Complete text -- "#438.8月11日"
13 August
#438.8月11日
1821年、江戸時代のことなので文政4年になる。この年の8月11日、江戸の清水家の家臣村尾嘉陵が『六地蔵もふでの記』という行動録を著している。当時の江戸はお参りが盛んで、あちこちの神社仏閣をお参りするのが最高のレクリエーションだったようだ。六地蔵を始め、六阿弥陀、七福神などいろいろなコースがあり、門前には飲食店などが並び、参詣とともに物見遊山も楽しんだと思われる。村尾嘉陵が詣でた六地蔵は地蔵坊正元が定めたもので、江戸の周辺部に当たる深川、浅草、駒込、新宿、品川に六つのお地蔵さまを配してもので、その構成は以下の6つである。
?品川 品川寺(ほんせんじ)【最寄り駅:京浜急行・青物横丁】
?新宿 太宗寺(たいそうじ)【最寄り駅:丸ノ内線・新宿御苑前】
?巣鴨 真性寺(しんしょうじ)【最寄り駅:山手線・巣鴨】
?浅草 東禅寺(とうぜんじ)【最寄り駅:銀座線・浅草→都バス・東浅草】
?深川 霊巌寺(れいがんじ)【最寄り駅:大江戸線・清澄白河】
?深川 永代寺(えいたいじ)【最寄り駅:東西線・門前仲町】
この6つの地蔵を巡ると、品川から新宿、巣鴨を通って、浅草に出て深川で終わるコースになるが、凄い距離になる。これを村尾嘉陵が歩いたことを『六地蔵もふでの記』に記しているのだが、当時、村尾は62歳で、そのころの江戸の8月11日は温暖化の影響もなかったろうが暑かったに違いない。同じような歳恰好なので、同じ日に挑戦してみた訳だ。
村尾は?の永代寺から巡っているが、六地蔵だけではなく、千住に脚を延ばしたり、日暮里ではお屋敷に挨拶に回ったり、目赤不動や目白不動、渋谷の八幡宮なども参拝している。このため現在の品川駅のあたりで夕刻になってしまい、やもえず帰路についているが、健脚ぶりには頭が下がる。こちらは歩いて回る考えなどは毛頭ないが、便利な交通手段を路線情報サイトで選んでの挑戦になった。
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