Archive for July 2006

31 July

#120.余計な特性

数を思い浮かべると、額の先に数直線のようなものが現われる。1から順に右へ向かって数が進んでいくのだが、真っ直ぐなものでも等間隔なものでない。10になると左へ折れ曲がり、前へ向かって進むようになる。更に、20ぐらいでまた左へ折れ曲がって今度は左の方向に進み、少しずつ右へ曲がりながら、40に手前ではほぼ前に進むことになる。50くらいから右へ進み、上下しながら100になる。これは心理学でいうところの数系というもので、全員にあるものではないが、かなりの人に存在するらしい。この数系が相当小さいころからあった記憶があり、1から10までが数えられるようなったあと、10から20までが数えられるようになったころ身についたような気がする。数系全体は明るいところと暗いところがあって、10までは明るく、22ぐらいまでが暗く、40ぐらいまでは明るいがだんだん暗くなり、50ぐらいから90くらいまでは暗い。90から100を越えると明るくなる。この先は間隔が対数的に縮んできて、直ぐ先が1000になってしまうが、1万も10万も、一応示されてくる。やはり、暗くなったり明るくなったりしてのことだ。

この数系は単純な数字を憶えるときに便利だった。比例定数など、憶えるしか能がないものには結構役に立ったような思い出がある。例えば、あの定数は明るいところにあったとか、前に進んで少し上り坂だったので、400ちょっとぐらいか、というように思い出すのには便利なときもあった。
逆に、こんな数系などが身についていたために困ったことにもなった。小学校3年生の終わりの3月にそろばん塾へ入った。東京の下町の商売家に生まれたので、子供は当然のようにそろばんを習う。50年前のあのころは、みんな3年生から4年生のころそろばん塾に入った。ところが、塾に入って3週間ほどから上達が止まってしまった。そればかりか頭が痛くて、どうしようもなくなった。4年生の新学期も3週間も休む羽目になってしまった。医者に相談をしたら偏頭痛ということだが、そろばんが原因だから塾をやめなさいという指示が出た。下町の小僧にとって、そろばんができないということは市民権を剥奪されたに等しいが仕方なかった。

確かに原因はそろばんだったのだが、真犯人は数系だったと思う。読み上げ算で、先生が読み上げた数が、必ず一度数系の上に表示されてからそろばんに珠を運んでいたような気がするのだ。全部の数ではないのだが、ところどころで起きていたと思われる。今でもどの数と決まった訳ではないが、突然数系が現われてしまう。たまに便利なときもあるが、ほとんどは無意味である。遺伝はするのだろうか、娘たちに聞いてみたいが、そんなことが切っ掛けで数系をみについてしまったら可哀想なので黙っていることにする。


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28 July

#119.なぜか、2000m

今週の重賞競走は、今年から企画された『サマー2000シリーズ』の第3戦、小倉記念だ。今のところ、七夕賞、函館記念が終って、メイショウカイドウとエリモハリアーが10ポイントでトップに並んでいる。ちょうど中間にきて小倉記念のあと、残りは札幌記念と新潟記念だ。JRAの地方競馬場のメインレースは「ナントカ記念」というレースになるが、そろって2000mという設定である。だから2000シリーズという企画が成立したわけだが、このへんの経緯を考えてみよう。

今でこそグレード制に基づく競走体系なるものが明示されているが、その昔はそんなものはなかった。とにかく1600m〜1800mが中心のレース番組が組まれ、バライティーは全くなかった。それもそのはず馬券の売上を目論むお上は、下々が馬券を買いやすいように変化は極力つけなかったようだ。だから、函館競馬場のように、芝で5通り、ダートで2通りのレースしかできないコースもあるのは理が通っている。
そこへ、日本人の真打ち意識として真打ちは最後なので少し長めにしようという意識がある。小学校のクラス対抗リレーでも、先生が「第1走者から第3走者までは1周、アンカーは1周半」と言うと、何の意味もなくワーッと盛り上がる。という訳で、各競馬場の真打ちレースの「○○記念」はちょいと長めの2000mになった。また、不思議な偶然だが、JRAの10の競馬場全てで実施できるのは、芝2000mだけという事情もある。

さて小倉記念は、シリーズ首位タイのメイショウカイドウが出てきた。早速、データ・ベースのお出ましだ。

 ◎ コンゴウリキシオー 68.5→最近の実績、タイム、勝負っぷり、先行力
 ○ スウィフトカレント 59.7→最近の実績、勝負っぷり
 ▲ サンレイジャスパー 58.4→最近の実績、勝負っぷり、末脚
 △ サザンツイスター  57.5→最近の実績、タイム
 △ メイショウカイドウ 56.6→末脚
 △ サイレントディール 56.1→タイム

