Complete text -- "#264.社会復帰?"

18 September

#264.社会復帰?

ブログの復帰から1週間が経った。話題はブログの右下のあるカテゴリの中から1つずつ取り上げてみた。だけど、残っているカテゴリも少なくなってしまったが、せめて復帰の1週間だけもダブらずに書き綴りたいものだ。そこで、今回は『三丁目の夕日』にしてみようと思う。

テレビをボーっと見ていたら、井上ひさしが日本語の乱れていることに目くじらを立てることはない、と言っていた。それは、今身の回りで当たり前に使っている日本語の表現も乱れた結果のまま使われていることが多い、と言うのだ。しかも、それがそんなに古いことではないのにもかかわらず、放送でも、国語学者も黙認もしくは追認してしまっていることが以外と多いという。その例で、「とても」という言葉をあげていた。とてもという言葉は、いまでこそ程度は大きいことを表わす副詞だが、本来は下に必ず打ち消しを伴って使われていたとのことである。「とても、できない」という要領だろう。ここまでは、ほほう〜で済んだが、この先がオドロキだった。なんと、1950年代までは否定形を伴う方が主要な使われ方だったそうで、大きな程度はその頃からの乱れた表現だと言うのだ。

1950年代の後半は小学生だった。そのころを思い出してみると、大きな程度を表現する副詞としか使っていなかったと思われる。慣用句などで「とても我慢できない」などとは言ったかもしれないが、とてもデカイ、とてもウマイ、ということしか喋っていなかったとしか思えない。こう思うと、国語を乱れさすためにわざわざ生れてきたのかと落ち込みそうだ。心配になって「全然」を辞書で調べてみたら、俗な表現として「全然いいね」が載っていたが、やがてこれも堂々と市民権をえてしまうのだろう。


00:00:00 | datesui | |
Comments

ウイヌム wrote:

「全然すごいね」という言い回しを初めて聞いたのは、30〜40年ほど昔の人気番組、「チャコチャン・ケンチャン」でした。
東京ではこう言うらしい、と、翌日の小学校で話題になったような記憶があります。
09/18/07 19:14:15
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