Complete text -- "#525.内の不満を外で発散"

18 February

#525.内の不満を外で発散

160年ほど前のフランスのお話だ。1851年にクーデタを起こして政権を奪取したルイ=ナポレオンは翌年国民投票によって皇帝に即位し、ナポレオン3世として第二帝政を始めた。ここまでは1848年の2月革命以来混乱していたフランスの救世主とも思える人気のありようだった。

ところが国内の情勢は不安定で、しかも有効な政策が打てなかったこともあり、ナポレオン3世は国内の不満を国外に向けさせることで凌ぐしかなかった。そこで、仕方なく外交を積極的に展開することになった。

まず、1853年のクリミア戦争だが、これはフランス軍の予想外の活躍があり、見事に勝利して皇帝の権威を高めた。これに気を良くしたか、続いて1856年からイギリスと共同でアロー号事件を起こし、サイゴン条約でインドシナを確保した。さらに1859年、イタリア統一戦争に介入したものの、途中でイタリアを見捨て、自国の利益優先の選択をしてオーストリアと単独で講和した。このへんからナポレオン3世の力の限界が見えてきたようだ。1861年から何を思ったかメキシコ遠征を行ったが、南北戦争の終ったアメリカの抗議などで撤退を余儀なくされ、皇帝の権威は失墜した。

折しも国内では自由主義運動が台頭し、ただでも労働者、資本家、農民の均衡をとる政策に四苦八苦していたため、議会に譲歩したり、新たな権利を認めたりもしていた。それでも体制批判は収まらず、選挙でも反対派が大幅に進出した。

そこへスペイン王位継承問題で戦争のプロであるプロイセンと対立したときには、国内事情から強硬姿勢を取らざるを得ず、無謀にもプロイセン=フランス戦争に突入してしまった。結果は見るも無残で、フランス皇帝ナポレオン3世はプロイセン軍の捕虜になってしまい、第二帝政は脆くも瓦解した。

内政で行き詰った為政者は無謀な外交に活路を求める。国益はおろか、国の運命までも危うくすることになりかねない行為である。日本の為政者もナポレオン3世の愚行を反面教師として肝に銘じていただきたいものである。


23:49:00 | datesui | |
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