Complete text -- "#294.フィクション"
02 November
#294.フィクション
昔の偉人の話を人生の糧にするのは大いに結構なことだ。ただ人生の糧にするのは良い話だけとは限らない。反面教師も必要だし、またそれ以上の例が必要になることもあるはずだ。急に真面目腐って校長先生のような話を始めてしまったが、『嫌われ松子の一生』という映画を観たからだ。近所のユナイテッドシネマ豊洲で特別放映800円という企画があって、見逃したものだが都合よく観ることができた。少しは期待して入ってみたが、映画が始まっての10分間ほどはイライラのしどうしだった。だが、暫くすると、この映画の良さというかストーリの緻密さと小さなプロットを積み上げての構成力に引き込まれていき、嫌われ松子に同情したり、応援したりしたくなったのだ。主人公のことを劇中でも「くだらん人生だ」などと決めつけていたが、このような人生を示すことも反面教師になるだろう。いやいや、それどころか一考に値する人生なのかもしれない。
松子の人生は失敗の連続とそれに重なる不運があり、さらに首を傾げたくなるような判断や行動を松子自身がしてしまうのだ。松子の話は伝記に近いものだが、家族に縁を切られ、風俗業に身をさらし、何人のも男に裏切られ、挙げ句の果てにヒモを殺して服役までするという普通には巡り合いにくい人生だ。だから、考えてみる価値があるのだろう。
フィクションは倫理学の机上実験と思えるところがある。当たり前の人生では体験できない境遇に身を置くことも可能なわけで、ここが伝記を超えた素晴らしさがある。裏切りや詐欺行為、不倫関係、暴行さらには殺人、という非日常のことへの加害者、被害者の両方の立場に立つことができるのがフィクションの世界なのである。また、当然なことながら、そうそう簡単に体験できそうもない大きな感動もフィクションの世界なら可能になる。
想像力が欠如した現在、フィクションのもつ役割はとても重要になってきている。フィクションだからこそ得られる衝撃や感動から思い馳せることをもっと持ってもいいだろう。
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