Complete text -- "#220.一目上がり"

19 March

#220.一目上がり

お友達に青山から赤坂に引っ越す方がいるが、なんとも羨ましいことだ。お住まいが青から赤へ変ることだが、そう言えば赤坂、青山、白金、目黒と、セレブの界隈は色のつく街が並ぶようだ。それらを繋ぐ麻布が黄色だったらうまい具合なので、気(黄)の置けない人のことを粋筋では「麻布さん」と呼ぶそうである。一度でいいから麻布さんなんて呼ばれてみたかったものである。そんな話をしていたら、別のお方から、目黒、目白にはお不動様があるけど、黄、青、赤もあるのでは、と訊ねられた。

その通りで、江戸五色不動と言って実在している。小さいころオヤジから教わったが、すぐに忘れてしまった。だが最近、ありがたいことにお友達から教わることができた。五色の色は青、赤、黄、白、黒なのだが、実はこの五色は五行陰陽道の基本の色なのだ。万物の元である、木、火、土、金、水を表すが、これに方位や季節や動物など、いろいろな事物を対応させて五行の考えができあがっている。その五色不動は、江戸は三代将軍家光のころ、江戸四方の厄除けとして定められたそうである。何でも黄目(きめ)不動が最初らしく、あと4つの不動様が続けて祀られ五色になったとのことである。場所は、黄目不動が台東区三ノ輪、赤目不動が文京区本駒込、目白不動が豊島区高田、目黒不動が目黒区下目黒、目青不動が世田谷区太子堂、となっている。いずれも江戸市中ではなく外廓を固めたものだが、青目不動の世田谷区太子堂は今でこそサンチャの賑わいがあるが、当時は中心部から相当離れ、江戸とは言い難いところのような気がする。

この五か所を巡るのもおもしろいと思われるが、当時の信仰を物語るものとして、六地蔵とか六阿弥陀と呼ばれるものがあった。共に人気があって、六地蔵は江戸の北の方を巡るコースと、江戸の周辺部の広がったコースの2バージョンがあったようだ。まっ、お手軽コースと健脚コースの2展開ということか。
六阿弥陀はさらに人気があったようで、3コースが確認できる。根岸や上野界隈など、江戸の北の方を巡るコースが最初コースのようで、六阿弥陀参りという名前になっている。四谷や青山のあたりを巡るコースは山の手六阿弥陀参り、芝、高輪、目黒などのコースは西方六阿弥陀参りという名前になっている。恥ずかしながら、五色不動、六地蔵、六阿弥陀、どれも歩いていないので、全部とはいかないまでも少しは歩いてみよう。

ただ、両国にある江戸東京博物館に行くと江戸の信仰についての常設展示があるので、とても効率良く知ることができる。当時の信仰は娯楽の対象でもあり、門前でのスイーツばかりではなく一杯、いやそれ以上のことを楽しんだようである。
特に、江戸三富と呼ばれる、天王寺、寛永寺、目黒不動の富くじは大盛況だったようだ。富くじばかりではなく、開帳つまりカジノを認められた寺が江戸市中には50を超えており、どの時代でも政府公認バクチは存在したし、その上がりも少なくはなかったろう。バクチが寺から始まったのは、寺社が治外法権的な場所であるから、隠れてバクチをするには最適だったことによるのだろう。幕府も諸事情から追認したと推測するのが妥当と思える。バクチの税金、テラ銭もここから来た名前だろう。
さて、五色不動、六地蔵、六阿弥陀、とくればお次は「七」だ。これを一目上がりというが、ネタも尽きたので次回にさせていただく。


06:00:00 | datesui | |
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