Complete text -- "#156.小倉山二尊院 −紅葉の嵯峨野?−"
06 November
#156.小倉山二尊院 −紅葉の嵯峨野?−
小倉山二尊院は嵯峨野の絶好のロケーションを占めている。総門を出たところの十字路は、北へ進めば化野念仏寺、西は祇王寺と滝口寺、東は清涼寺や大覚寺、直指庵へ通じ、そして南下をすれば落柿舎、常寂光寺、野宮神社、嵯峨野の竹林と、どこへ行くにも二尊院を通ることになる。という訳で、2回の修学旅行を含めて嵯峨野に来れば必ず二尊院には寄ることになっていた。ところが、紅葉の季節以外はどうもパッとするところがなく、ロケーションの都合で立ち寄るだけの名所だったのだ。二尊院の由来である、本尊が阿弥陀如来と釈迦如来の2つの如来を祀ってあることも、かえって中心がボケることになっているようだ。小倉山の麓であるので、小倉百人一首との縁も、折角藤原定家が時雨亭で編纂したそうで、その跡があるようなのだが、肝心のパンフレットにはその記載もない。紅葉がなければ、ただのトランジットなのだ。
稀代の豪商、角倉家が寄進をした総門。総門をくぐると、紅葉の馬場という参道になる。
ところが5年前、足利時代最大の文化人のひとり、三条西実隆のお墓があることを知った。大ファンでもある実隆は実に多芸で、和漢の古典の碩学であり、能筆家で、連歌では宗祇を支え、また香道ではお家流の始祖として活躍をした。しかし何といっても最大の功績は『実隆公記』を始めとする膨大な記録で、中世研究の一級品の資料になっていることである。元々筆記をすることが実隆の仕事であったが、83歳で他界する2年前まで筆を執っており、書くことが天職だったように思える。
きれいな紅葉が現われてきた。左が進むと本堂へだが、右へ進む。すると急な石段があり、これを登ると二尊院の墓地に出ることになる。
息を切らして石段を登ると、現われたのが三条西家のお墓。一番右が実隆公の墓。6〜70cmほどの質素なお墓だ。
偉大なる器用貧乏、三条西実隆、ここに眠る。
この先に角倉了以のお墓があるが、それは立派なこと、貧乏公家なんかの比ではない。
紅葉は陽が当ると一段と色が冴える。少し早めだが、十分堪能できた。
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