Complete text -- "#354.言わずもがな"
16 February
#354.言わずもがな
書院造り以降の日本文化は、四畳半文化よろしく、お互いの距離が非常に近くなり極めて微妙なコミュニケーションを成立させた。「目は口ほどにものを言い」という言葉に表れているように、話すまでもなくお互いがわかりあえる必要があるのだ。つまり相手の心を常に気遣っての所作が求められることになっていた。この文化は単一民族としての日本人の中では成立するが、外国の方々には理解は難しく、理解できても同意しかねることだろう。ましてや、この文化の存在に気づくのさえ至難のことだから外人には無理なことと思うしかない。残念ながら、蛮族を相手にせずということになってしまう。
相手を慮るということの難しさは安心安全論議で困った形で現れる。アメリカとの牛肉の問題は、安心を求めている日本に対して安全のみを主張して譲らないアメリカとの溝が露見した。安全は科学的根拠があれば良いが、安心は相手の気持ちであるから、コミュニケーションにおける情緒性の豊かさや奥深い成熟性が求められる訳だ。これを国家の枠組みで交渉したのだから、農水省のお役人様も情緒的蛮族相手にはさぞかし困ったことだろう。その蛮族から日本人はアタマが悪いようなことを言われたのでは、情緒的乾燥人種のお役様でもアタマにきたことだろう。
今、もっと困難な相手と安新安全論議が発生した。例の毒ギョーザの件だ。まだ何も解明されていないのに、中国の製造元の天洋食品は早々と安全宣言をして、驚いたことに自らを最大の被害者だと言い放ったのだ。最大の被害者は間違いなくお気の毒にも毒入りギョーザを食べてしまった方々ではないか。その方々の存在を無視して被害者面するとはもはや暗澹とした気持になる。そこまでは言わなくてもという文化と、言ってはオシマイのことを言い合う文化のせめぎ合いは、損得勘定の合わないことは仕方ないとしても、言わずもがなの文化の存在をどうしてわかってもらえるかになろう。
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