Archive for 04 April 2006

04 April

#35.ハイデルベルク?

ハイデルベルクで知っていることと言ったら、アルト・ハイデルベルクが登場するミュージカル『学生王子』と55万年前に生存したハイデルベルク原人ぐらいだが、びっくりしたことに『学生王子』の話を知っている人は全くいないとのことだった。考えてみれば、ブロードウェイ・ミュージカルなのでもっともかも知れない。
さて、ハイデルベルクの街の奥、ネッカー川の左岸の高台にハイデルベルク城がある。今日の現地人ガイドは、ドイツ人と結婚されてドイツに永いことお住まいの日本女性の方だ。お話がお上手で楽しかったが、中でもハイデルベルク城に纏わるお話は絶品だった。17世紀の終わりごろ、ハイデルベルグを都とするプファルツの王女リゼロッテは、フランス国王の弟と政略結婚させられる。その後、ハイデルベルク城主の兄が亡くなると、フランスは結婚時の約束を破り、プファルツの相続権を主張してくる。プファルツが拒絶をすると、フランスは攻撃を仕掛け、プファルツ継承戦争が始まることになる。強大なフランス軍の前にプファルツはなすすべなく、ハイデルベルクは徹底的に破壊されたそうだ。このときの相手のフランス国王が、あのルイ14世で、ブルボン朝の最盛期、運の悪いときに継承権が途絶えてしまったものだ。というお話はとても興味深く聴くことができ、今でも思い出せるほどだ。その話と世界史で教わったことと重ねると、お金が山ほどあって、ヒマをもてあましていたルイ14世にとっては戦争が最大の仕事らしく、スペイン領ネーデルランド侵略、オランダ侵略、プファルツ侵略、スペイン継承戦争と侵略戦争を次々に起こしたが、期待した成果は上がらなかった。そんな戦争のひとつにされて、国を破壊されたのでたまったものではなかったろう。

廃墟と化したハイデルベルク城は、まさに「国敗れて山河あり・」という趣。ロマン派の詩人や芸術家の恰好のモチーフとなった。

ここは弾薬庫だったところで、フランス軍の攻撃で大破した。


昔のファサードが維持されている建物もあった。

ビールの醸造所から外を眺めてみる。

城からネッカー川と城下の街並みを見下ろすと、なかなかの景観。


三木清が溢れるほど書籍を購入した本屋。ガイドさんの説明によると、当時のドイツは超インフレだったので、留学生への日本からの仕送りは信じられない額に膨れ上がった。

ハイデルベルク大学の旧大学校舎の大講堂。デジカメだからと安心していたら、電池が切れてしまい、フラッシュが焚かれなかった。

入口に大学関係者の名標があった。カール・ヤスパースの名が目についた。このガイドさんのインテリジェンスは猛烈で、戦後のドイツ人の意識について話してくれた。日本人が近隣諸国に対して持つべき意識として非常に参考になった。勿論、基礎となるのはヤスパースの考え方で、期待以上の素晴らしい話を聴いて少し興奮した。

そのあと、有名なZumRitter、騎士の家で昼食となったが、残念なことにデジカメは電池切れで写真は撮れなかった。だが、運良く午後はバスでローテンブルグへの移動だったので、デジカメの出番の必要はなくなった。


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