Complete text -- "#549.隅田川七福神巡り? −大国神と恵比寿神・三囲神社−"

14 April

#549.隅田川七福神巡り? −大国神と恵比寿神・三囲神社−

隅田川七福神も6つ目の三囲神社(みめぐりじんじゃ)に来た。これで最後だ。というのは、この三囲神社には大国さまと恵比寿さまが祀られているので1つで済む。どうも、この七福神は出来が良くないように思えて仕方がない。白髭神社のこじつけがあり、この三囲神社が2つ一遍と横着で、江戸の昔に向島を愛する文人墨客によって定められたそうだが、この先生方は相当いい加減な人たちだったようだ。

三囲神社は中世の頃の創建といわれる。そのころ三井寺の僧源慶(げんけい)がこの牛島のあたりに差し掛かり、荒れ果てた祠が眼に入り近くの農夫に由来を尋ねた。すると、弘法大師のご創建された祠と言うではないか。源慶はその荒れように心を痛め、自ら再建をしようと地面を掘ったところ、白いキツネに跨った神様の像が納められた壺が出てきた。そしてその時、どこからとなく白いキツネが現れ神様の像の周りを三度巡って消え去ってしまった。この出来事から、みめぐり神社となったそうだ。

時は下って元禄のころ、干ばつで困っている村人が雨乞いの祈願をしているところへ参詣に来た宝井其角(たからいきかく)が、「夕立や田をみめぐりの神ならば」と発句をしたところ、翌日に雨が降ったという。また、江戸時代の初期に江戸へ進出をした越後屋の三井家は、三囲にあやかって篤く信仰をしたそうだ。ここに祀られている大国神と恵比寿神は、越後屋に祀られていた本像を奉納したものだ。ご承知のことだろうが越後屋は現在の三越で、境内には丸に越の紋を刻した石材があちこちに見られる。

境内には宝井其角の句碑や朱楽管江(あけらかんこう)の辞世碑など、意外と多くの文化財があるので、下調べと時間を十分にとっての参詣もお勧めだ。


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三囲神社の正面。特徴も奇抜もない小さな神社にしか見えない。突き当りの本殿の左奥に大黒神と恵比寿神の祠がある。
右は大黒神と恵比寿神を祀った祠。2神の同居だが、七福神の祠にしては立派だ。


23:37:00 | datesui | |
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