Archive for December 2007

31 December

#330.感謝とお礼

騒がしい一年でしたが、どうやら無事終えることができました。何に感謝していいのかわかりませんが、ありがたいことです。
また、今年はブログを中断することにもなりましたが幸いにも復帰でき、これもお礼を言わなくてはならないでしょう。

そんな感謝やお礼ができるとは、何という幸せな一年だったことでしょう。


22:20:49 | datesui | No comments |

30 December

#329.唯一の輝き

年末になると今年のニュースと称して2007年を振り返る企画がテレビで放映されているが、政治や経済、外交や生活に明るいニュースがほとんど出てこない。偽りと謝罪に明け暮れた一年で全く滅入ってしまう。その中で唯一明るそうな話題として取り上げられているのが東国風宮崎県知事の奮闘だろう。

ところが大事なことを忘れてはいないだろうか。しかも明るい話題だ。京都大学の山中教授が万能細胞を作り出すことに成功したのだ。しかも皮膚の細胞からだ。正しくは人工多能性幹細胞とかiPS細胞と言うらしく、細胞移植療法の資源として期待されているとのことだ。今までの研究は人の胚を利用するため倫理的にも問題が多く、また胚の提供そのものも研究のネックだった。

万能細胞をつくり出すこと自体がスゴイことなのに、山中教授はヒトの皮膚の細胞からつくったことがさらにスゴイのだ。これなら自分の皮膚をもとに自分の臓器をつくれることになり、倫理的な問題も抗体による拒絶反応もない臓器移植ができることになる。お隣の韓国での万能細胞の研究は、スワッ、ノーベル賞かと騒がれたが、研究のねつ造が発覚し、あえなく水泡に帰してしまった。だが、研究には国家的な後押しのもと多くの女性が胚を提供し、その倫理性も改めて問題になった。

こんな素晴らしいニュースがあったのにテレビ屋さんは忘れているらしい。それとも偽りや謝罪を並べて安直に済ませたかったのだろうか。当の山中教授は文部科学大臣を訪ねて、研究のバックアップを要請していた。世界に対抗するため、日本をあげてのチーム作りへの要請だった。それなら星野ジャパンや岡田ジャパンよろしく、構成したチームメンバーを紹介して盛り上げるのも、文科省として必要な処置ではなかろうか。その口火を切るのがマスコミのはずだが、忘れているとは嘆かわしいことにもほどがある。


23:56:12 | datesui | No comments |

29 December

#328.今年の書棚

5月の出来事は映画とミュージアムの月課が止まり、発信活動としての『伊達酔』も止まった。たかがパソコンが壊れたぐらいだが、少しは積極的に思えることが全て止まってしまったようだ。ところが意外にも普段なら読まないような本を読んでいたのだ。政治学と社会学の本だった。

理系だったこともあり文系への憧れは40年以上だが、文系の文系たる人文科学へは早くから親しむことができた。だが、文系のもう一方の存在である社会科学にはなかなか触手が伸びなかった。経済学や法学は仕事でも必要な場面があり、そのついでに少しずつだが勉強する機会もあった。だが、その先の政治学や社会学になると遠い存在のままの状態が続いていた。なにせ経済学や法学は経済や法律のことのお勉強とわかるが、政治学や社会学はアウトラインや内容の構成などイメージが全く湧かなかったからだ。

それが、本も読む気が失せていたころ本屋の書棚で『現代政治学』を見つけたのがことの始まりだ。とは言っても有斐閣アルマで、B6版250ページという手頃な入門書だ。目次を見て政治学の構成がわかったようで、急に読む気になった。わかりやすい書き方をされた良書だったこともあり、思いのほか高い関心を維持しながら読み終えることができた。特に政治体制と政治文化には大いに興味が湧き、また今の世界の秩序がウエストファリア・システムのなごりで、1648年以来の体制であることは知っていてもよかったことだった。

