:25:00 | datesui | No comments |