Complete text -- "#278.板橋へ"

10 October

#278.板橋へ

久しぶりに遠出をしてみた。この夏の猛暑は外出を拒み、小さな楽しみだった遠出を反故にした。面倒な気持には都合の良い暑さだったが、あとで何もしなかったことへの後悔の念に駆られるのはどうしたことか。毎日付けている歩数計の記録が伸びないことによる苛立ちか、それともどうにもならない暑さからくる八つ当たりか。

さて、今日の遠出は板橋区立美術館だ。世田谷美術館、渋谷区立松濤美術館、目黒美術館、練馬美術館など、東京には区立の美術館がいくつかあるが、どれも建物が立派であるだけではなく活動もなかなかのものがある。その板橋美術館は初めての訪館だが、今まではアクセスがどうも難儀に感じていた。都営三田線西高島平駅から徒歩15分、東武東上線赤塚駅もしくは有楽町線地下鉄赤塚駅から徒歩25分、成増駅、高島平駅よりバスあり、ただし1時間に2本程度、とま〜、どうにもアクセスはお世辞にも良いとはいえない。しかも、タクシーでさえ西高島平駅や新高島平駅ではつかまりにくいため、高島平駅からにご利用をお勧めしますとある。丁寧で正直なのは結構だが、これでは戦意消失で行く気にはなれないのは当然だろう。

今回はこんなことから行く気が起きた。有楽町線の地下鉄赤塚駅から歩いたら往復で50分。歩数計はこれだけで少なくとも5000歩はカウントされる。すると、久しぶりに10000歩の歩数が見られるかもしれない。という極めて単純なインセンティヴから出発となった。しかも、豊洲駅から地下鉄赤塚駅まで乗り換えなしの一本、本当の遠出の雰囲気だ。

さて、乗ってみると目的の地下鉄赤塚駅は豊洲から数えて19番目、なんと47分の旅程になった。いい加減飽きたころ、到着になって赤塚中央通りを歩く。地図にはなかった起伏があり思いのほか変化がある。道は東京大仏通りと名称が変わり、周りの様子ものどかになってきたころ、美術館に着いた。いい造りの建物で、区立とは思えないほどだ。


板橋美術館の入口と館内の様子だが、清楚で良い感じだ。
nullnull


『谷文晁とその一門』という企画展で、幕末の民間画家谷文晁と文晁の弟子たちの活躍を綴ったものだった。当時の画壇は幕府御用達の狩野派と浮世絵が二大主流だったが、お堅い狩野派でもなく、くだけ過ぎた浮世絵でもない谷文晁の画塾が繁盛したそうだ。文晁は南画、水墨画、土佐派、やまと絵に中国の書画、さらには新しく入ってきた西洋の画法まで取り入れた画風を創り出し、さらには琳派の雄酒井抱一まで親交があったというから、弟子たちの入門の訳も間口の広さ、懐の深さにあったと思われる。なにしろ大勢の弟子の中には渡辺崋山もいて、2点ほど作品が展示されていた。

帰りは、東京大仏に寄って元来た道を辿って地下鉄赤塚駅に戻った。新木場行きの電車に乗ったとき歩数計を確かめると、嬉しいことに11111歩を示していた。


22:28:20 | datesui | |
Comments
コメントがありません
Add Comments
:

:

トラックバック
DISALLOWED (TrackBack)