Complete text -- "#523.イメージつくり込むこと"

15 February

#523.イメージつくり込むこと

今年に入ってから、『アラトリステ』、『我が至上の愛〜アストレとセラドン〜』というヨーロッパの映画を観た。キャスト、ストーリー、監督、音楽など映画に期待する要素はいくつかあるだろうが、西洋の時代劇には時代考証を期待することがある。3年ほど前になるが『オリバー・ツイスト』を観たときも19世紀のヴィクトリア期のロンドンの姿が観たくての鑑賞だった。今回も『アラトリステ』が17世紀前半のフランドルやスペインが舞台であり、『我が至上の愛〜アストレとセラドン〜』は5世紀のフランスということだが、特に後者はまだフランスという概念が確立しておらず、西ローマの一部であるガリアという時代だったはずだ。

日本でも大昔のことをビジュアルに想像するのは容易いことではないが、まして外国の昔の姿を思い浮かべるのは不可能に近い。歴史の本を読んでも、人物の顔や建物の外観は示されてはいるが、それだけで当時の生活の様子や人々が行き交う街の姿などが想像できるものではない。

中学の頃、かれこれ40年も前になるが、テレビで『冬のライオン』という映画を観た。白黒の画面にピーター・オトゥールやキャサリン・ヘップバーンの名演が展開されていたが、この画面に出てきた風景が中世のヨーロッパのイメージになった。高校での世界史でも、その後読んだ歴史の本でも、イメージはこの『冬のライオン』からのものだったが、イメージがあるとないとでは大違いで、どれだけ親近感をもって歴史に接することができたかわからない。ただ、最近『冬のライオン』のDVDを買ってみたらカラーだった。チョイト驚いたが、考えてみたら我が家のテレビが白黒だったというオソマツだ。

今回の『アラトリステ』と『我が至上の愛〜アストレとセラドン〜』では、衣食住という具体的なものよりも言葉の端々に出てくる神への信仰の様子がおもしろかった。17世紀のスペインではカトリックの番人よろしくプロテスタントを異教徒と呼んでいたし、5世紀のガリアではまだケルトの神々やギリシアやローマの神々の名も飛び交っていた。こうして甚だ歪だが、ヨーロッパのイメージを勝手に作っていくのも楽しいことだ。


00:14:57 | datesui | |
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