Archive for April 2006
28 April
#53.淀と府中で長距離2題
先日、仙台に在住の友達から福島の桜の名所花見山のパンプが送られてきました。パンフには福島市内の駐車場の案内図があって、その地図の中に楕円形のモノを発見しました。JRの福島駅からの方向で、スワ競馬場!と思い、注意深く周囲を調べるとまさしく福島競馬場です。その周辺から地図を見ていくと、よく知られた名所やら地名が出てきます。飯坂温泉、医王寺、吾妻小富士と、これらはみんな福島競馬場の特別レースの名前になっています。当然なことながら花見山ゆかりの「花見山特別」もありまして、今年は4月8日の最終12レースでした。このレースは、8番人気のマリンオンワードが1分47秒6で勝ち、福島には珍しく後方から追い込んでの勝利でした。単勝2790円、3連単33万5660円と荒れる福島の面目躍如たる結果になりました。花見山のパンフを送っていただいたお友達には申し訳ないのですが、どうも楕円形の構築物を見ると、妙な方向へヒラメキが巡ってしまいます。7、8年前にベトナムに行ったときも、サイゴン(ホーチミンではどうも色気がない)の地図を見ていて楕円形のモノを発見し、現地のガイドも知らなかった競馬場を探し当てました。因みにその競馬場、行ってみたら昭和30年代の川崎競馬(本当は知らないのですが)という雰囲気で、鉄火場の空気が紛々、とても素晴らしかったですね。ところが、ガイドさんに新聞を頼んだら普通の日刊紙を買ってくるし、そのうちにガイドさんは良くない場所だから帰ろうなどと抜かしてきて困りました。よくよく聞けばこのガイドさん、2年前までは高校の物理の先生だったそうです。一念発起で日本語を勉強してガイドになったそうですが、ガイドは言葉だけで務まらないと言ったら、こんな客は初めてとのことでした。日本のイメージを下げてしまったようです。日本中の皆さんにお詫びします。
さて、4月30日は春の天皇賞です。淀の3200m、古馬の最強ステイヤー決定戦です。早速、データ・ベースの結論から。
◎ ディープインパクト 66.4→実績、勝ちっぷり、末脚
○ リンカーン 66.0→実績、タイム
▲ ストラタジェム 54.8→取り柄なし
△ マッキーマックス 53.1→距離適性
△ シルクフェイマス 52.6→実績、先行力
△ アドマイヤモナーク 52.3→末脚
ディープインパクトとリンカーンの一騎打ち。あとは少し差がある。それでも一騎打ちに敗れた一方が崩れたときに食い込む候補として、ストラタジェム、マッキーマックス、シルクフェイマス、アドマイヤモナークを上げる。
さて、展開の検討だ。ステイヤーのレースは、「長距離の逃げ馬」といって逃げ馬有利なのだ。去年のビッグゴールドのように思わぬ善戦がある。今年も強力な逃げ馬がいないが、ビッグゴールドが去年の夢よもう一度で、またハナを切るだろう。これに続くのが、シルクフェイマス、ブルートルネードで、あとは一団のゴチャゴチャだろう。その中でも前の方が、トウカイトリック、デルタブルースで、中段が、ローゼンクロイツ、リンカーン、アドマイヤモナーク、ディープインパクト、マッキーマックス、トウカイカムカム、後方に、ストラタジェム、ハイフレンドトライ、ナリタセンチュリー、チャクラとなって、最後方に、ファストタテヤマとアイポッパーが位置取ることになるだろう。
レースはディープインパクトの動き次第でだが、一緒に動いても勝ち目はないだろうから、先行馬の中から早めに抜け出して粘りこめれば、連の相手として残れる可能性がある。後方からは、ディープインパクトの動きが早めのとき、自分の仕掛けどころを守った馬が食い込む可能性がある。
もうひとつ、青葉賞の検討です。ダービーと同じ2400m、こちらは29日、土曜日です。
◎ アドマイヤメイン 56.9→勝ちっぷり、先行力
○ マイネルアラバンサ 54.3→実績
▲ エイシンテンリュー 47.5→粘り
△ マルブツリード 46.5→取り柄なし
△ マグマノーベル 45.8→弱いが末脚
△ マチカネゲンジ 45.2→末脚
このレースもスコアの比較からは一騎打ちだが、スコアの値が低く信頼度はずっと低く、崩れる可能性は高い。エイシンテンリューとマルブツリードの粘りこみになるか、それともマグマノーベルやマチカネゲンジの末脚が決まるかということになるだろう。
展開は、このレースも明快な逃げ馬が不在だが、前に固まる展開だろう。ハナを切るのはビーオブザバン、ホーマンアラシで、次いでニシノアンサー、トーセンシャナオー、タマモサポート、バルナロ、アドマイヤメインが積極的に前に行くだろう。中段にはマイネルアラバンサ、エフセイコー、マツリダゴッホ、マイネルシュピール、後方にエイシンテンリュー、マチカネゲンジ、ゼットコマンダー、モエレフェンリル、マルブツリード、殿にマグマノーベルとタニノベリーニだ。
