Complete text -- "#228.××力"

02 April

#228.××力

小泉前総理が鈍感力も必要と言ったが、相変わらず言葉の使い回しは見事だ。鈍感力は小泉さんの作品ではないが、この言葉をまさにこの場面というところでの選択の妙はまだまだ冴えている。また、鈍感力自体も単に鈍感と言ったのでは、本当に鈍感としか聞こえなくなってしまうが、力をつけることによって鈍感だからこそ持てる力のような魅力さえます言葉に変身するようだ。という訳か、○○力、××力、という力がつく言葉がこのところ氾濫しているが、やはり○○や××には普通の言葉ではおもしろくないようだ。

学習塾の広告にある理解力や回答力では当たり前の気がするし、質問力、段取り力でも少しはおもしろくはなったが、まだ意表をつかれた感じはない。そこでか、力化力という言葉に力をつけることに長けた斉藤孝は、恋愛力なるものまで打ち出したが、おもしろさはあるもののマトモ感は拭えない。決め手は鈍感力のような力にならないようなイメージの言葉に「力」をつけることなのだろう。予備校の宣伝文句なら、そのまま力をつけても仕方ないと思われるものもあるが、そこは言葉の妙を大切していただいて、意外性のある組み合わせに限って欲しいものである。

そこで、この手の言葉を遡ってみると、1998年の赤瀬川源平の『老人力』が断然光っている。力の衰えた象徴のような老人に「力」をつけたことによるインパクトは半端ではなかった。それ以後、なんとか力というものが雨後の筍のように現われた気がする。マイナスのイメージの言葉に「力」をつける、さらに「何だ?」と思わせるものがなければいけない。そのような意味で、鈍感力は「何だ?」少し弱くランクが低かったのだが、小泉さんが絶妙の場で使用したため、一躍時代の寵児になってしまった訳だ。


06:00:00 | datesui | |
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