すると社会学の本にも目が移り、岩波新書の見田宗介著『社会学入門』を読むことになった。読んでみて感じたことだが、社会学は物事を横断的に眺める学問のように見えた。哲学で、経済学で、文学で、扱われた共通の事柄について人間のつながりをもとに見渡してみるように思えた。だから、社会を捉える手法は、短歌の読み解きが出てきたり、ロジスティック・カーブと呼ばれるS字型の成長曲線が出てきたりで、私にとっては退屈することなく楽しく読み進めた。逆に、このへんが社会学のアウトラインがはっきりしないようにも見えたのかも知れない。
なかでも興味が湧いたのが、時代を代表する小説として、村上隆『限りなく透明に近いブルー』、田中康夫『なんとなくクリスタル』、村上春樹『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』、吉本ばなな『キッチン』を挙げていて、時代とともに色がだんだん薄くなり、最後は白くなるということだ。実は、この考察は自分でも考えていたので、そのまま共感や共鳴ができたが、先を越された感もあり若干悔しい気持もした。ただ私の考えは、このあと江國香織の『デューク』が加わるもので、感覚がより透明なものに流れてその極大に達するのが『デューク』と思っていたのである。

ちょうど良い機会だったので、これらを読み返してみた。さすがに時代を代表する作品だ。読み返してみると新たな感動さえ湧いてくる。特に、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』はその間にボルヘスを読んでいたこともあり、ボルヘスの幻想的な感じを不思議な共鳴体として楽しむことができた。
さらに、村上隆の勢いで石原慎太郎『太陽の季節』や大江健三郎『性的人間』までも再読することができ、血の巡りが良くなったような気さえした。


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28 December

#327.やはり道楽

2007年の競馬も終ってしまった。今年は事件が2つあった。ひとつはこのパソコンが壊れて、ブログが中断してしまったことだ。それでも競馬だけはいち早く復旧させてブログを継続したが、データを処理するマクロも消えてしまったので再構築には大変な思いをもした。もう一つはインフルエンザで、1日だが開催中止までの騒ぎになった。中止は夏の1日だったが、そのあとの秋の競馬にもかなりの影響があったと思う。例年のデータベースの振る舞いとは大きく異なることが起きていたからだ。

そんな今年の戦績だが、ブログで推奨した馬をワイドで全て買ってみた。45戦13勝、回収率77%だった。去年と比較をすると大幅な落ち込みだ。インフルエンザのせいにはしたくないが、得意のハズの秋の苦戦が響いたようだ。これを3連複にしてみると、45戦6勝、回収率は76%となって、あまり変化はない。1年間毎週のように馬券を買っても6回しか当たらないのでは、果たして我慢が続くだろうか。4回に1回ぐらいは当たるワイドの方が気持ちは楽かもしれない。
いずれにしても競馬はビジネスにはならない。道楽に徹した方が良いようだ。


23:22:00 | datesui | No comments |

26 December

#326.新発見、2件

月課の締めくくりとして国立西洋美術館へ出掛けてきた。ムンク展が開催されていて予定は立てていたが、今日の今日まで観に行っていなっかったからだ。年明けの来月6日は開催終了になってしまうことや、今年は鑑賞の不作の年でこれといった美術展に出会っていない気がしていたこともある。その期待や願望を込めての出で立ちだった。

さてさて、そのムンク展だが、以前観て強烈な印象を受けた『カール・ヨハン通りの夕べ』に登場する人たちとの再会になった。あの独特の窪んだような眼と不安げな表情を持つ顔に、こちらが見つめられるようになる不思議な雰囲気の人々との顔合わせである。いや、みなさん健在だった。実に達者にムンクの画面のあちこちを埋めていた。衰えなど全く感じさせない現役そのものだった。
意外な新発見があった。ムンクが労働者をテーマにした一連の作品を制作していたことだ。雪かきなどの汗をかくような肉体労働を力強く描いたものだが、ムンクのマチエールからは想像しがたかったので、意外に思えた訳だ。何か別の展覧会も見せてもらったような気がした。

もう一つは大発見だ。しかも常設展示でのことだ。3月初旬までの新館改修工事が始まるためか、本館での変則展示で、いつもとは異なる配置だった。いつもはティエポロなどのロココの作品がある壁だが、そこに見かけない作品があった。離れたところからでもきれいな青がめだつ作品で、思わず歩き寄ってみると、髪を覆うベールは実に奥の深い青で、見事に眼を奪われてしまった。西洋美術館には何度も出掛けているが、どうも初めて見る作品だ。イタリアはフィレンツェの画家、カルロ・ドルチ作『悲しみの聖母』、17世紀中葉の作だそうだ。感情を抑えた物静かな表情も見事だが、そのお顔は絶世の美女であることも間違いない。今まで見落としてきたのならば、何と言う恥かきをしてきたのだろう。


15:48:03 | datesui | No comments |