ここでも実績上位のアドマイヤメインから動くものと思われるが、マルブツリードとエイシンテンリューは早めに動いてポジション取りに先手を打ってでるだろう。その後からアドマイアヤメインが動くだろうが、遅れずにマルブツリード、マグマノーベルが行くだろうが、マイネルアラバンサは先行の位置を生かしつつ最後のチョイ差しを狙うことになるだろう。内容の良さそうなマツリダゴッホとバルバロは、関東の期待だがダービーへの優先出走権を取るのは些かハードルが高い。
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27 April
#52.ご都合でできた歴史
このところのテレビの首都圏ニュースを見ていると、群馬県の富岡製糸所の話題が立て続けに出てきた。富岡製糸所といえば明治の殖産興業の代名詞的な存在で、明治政府が威信をかけて明治5年に操業を開始した。その建物を残したり、製糸の設備を保存したりしようとする話だ。製糸は日本に根付いた養蚕業を基にしたものであり、また当時の国内産業では珍しく海外での競争力もあり、殖産興業化は日本として当然の選択と思えるものだ。この製糸所を建設したのは、ポール・ブリュ-ナーを始めとするフランスの技術者なのだが、実は彼らは横須賀に造船所を建設する目的で来日していた。これが急に造船所から製糸所に変わってしまったのだが、理由を日本政府の熱い想いや強い要請が功を奏したものと考えたくなるのが人情かもしれない。ところが変更はフランス政府の都合だったのだ。
フランスは中部のリヨンを中心として絹織物が盛んだった。ヨーロッパの社交界も新興資本家などの台頭で活発になり、絹の需要が好調だった。だが、これだけではいくらなんでも極東の端から絹を持って来ようなんて考えることにはならない。その頃フランスへ絹の供給をしていたのはイタリアだった。そのイタリアで深刻な事件が起きたのだ。蚕の伝染病である。これによってイタリアの蚕は大打撃を受け、フランスへの絹の供給が止まってしまった。しかも復旧の見通しが立たなかったので、困ったフランス政府は先に横須賀造船所をつくるために派遣した技術者を、窮余の一策として製糸所建設に鞍替えさせたのだ。こんな無茶な話は、本来なら日本の政府も受け入れられる話ではないが、養蚕業と外貨獲得のことを考えれば受け入れは容易だったと考えられる。こうして富岡製糸所は、明治5年という極めて早い時期に近代工業として出発したことになる。
日本史の教科書にはこのような逸話は載っていないが、イタリアで蚕の大量死がなければ近代化の象徴富岡製糸所はできなかった可能性さえあったのだ。
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26 April
#51.静寂と喧騒
24日の月曜日、前日とは打って変わって良い天気です。最近元気なAKIBAなぞへ出掛けてみました。出掛ける前の情報で、JR山手線が止まってましたので東京メトロでの出陣です。銀座線の末広町に降り立ちましたら、なんとなく今をときめくアキバではなく、神田明神を見てみたくなりました。
歩いてすぐですので、何の躊躇もありません。来月が江戸三大祭のひとつ、「神田祭」です。「神輿深川、山車神田、だだっ広いのが山王さん」と言われて、神田祭の花は山車です。江戸東京博物館には昔の神田祭りの様子の模型があって、三国志の名将、関羽の人形のある山車は立派で見応えがあります。とはいえ、やはり祭の花形は神輿ですね。
因みに、今年の神田祭は5月13、14日だそうです。14日は神輿の渡御、町会から町会へ担いで渡すことが行なわれ、宮出しが7:30、宮入りは17:30、ちょっと早いな、だそうです。
境内は、人影疎らで、長閑でした。ゆっくりお参りをしようと、お賽銭を入れたのですが、賽銭箱の上にこともあろうにワンカップ大関の空きカップを捨て置いた不届き者がいたようです。バチでも当ると良いのですが、最近はバチ当りの畏れを知らないバカどももいるようで全く困ります。
まずは神田明神の鳥居から。
随神門。昭和50年に昭和天皇御即位50年の記念として建立されたもの。関東大震災で焼失して以来約50年ぶりの再建になった。
御社殿。昭和9年建立の見事な権現造り。さすが、神田明神。
さて、お参りでもしよう。お賽銭は思案の挙句、100円。
これは困った。不届き者がいる。神罰でも当って欲しい。
気を取り直してアキバです。2、3年前までのアキバなら、LAOXやツクモ電気界隈がいわゆるアキバだったのですが、今や様変わりです。
秋葉原UDXとかヨドバシカメラなど、こんなに大きなものを造ってと思いましたが、いやはや繁昌していること、スゴイの一言です。
アキバは慣れていたはずだったのでうが、全く違う街になってしまい、慣れない年寄りには疲れました。エントロピーの高さに負けて早々に退散ですが、山の手線はまだ不通でしたのでツクバ・エキスプレスで新御徒町まで乗って、大江戸線経由で帰ってきました。
何か忘れ物?、そうゴスロリ系は次回のお楽しみ。それも含めて、探検は1回目では無理。
右手がLAOX、左手がツクモ電気、アキバと言えばこの界隈だったハズだ。なんとなく、元気がない?
