Complete text -- "#165.法然院と銀閣 −東山の紅葉徘徊?−"

27 November

#165.法然院と銀閣 −東山の紅葉徘徊?−

真如堂から歩いて法然院に向かう、白川道をよぎって哲学の道へ出る道は、我慢できないほど殺風景だ。見慣れた哲学の道へ出るとホッとする思いだ。

さて、法然院だが紅葉はまだ早かったようだ。白い盛砂は紅葉の絵柄を描いて準備万端だが、肝心の紅葉は顔をみせていない。この法然院は紅葉と並んで著名人のお墓があるので知られているが、中でも文豪谷崎潤一郎が有名だ。早速、捜してみたのだがなかなか見つからない。先ほどまで墓地のお掃除をしていた人に聞こうと思ったが、どこかに消えてしまった。それなら早くギブアップをして聞いておけばよかったが、後の祭りだ。自力で捜そうなんて思ったのがいけなかったようだ。

紅葉はまだ早かったようだ。この雰囲気なら美しさは相当期待できそうだ。紅葉の絵柄を描いた盛砂。


それでも、九鬼周造のお墓が見つかったりして、それなりの収穫はあったのだが、本命の谷崎が見つからないのは何とも恰好がつかない。もう一度、九鬼周造あたりから見直してみると、今度は河上肇のお墓が現れた。河上肇では耽美的な谷崎には遠いかなと思っていたが、歩き回っていると、「寂」という字が見えた。谷崎の墓だ。見れば、この墓地で一番いい場所ではないか、一体どこを探し回っていたのだろう。



哲学の道を北へ歩いて銀閣へ向かう。銀閣は特に紅葉で有名という訳ではないが、春・秋の季節でないと公開していないものがある。そのお目当てを東京から携えて来たのだ。

銀閣に着いた。総門から中門までの間の道は、両側を生垣で囲まれた空間である。銀閣寺垣と言うそうだが、外界とのけじめのような気がして気持ちが高まってくる。お目当ては国宝の東求堂で、本堂の隣りに建てられた阿弥陀堂であったが、堂内の四畳半の書院、同仁斎が茶室の源流として有名なのだ。東求堂への案内は、田舎のバスではないが30分に一度なので少し待つことになる。

銀閣の庭は夢想国師によるもので、錦鏡池を中心とした広い庭を一望できる展望台が裏山にある。時間待ちを兼ねて狭い道を登って展望台を目指すと、思いがけないところに紅葉が現われる。少し離れて銀閣を見ると、いや〜、とても渋い。金閣と比べても仕方ないが、北山文化と東山文化の違いは、はっきり言って義満と義政の財力の差であったとしか思えない。だが、後世への影響は東山の方が大きいようだから、財力だけでは中味は決らないようだ。というと金閣の否定に聞こえるが、この前日にブッシュ米国大統領が訪れたのは金閣だ。

渋めの銀閣。ブッシュさん向きではないようだ。庭内は針葉樹が多いせいか緑深いイメージだが、少しばかりの紅葉もあった。


いよいよ東求堂へ案内の時刻になった。めずらしく胸の高鳴りのような興奮を覚えた。まずは、本堂というか方丈の襖絵からだ。前座で時間を潰すのかと思ったら、与謝蕪村や池大雅の作品だった。特に、大雅の絵は肩の力の抜けた気持ちの良い作品で、思わぬ儲けものであった。

細い渡り廊下を過ぎて東求堂に入る。国宝に触ることは一般人には許されないことだろうが、ここでは足を踏み入れることができるのだ。その東求堂には四つの部屋があり、北東の一室が四畳半の書院になっていて、ここが同仁斎である。座って説明を聞くが、上の空で障子から洩れてくる光を東山時代と同じものだと思って眺めていた。南面する部屋は阿弥陀仏を祀った持仏堂であるが、この北側の書院はごく日常的な空間だったのだろう。お茶室の原点がハレの空間ではなく、ケの空間にあったのは興味深いことである。

方丈の前廊下からの銀沙灘鑑賞は特等席だ。この奥が夢に見た東求堂。



06:00:00 | datesui | |
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