今年になってから一皮むけ、勝ちパターンのできたコンゴウリキシオー、大崩れしないスウィフトカレント、サンレイジャスパー、重賞で安定した成績を続けているサザンツイスターを上位に挙げているが、メイショウカイドウの評価はどうしたことだろう。
データ・ベースは記憶力が良いのは当たり前だが、忘れても良いことまでしっかり憶えているようだ。去年の秋の天皇賞はビリの18着、その前の毎日王冠では17頭立ての14着をしっかり覚えているらしい。その反面、2月に佐賀で走っているが入力していないので記憶の対象外だ。逆に、サンレイジャスパーのように1000万クラスからの安定した成績の評価は、入力がされているのでお手の物になっている。
コンゴウリキシオーは確かな差のある上位だが、あとはダンゴで、13頭しか登録がない状況では4、5頭の推薦が好ましいのだが、6頭も挙げるみっともないことになった。

潔い推挙なら、コンゴウリキシオーとスウィフトカレントで、あとはナシだ。今度の日曜もこの2頭だけの馬券を買うことにする。

展開は、コンゴウリキシオーがハナを切る。そのあとを、スパルタクス、タガノマイバッハ、ニホンピロキースが一団で続く。それから、ダイタクアルビン、キーボランチがポツポツといて、中段の集団を、サイレントディール、メイショウカイドウ、ツルマルヨカニセ、サンレイジャスパー、サザンツイスターが構成する。後方は、スウィフトカレント、そして曲者ヴィータローザとなる。
小倉なので3コーナーから早めに動き、4コーナーでは一団だろう。そこから、何が出てくるか。


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27 July

#118.月課の補遺

ブログのサーバーの調子か、画像処理が上手くいかず、写真の紹介ができませんでしたので遅れ馳せながらの掲載です。



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#117.月課の達成

24日、仕事や雑事で遅くなったので久しぶりにレイトショーを観た。銀座のテアトル・シネマで、オノレ監督の『ジョルジュ・バタイユ ママン』というフランス映画だ。3月にリリアーナ・カヴァーニの『ルー・サロメ 善悪の彼岸』を観たので、その比較対照としての鑑賞をしてみた。似たような映画と思ったのだが、テーマがあまりにも違うので比較にはならなかった。百戦錬磨のルー・サロメの手練手管に対して、青臭い少年のヰタ・セクスアリスではとれもお話にならなかった。加えて、映画が始まったら後ろの席で遅れ気味に入ってきたヤツが、ゴソゴソ何かを食べ出した。しかもアメリカ系のファーストフードの下品なニオイをプンプンさせてだ。こっちはフランス映画と気合を入れていたのに全くもってガッカリだ。そのへんもオノレ監督には不運だったが、この手の映画の巧みさについては、リリアーナ・カヴァーニに敵う人材は今のところ見当らない。

次の25日、俳句名人の先輩と『凧の博物館』へ出掛けた。その先輩が「糸の切れた凧」を自認していることによるものだ。場所は東京のド真ん中、日本橋は老舗のレストラン「たいめいけん」の5階だ。
まずは、たいめいけんで名品のオムライスをいただいて、5階へ上がった。日本の古今東西のものをはじめ、伝統柄の凧や変り凧に混じって、世界各地の凧も展示してあった。嬉しいことに空いているので、ゆっくり見るだけではなくて、四方山話もたくさんできた。しばらくして、やっと次の入館者が現われた。なんと外人さんだった。



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26 July

#116.嬉しい顔

北京オリンピックを目標にしたU−21日本代表が反町康治監督から発表された。中国代表との親善試合が8月7日に中国で行なわれるためだが、カレン・ロバートや増島竜也など注目選手はほぼ選ばれと思われる。反町監督はオリンピック本選に出場した選手の半数以上がワールドカップの代表に選出されていることを数字で上げ、オリンピックがワールドカップに直結していることの印象付けに腐心していたようだった。そして、代表監督のオシムからは助言をいただいたことを誇らしげに話し、さらに「オシムさん同じベクトルを目指す」などとA代表との一体感を強調していた。そして、なんと言っても終始嬉しそうなのである。

反町康治がアルビレックス新潟の監督時代、「走る」ことを何よりも大切なことにあげていた。試合後のインタビューでも自軍の走りについては必ず出てくる最重要事項だった。去年の磐田に負けた試合では「今日のウチの選手は相手の1.5倍走りました。褒めてやってください」という調子だった。このように走り一本槍で田舎チームを育ててきたものの、やはりその先のもの足りなさは反町監督自身が感じていたに違いない。新潟の監督時代からオシムのジェフ千葉には相当な関心があって、「ジェフの練習は金を払ってでも見てみたい」などとオシム礼賛の言葉まで吐いていた。

その反町が念願叶って、オシムの一番弟子になれたのだ。しかも金を払ってではなく報酬までついてくる。オシムの就任には紆余曲折があり、就任会見などではオシムは周囲に気を遣ってか、それとも生来のことか終始控えめあったが、川渕協会会長の隣りで嬉しさを堪えきれない様子の反町監督が妙に可愛かった。あの嬉しさに匹敵する顔は、最近の日本では見たことがない。強いてあげれば、ホームセンターにあるペット用カートに乗せてもらったワン公の嬉しそうな顔ぐらいかもしれない。


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