それが、今や中心のひとつ秋葉原UDX。
更に、もうひとつの新名所、ヨドバシカメラ・Akiba。
これがツクバ・エキスプレスの入口。とにかく深い。でも、高性能感がいっぱいに漂う空間だ。
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25 April
#50.先生と呼ばれるほどの
20日の木曜日、57名もの方々を前にオシャベリをする機会をいただきました。マーケティングのセミナーでのことですが、平たくいえば先生をさせていただいたのです。先生なんて柄でもないのですが、お声を掛けていただいたことを素直に感謝して一生懸命お話をしてきました。話の内容は企業が行なう商品開発に必要なお客さまの研究についてのことです。実は、会社に勤めていたころ、20年にわたって生活者研究と商品開発に携わっていましたので、昔取った杵柄というわけです。ですから話はいくらでも、またいつでもできるつもりでいましたが、準備から本番まで久しぶりに脂汗をかきました。現場での仕事ではルーチンワークのように決まりきった手順をこなすだけのことが、いざ話すとなると難しいこと、やってきたことが上手く言葉になりません。
実は、話の内容が「聴きたいことを聴こうと思っても簡単には聴けない」ということでした。「何、食べたい?」という問いに、「おいしいもの」という答えが返ってくるようなものです。お客さまは欲しいものはあるけれども、具体的に話すことを準備していませんので、いきなり欲しいものを聞いても答えられないというものです。「そこで、どうしたらいいか」ということを話したことになります。
ところが自分に立ち返れば、「話す目的があって話す場があるのに、上手く話せない」ということでした。聴こうと思えば聴けないし、話そうと思えば話せない。一体全体、どうなっているのでしょう。
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24 April
#49.ディンケルスビュール
ドイツの旅はハイデルベルクからローテンブルクを経て、ミュンヘンに向かった。その途中、ロマンチック街道の宝石と言われているディンケルスビュールへ立ち寄る。宝石に相応しく、街は小さくて美しい。バイエルン州ヴュルニッツ渓谷のディンケルスビュールは中世のころから腕の良いマイスターのよる手工業で栄え、神聖ローマ帝国の直轄都市の時代もあった。小さな城門をくぐると、絵本から抜け出たような街並みが現われる。色とりどりの家々の向うに塔がいくつも見える。狭いながら塔はこの街に16もあるそうだ。しばらくキョロキョロしながら歩くと、街の中心部のマルケト広場に出る。ひときわ手の込んだ建物が目に入る。黒くて高いその建物はドウチュハウスで、ディンケルスビュールの象徴のような存在だ。表の看板にあるホテル・ドイチュハウスの名のとおり、ホテルなので1階はレストランになっていた。旅の思い出にと思い、中に入ってみた。食事時の時間ではなかったので、客もなく静かだったが、雰囲気も落ち着いていた。出てきたコーヒーは品が良く、とても美味しかった。ドイツは知る人ぞ知るコーヒー大国で、コーヒーの輸入量はアメリカに次いで世界第2位であり、日本の倍に近い量を誇っている。
ドイチュハウスを出て、聖ゲオルグ教会の前のルターの像を仰いで、空を見ると塔が眼に入ってくる。確かに塔の多さは街中ならどこでもすぐ実感できた。
ディンケルスビュールの普通の街並み。この街はどこでも中世ドイツ風の建物と塔が見える。
この界隈が一番の見どころかもしれない。右手の3軒目にドイチュハウスの黒く荘厳な姿が見える。
ドイチュハウスの正面。木組みの細かさが素晴らしい。窓際の花も控えめだが見事だ。
ドイチュハウスの内部。落ち着いた雰囲気が美味しいコーヒーを余計引き立たせた。
また外にでる。とにかくこの街は塔が多い。しかも、ひとつひとつみんな個性派揃いだ。
聖ゲオルグ教会のルター像。当然、この像には物語があるのだろうが、まったくわからない。
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